「すさまじかった」模擬原爆 消えなかった首筋の気持ち悪さ
毎日新聞 / 2024年8月15日 6時0分
「ズザーー」と空気を切る音が聞こえ、「ドリャアアーーン」と爆音が起きた。ぼうぜんとしていると「ザーーッ」と頭の上に何かが降ってきた。砂や小石だった。「えらいこっちゃ」。当時15歳の池田宏さん(95)=大津市=は我に返って頭を抱えた。ほんの数秒の出来事だった。だが、池田さんの「心が変わった」のはおよそ79年前のその日だった。変えたのは模擬原爆だった。【飯塚りりん】
1945年7月24日午前7時47分、池田さんの勤労動員先だった東洋レーヨン滋賀工場(現・東レ滋賀事業場、同市園山1)に1発の模擬原爆が投下された。当時、工場は魚雷などを作っている軍需工場だった。
池田さんはその日、いつもより遅めに工場についた。一緒に工場に向かっていた友人が「今日はゆっくり行こうや」と言ったためだが、この一言が運命を変えた。
正門前で「ウーーーー」と警戒警報のサイレンが鳴り、「工場に行かずにすむ」と防空壕(ごう)のある近くの北大路御霊神社(同市)で壕に入らずに一休みしていた。当時、爆撃機のB29は頻繁に飛行していたため、多くの人の危機感は薄く、池田さんも「爆弾が落ちるとは思っていなかった」
その日は違った。神社の隣にあった東レのグラウンドを眺めていると、体操をしていた数十人の学生たちが一斉に神社に向かって走り出した。「爆弾やーー」という声が聞こえて、青ざめた学生たちが次々と防空壕に入っていく。池田さんは何が起こったのか分からず、ぼんやりと満員になった壕の入り口に座っていたが、砂が降ってきた時に初めて恐怖を感じた。
しばらくすると、正門付近で警察官が若い女性を抱えて救出している姿が見えた。髪を振り乱している女性は血だらけで「ギャンギャンと泣いていた」。警察官が腰に付けていたサーベルはくの字に曲がっていた。「すさまじかった。ショックだった」と振り返る。
家に帰るように命令があり、急いで帰宅すると、近所の人から母親が「東レに爆弾が落ちた。息子がいる」と泣いて家を飛び出していったと聞いた。母が家に戻り、池田さんを見た時のほっとした顔は今でも忘れられない。母は1機の飛行機から爆弾が落とされる瞬間を見ていたという。後日、東レから1・5キロほど離れた自宅の壁に爆風でひびが入っているのを見つけて驚いた。
翌25日も東レへ行った。肉の塊に大量のハエが群がり、辺りには腐ったような血なまぐさいにおいが漂っていた。「たまらなかった。気持ち悪くてじっとしていられなかった」。爆弾が落ちた場所は7、8畳くらいの大きな穴ができていた。池田さんが配属されていた魚雷の製図室のすぐ前だった。一緒に勤務していた4、5人の同僚が無事だったのかは今でも分からない。その後一度も会うことはなかった。
あの日、普段通りに製図室に到着していれば、自分も助からなかったことを悟った。
数日後、当時池田さんが通っていた旧制中学校で、東レの爆撃による在校生の犠牲者はなかったという発表があった。池田さんはお世話になった先輩が亡くなったらしいと聞いていたのでおかしいと思い、先生に「うそやないか、学生が死んどるやんか」と何度も詰め寄ったが、先生は逃げ続けた。「ものすごく腹が立った。今思うと、できるだけ国民に犠牲者が少ないと思わせないといけなかったので言えなかったのだろう」と推測する。
爆弾が落ちてから終戦までの約20日間は、工場の被害を免れた場所で働く誰もがこれまでとは違う恐怖を抱いていることが伝わった。サイレンが鳴り出すと、稼働している機械をそのままに皆が必死に防空壕へ走り、壕の中でも押し合いだった。
その頃から池田さんにも異変が現れ始めた。サイレンが鳴り出すと、爆撃を思い出し、恐怖に震えた。防空壕に入っていても、誰かに後ろから撃たれるような感じがして、首筋の辺りが気持ち悪かった。心身が変調していた。
終戦を迎えても10年ほどは、首筋に感じる気味の悪さは続き、病院に行こうかと悩むほどだった。やがてそれは消えたがすべてが元に戻ったわけではない。「トラウマになっていて、今でも戦争の映像を見るのは気分が悪い。とにかくサイレンの音がものすごく怖かった」と話す。
そして、「撃たれたこともないのに、けが一つしてないのにね」と悲しそうに首をさすった。
◇ ◇
戦後79年。広島、長崎両県に原爆が落ちたことは知られているが、終戦の22日前に滋賀県内にも原爆投下訓練用の模擬原爆「パンプキン」が投下されていたことを知る人は少ないだろう。パンプキンは長崎に投下された原爆と同型(全長3・2メートル)同重量(5トン)で、原爆を除けば当時最大クラスの爆弾だった。「パンプキン」の知られぬ被害に苦しんだ人たちに話を聞いた。
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