1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「お父さん帰ってきて」 あと10センチで届いた手 再出発奪った豪雨

毎日新聞 / 2024年9月28日 12時8分

濁流にのまれた夫池田幸雄さんの姿を最後に見た場所に立つ妻の真里子さん。「夫の手とは、このくらいの距離。もう少しでつかめたのに……」と話した=石川県珠洲市で2024年9月25日午後0時27分、阿部弘賢撮影

 あと少しで夫の手を握ることができたのに。娘は地震で失った職をやっと見つけたところだった。亡き妻に伝えたい「ありがとう」。豪雨の爪痕が残る能登半島で、最愛の家族を思う人たちがいる。

 後ろから襲ってきた濁流にのまれた。大声で呼びかけると、左手を上げた夫の顔が目に入った。あと10センチで手が届く。大量の水が再び、2人を押し流した。「お父さん、お父さん」――。

 石川県珠洲(すず)市で約50年の歴史がある「ホテル海楽荘」は、池田幸雄さん(70)と妻真里子さん(68)が切り盛りしてきた自慢の宿だ。

 ホテルの前には日本海の大海原が広がっている。近くに景勝地の「垂水の滝」があり、岩に打ち寄せた波が白い泡になって雪のように舞う「波の花」が名物だ。山海の新鮮な食べ物にも恵まれ、120人ほどが泊まれる宿は絶え間なく予約が入った。

 幸雄さんは明るくて、話し好きだった。「お父さんはセールスで全国を飛び回り、お客さんをどんどん連れてきたんですよ」と真里子さんは語る。

 1週間前の朝、経験したことのない大雨が降り続いていた。ホテルのすぐ横にある川の流れは勢いを増す。流されてきた大量の倒木が橋桁にぶつかり、「バリ、バリ」という不気味な音を立てていた。

 「床上まで水が上がることはないだろう」。2人が1階のロビーで外の様子をうかがっていた時だった。後方の館内から濁流が押し寄せ、2人は玄関から外に投げ出された。真里子さんは頭まで水をかぶったが、道路脇の手すりに引っかかって止まった。

 「お父さん、どこにおる」。必死に呼びかけると、「おーい」という声とともに、数メートル先に幸雄さんが見える。濁流の中を踏ん張って歩いて近づいた。手を伸ばしたが、なかなか届かない。「あの時、手を握れたら助かったのに」。真里子さんは涙ぐんだ。

 元日の地震で、ホテルは客室や大浴場の壁が崩れ落ちた。海沿いを走る国道249号は土砂崩れで寸断され、一時孤立した。地区の住民は自衛隊のヘリコプターで脱出したが、一家はふるさとに残った。

 「解体して小さな民宿にでもすればいいかな」。こう考えていた真里子さんに対し、幸雄さんは今の建物にこだわった。「あと15年、自分は大丈夫だから直そう」と決めた。

 電気が復旧し、2月中旬から再び営業を始めた。地震後の工事に関わる人たちを受け入れ、断水が続く中でも朝晩2食を出した。ご飯はペットボトルの水で炊き、幸雄さんが片道1時間をかけて漁港で鮮魚を仕入れ、刺し身を振る舞うこともあった。

 外壁を張り替え、10月からは壁や天井を直した大浴場を再び使い始めるつもりだった。だが、夫婦で思い描いた再出発の道は大雨が全て奪い去った。

 大広間や廊下は1メートル以上の土砂で埋まっている。冷凍庫や洗濯機などは流された。「これだけ被害を受けたら、心が折れてしまう。もう再生しようにも気力がわかない」

 豪雨で再び孤立し、助けはなかなか来なかった。家族の写真や年賀状、衣服が散乱した海岸で、真里子さんは連日、幸雄さんの姿を捜した。25日には近くで1人の遺体が見つかったが、まだ身元は明らかになっていない。

 「お父さんは朝から晩まで働いて、人を喜ばせるのが大好きでした」。新婚旅行を除けば、2人で遠出もしなかった。でも、一緒にお客さんをもてなしてきたことが一番の思い出だ。

 幸雄さんがいないとさみしい。これからどうするかも相談できない。「『ただいま』と言って、帰ってこないかな」。いつもの出張帰りのように、夫の顔を早く見たい。【阿部弘賢】

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください