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上皇后さま20日に90歳の誕生日 民間から皇室、平成流を支えた旅

毎日新聞 / 2024年10月19日 5時0分

皇太子妃だったころ、住まいだった東宮御所の庭でご家族そろって過ごされる美智子さま(右端)=東京都港区の赤坂御用地で1981年11月(宮内庁提供)

 「ミッチーブーム」を巻き起こし、皇室に新たな風を吹き込んだ上皇后美智子さまが20日に90歳の誕生日を迎えられる。平成の時代は、象徴天皇のあり方を模索し続けた上皇さまを支え、国民と交流を重ねた。令和になった今も、災害や戦争など国内外のニュースに気を配っているという。

「テニスコートの恋」

 1959(昭和34)年4月、皇太子だった上皇さまと結婚した美智子さまは、民間出身初の皇太子妃となった。出会いは長野・軽井沢のテニスコート。「テニスコートの恋」と世は盛り上がり、女性がファッションをまねるなど「ミッチーブーム」が起きた。

 皇室では新たな試みだった子供たちを手元で育てるスタイルや、上皇さまの公務に同行しながら単独でも活躍する姿は、国民の共感を得た。一方で、平成初期は週刊誌報道を中心に「皇后バッシング」も起きた。声が出づらくなった美智子さまを支えたのは、上皇さまや結婚前でともに暮らしていた長女の黒田清子さんら、ご家族だった。

被災地へ足運び

 平成は雲仙・普賢岳の噴火災害や阪神大震災、東日本大震災など大災害が相次いだ。その度に上皇さまと現地に足を運び、被災者の悲しみを受け止めた。国内外の戦争の激戦地を巡る「慰霊の旅」もともにした。国際親善では、国民との交流と同じように多くの人たちと親しく言葉を交わし、現地の子供を抱きしめる姿も度々あった。

 また、美智子さまは文学や音楽に幼いころから深く親しみ、文化人や音楽家たちとの交友関係が広い。詩の英訳本の出版やご自身の歌集の出版にとどまらず、児童書の普及にも影響を与えた。国際児童図書評議会(IBBY)の世界大会に関わり、そこでの講演は世界各国で大きな反響を呼んだ。

上皇さまと支え合い

 美智子さまと歩んだ日々を、上皇さまは平成最後の記者会見でこう振り返っている。

 「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います」

 令和への代替わりで上皇后になった美智子さまは、公的な活動から退き、皇居から赤坂御用地にある仙洞御所に住まいを移した。そこはかつての東宮御所で、皇太子妃時代を子供たちと過ごした思い出の場所でもある。今月6日に右大腿(だいたい)骨上部を骨折したもののリハビリに励み、上皇さまと2人で支え合って暮らしている。【山田奈緒】

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