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最高のお姉ちゃん「かえちゃん」を奪われた家族の20年 小1女児殺害

毎日新聞 / 2024年11月17日 5時0分

 幼少時に犯罪で姉を失った妹は、周囲を悲しませないために姉のように振る舞おうと苦悩してきた。その妹に被害者家族の苦しさを背負わせたくないと、父親は接し方に悩んできた。家族には「『かえちゃん』っていう最高のお姉ちゃんがいた」。その存在が事件で奪われて20年。2人は今なお、当時の記憶に苦しめられている。

 姉妹2人が抱き合う写真。2004年、奈良市の有山楓(かえで)さん(当時7歳)が亡くなる前に撮られた一枚だ。楓さんに体を引き寄せられ、当時2歳だった妹(22)は満面の笑みを見せている。ただ、「かえちゃん」と呼んでいた姉の記憶はほとんどない。

 市立富雄北小1年だった楓さんはこの年の11月17日、下校途中に男性に誘拐、殺害された。帰らぬ人となった姉について、妹は家族から事故に遭ったと聞かされていた。ただ、命日の前後に奈良県警の警察官が訪れるのを見て「別の亡くなり方をしたのでは」と幼心に感じていた。

私がかえちゃんになる

 残された自分を大切に育ててくれた父茂樹さん(50)。楓さんを失った悲しみを隠して気丈に振る舞う姿を見てきたせいか、妹はいつしか「かえちゃんの分まで生きないと」「私がかえちゃんにならないと」と思うようになった。楓さんならどう振る舞うか想像し、行動する癖がついた。

 楓さんはディズニーアニメ「リトル・マーメイド」に登場する人魚姫のアリエルが大好きで、そのアリエルが描かれたランドセルを背負って小学校に通った。遺品のランドセルを見て自分も小学校入学前、「同じものが欲しい」とねだった。本当は別のキャラクターを気に入っていたが、楓さんを思い出して周囲が喜ぶのではと思ったからだ。楓さんが打ち込んでいたダンスも苦手だったが、「踊るのが好き」と言って同じレッスン教室に小学校卒業まで通った。

 こうした思い出に触れ、「家族をこれ以上悲しませたくないし、困らせちゃいけないって無意識に思うようになった。自分にとってはそれが当たり前だった」と振り返った。

 茂樹さんによると、妹は小学校中学年の頃、「私が『かえちゃん』にならんとあかんねん!」と感情を爆発させ、泣きじゃくったことがある。姉の分まで生きようとする姿を気遣い、茂樹さんは自分らしくいればいいとなだめた。ただ、妹は「周囲が自分を大事にしてくれると思うと、余計に振り回してはいけないと思って生きてきた。その考えに今も苦しめられている」と話す。

 姉を事件で失ったと知ったのは小学校高学年の頃だ。男女問わず誰とでも仲良くなった楓さん。面倒もよく見てくれ、勉強にも運動にも一生懸命な頑張り屋さんだった――。そんな「完璧だった姉」の話を家族から聞くと思う。「一緒に遊んで、けんかもしたかった。おさがりも欲しかったし、宿題も教えてもらいたかった」。半面、「悪い面も少し知りたかったな。そうすれば私は重圧を感じなかったかも」。それほど、姉の存在が心の内を占めている。

苦しみ 背負わせたくない

 一方、茂樹さんには「『被害者の妹』とみられながらの人生を送ってほしくない」との思いがあった。それだけに、事件の詳細に触れないようにしてきた。大人の自分ですら我が子を助けられなかったと自分を責め、今も苦しんでいる。「楓の妹にこんなつらさを背負わせたくない。犠牲者の家族ではなく、自分の人生を送ってほしいとの思いだった」と語った。

 この20年、茂樹さんは「生きられなかった楓や残された妹のために頑張らなあかん」との一心で過ごしてきた。悲嘆に暮れるばかりでは生活が維持できないと、喪失感を抱えながらも仕事に励んできた。「親やから、男やから妹を守ってやれよ」。周囲の励ましが重くのしかかることもあった。妹が元気に育ってくれること、写真の中だけでも楓さんが笑ってくれていることだけが心の支えだった。

 幼い時に姉を亡くし、妹が振る舞いに悩んでいるとは感じていた。でも、どう手を差し伸べてよいのか悩んだ。「つらい思いをしている」と決めつけて接することも、かえって妹を苦しめないか不安だった。

 事件から20年がたち、初めてメディアの取材に応じた楓さんの家族。「これまで短かったのかな。長かったのかな……。でも、やっぱり長い20年だった」。茂樹さんはこう言って続けた。「楓の人生を一瞬で奪われた悲しみや苦しみ、楓を失ったことで背負わされた家族の問題。どちらも時間は解決してくれないから」

 妹も父の葛藤を理解している。できることなら楓さんや事件のこと、そして父の思いも、もっと聞きたい。ただ、触れると父を傷つけてしまいそうで怖い。この思いを誰に打ち明ければいいか分からない。そんな気持ちがずっと渦巻いている。

 妹は友人らときょうだいの話になった時、ほとんど「一人っ子」と答えてきた。本当は姉がいたと伝えたい。けれども、そのお姉ちゃんのことをどう伝えていいのか分からない。「私には『かえちゃん』っていう最高のお姉ちゃんがおるねん」。そんな言葉が自然と口にできる日を願っている。

「遺されたきょうだい」支援を

 幼少期や青春期に兄弟姉妹を失った子へのサポートは置き去りにされたままだ。専門家は「『遺(のこ)されたきょうだい』の苦しみは実態が表面化しにくい。支援のあり方を考える必要がある」と語り、学校現場での体制整備を提案する。

 犯罪被害者に対する国の施策をまとめた第3次犯罪被害者等基本計画(2016年4月閣議決定)以降、兄弟姉妹を亡くした子への支援が計画の基本方針に新たに盛り込まれた。しかし、遺族の心情研究や支援に携わる関西学院大「悲嘆と死別の研究センター」の坂口幸弘教授と赤田ちづる客員研究員は「残された子のケアは親の役目という考えがあり、支援は進んでいない」と訴える。

 親も事件で疲れ切り、保護者の役割を果たすのは困難だ。さらに2人の調査で、事件をきっかけに親と子の関係が変化し、家族の立ち直りをより難しくさせていることも明らかになった。兄弟姉妹を亡くした子は家族への気遣いを優先させて自分の苦しみを我慢したり、死亡した兄弟姉妹を親が特別視していると考えて孤立感を覚えたりすることがあった。赤田さんは「心に蓋(ふた)をし、亡くなった子について親と話しづらくなることは珍しくない」と話す。

 支援策について赤田さんは「SOSに気づき、一緒にいてあげられる大人が家族以外に必要だ」と語る。そのうえで家以外で多くの時間を過ごす学校に期待する。「教職員が死別の悲しみに寄り添う『グリーフ(悲嘆)ケア』の専門家になる必要はない。どんな支援先があるかを知っておくだけで子どもは救われる」と訴える。

 転校や進学の際、家庭状況が引き継がれるべきだとも指摘。学校が変わるたびに事件などについて話さねばならず、家庭には負担だ。赤田さんは「個人情報保護とは切り離し、支援に必要な情報は共有すべきだ」と話している。【林みづき】

奈良小1女児誘拐・殺人事件

 2004年11月17日、奈良市立富雄北小1年、有山楓さん(当時7歳)が下校中に行方不明になり、奈良県平群町の道路側溝で遺体で見つかった。県警は翌月30日、元新聞販売所従業員の小林薫元死刑囚(当時36歳)を逮捕。楓さんを誘拐して自宅の風呂場で水死させたなどとして、06年9月に奈良地裁で殺人などの罪で死刑判決を受け、自ら控訴を取り下げて確定した。収監後に再審請求したが最高裁が09年12月に棄却。13年2月に死刑が執行された。

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