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「オスロが出発点」 同行の20代日本人が見たノーベル平和賞授賞式

毎日新聞 / 2024年12月13日 18時38分

バルコニーから横断幕を掲げる田中熙巳さん(中央)ら日本被団協の代表委員3人。浅野さんも「核兵器のない未来を必ず」と書き込んだ=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式に合わせ、核兵器廃絶運動に取り組む一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」スタッフの浅野英男さん(28)もノルウェー・オスロに渡航した。20代の目に映った現地の様子を報告してもらった。

未来に向かって

 羽田空港を出発し、現地時間の8日夜(日本時間9日未明)にオスロに到着しました。私は原水爆禁止日本協議会(原水協)などが主催するツアーの被爆者と行動を共にしましたが、日本被団協の代表団とも同じ便でした。空港に降り立つと、現地のNGO関係者らが横断幕を持って出迎えてくれました。

 オスロの街はクリスマスムードに包まれ、雪が薄く積もっています。9日にはオスロ大植物園で被爆したイチョウの種を贈呈するセレモニーがありました。広島の原爆を生き抜いた被爆樹木の種は、2017年にNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した際にも、この植物園に贈られました。

 新たに種を手渡した広島の被爆者、佐久間邦彦さん(80)は世界情勢を懸念し「自分自身が植えた種が未来に向かって育ってほしいと強く思った。被爆樹木は私たちと同じように世界を見ていく」と話しました。被爆樹木が無事に育つような平和な世界をつくっていくという思いを受け継ぐセレモニーだと感じました。

「ここが出発点」

 現地時間の10日午後1時にオスロ市庁舎で始まった授賞式。ツアーに参加した被爆者たちはオスロ図書館で中継映像を見守りました。日本被団協代表委員の3人が入場する姿を見て感極まって涙しそうになりました。実際に目に涙を浮かべている被爆者もいました。

 田中熙巳(てるみ)さん(92)の演説が終わると、現地のみなさんも一緒に総立ちになり、大きな拍手が湧き起こりました。

 印象的だったのは、ある被爆2世の方が言った「田中さんのスピーチを聞いて、ここが出発点だと思った」という言葉です。私も演説は決意表明だと感じました。被爆者が達成しようとする核兵器廃絶と被爆者への国家補償はまだ道半ばです。受賞を喜ぶと同時に、その思いを受け継いで実現するために行動しなければと強く感じ、勇気づけられました。

「複雑な気持ち」

 授賞式から一夜明け、11日午前は現地の高校生と被爆者が交流する「被爆者ユースフォーラム」に参加しました。日本被団協代表理事の田中聡司さん(80)やブラジル、韓国の被爆者が証言をし、受賞の受け止めを語りました。

 そこで田中さんの言葉にハッとさせられました。「自分はいま複雑な気持ちを持っている」というのです。

 田中さんはこう続けました。「ノーベル平和賞受賞の喜びが半分、もう半分は恥ずかしさと悲しさがある。私が住んでいる国が、核兵器を禁止して被害者を援助すると決めた核兵器禁止条約にそっぽを向き続けているからです」

 受賞を受けて、被爆者の声を聞き、大きな理想としての「核兵器のない世界」に注目が集まり関心も高まりました。しかし、現実はまだ遠く、課題もあります。

メッセージ学び議論を

 受賞を記念し、ノーベル平和センターで始まった企画展を見学した時のことです。被爆者のメッセージを緊迫した国際情勢と関連づけて紹介する展示がありました。

 案内してくれたスタッフは「なぜ今まさに自分たちが被爆者の声に耳を傾けなければならないのかというテーマで作ってある」と説明してくれました。「世界は厳しい状況にあるが、同時に希望も存在していて、自分たちが進んでいくべき明るい未来の方向性もあると示したかった」とも。

 もちろん、その切迫感の背景には、ウクライナやロシアとの地理的な近さもあるでしょう。しかし、日本でも被爆者のメッセージをしっかり学び、だからこそ今の情勢を踏まえて核兵器を使わせず、廃絶していくためにどうしたらいいかという議論をもっとしていくべきだと思いました。【聞き手・椋田佳代】

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