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明智光秀の古文書、原本見つかる ゆかりの寺で所在不明の重要史料

毎日新聞 / 2024年12月20日 6時45分

二重の包み紙に包まれ、発見された「明智光秀寄進状」=県庁で2024年12月19日午後2時55分、飯塚りりん撮影

 滋賀県立琵琶湖文化館は19日、聖衆来迎(しょうじゅらいこう)寺(大津市比叡辻2)で、戦国武将・明智光秀が同寺に発給した古文書の原本が見つかったと発表した。光秀と地域寺院の関係を知る重要史料として注目されてきたが、原本の所在は不明になっていた。

 同寺は、光秀が築城した坂本城から移築したとされる表門があり、光秀が寄進した梵鐘(ぼんしょう)が所蔵されるなど光秀との縁が深い。

 発見されたのは、「明智光秀寄進状」。光秀が1577年に仏を供養するためとして78石9斗2合(現在の貨幣換算で約470万円)の米を寺に寄進するという内容が書かれている。原本の発見により、壇紙(だんし)と呼ばれる上質な和紙に、大きな紙を半分にして書く折紙(おりがみ)という形態を用いて書かれていたことが明らかになった。

 今年10月、同寺の山中忍恭(にんきょう)住職が、先々代の住職・山中忍海(にんかい)大僧正が使用していたたんすを整理していたところ、二重の包み紙に包まれた状態で発見した。

 大山崎町歴史資料館(京都府大山崎町)の福島克彦館長は当時、光秀が「惟任(これとう)」姓をもらっていたにもかかわらず、寄進状の肩書が「明智」となっていることを指摘し、「後世に追記したものか、光秀自身が『惟任』姓と『明智』姓を使い分けていたのか、興味深い」とコメントした。

 発見された文書は1月7日から2月4日まで県立安土城考古博物館で展示する。【飯塚りりん】

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