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芸術家夫婦が選んだ新天地 活動拠点を宮城・気仙沼に移し目指すもの

毎日新聞 / 2025年1月2日 8時30分

三浦永年さん(左)とティニ・ミウラさん。展示されているのはティニさんが装丁した本=宮城県気仙沼市で2024年11月25日午後3時45分、小川祐希撮影

 芸術家夫妻で宮城県登米市出身の三浦永年さん(80)とドイツ出身のティニ・ミウラさん(84)が2023年9月、気仙沼市に移り住み、私設美術館の「宮城芸術文化館」を開いた。日本や欧米を拠点に芸術活動をしてきた二人が、新天地で目指すものとは――。【聞き手・小川祐希】

 ――なぜ移住したのですか。

 永年さん 米ロサンゼルスにアトリエを設けて17年間活動した後、「そろそろ故郷に戻ろう」と、2017年に故郷の登米に移り住みました。そこで美術館を開いたのですが、なかなか地域の理解を得られなかった。「このままでは美術館の価値が埋没してしまう」と悩んでいた時に芸術仲間から誘われて、父の出身地でもある気仙沼への移住を決めました。

 ――どんな町ですか。

 永年さん 例えばローカル紙の三陸新報には日々、地元の読者が投稿した俳句や川柳が掲載されている。これは市民の芸術活動が活発な証です。市内ではさまざまなイベントがあり、漁業に従事する東南アジアの人も多い。町が生き生きとしています。

 ティニさん 気仙沼の人たちはとても優しいです。私は最初、知らない町に住むことに前向きではありませんでした。しかし、人の温かさに触れ、気仙沼が好きになりました。故郷のドイツ・キールと同じ港町であることも気に入っています。

――美術館の特徴を教えてください。

 永年さん 建物は元々、製材所の材木倉庫でした。東日本大震災の津波被害を受けましたが、海外の支援団体が教会として再建し、ボランティアの宿泊場所にも利用されていました。それを借りて美術館としています。

 約100点の展示品は、ティニや私の作品、写真家の兄(功大さん・故人)が撮影したジャズ奏者の写真、日展で受賞歴がある彫刻家、勝野真言さんの作品が主な見どころです。

 ティニさん 美術館には私のアトリエが併設されていて、今は約40冊の装丁に取り組んでいます。制作活動には作品の色合いを正確に知るために明るい場所が必要です。自然光が差し込む所をアトリエとしています。

 ――今後、気仙沼ではどのようなことに取り組みたいですか。

 永年さん 市内のあちこちで市民の芸術活動がありますが、それぞれの活動はバラバラです。これを結びつけるために200~300人規模の「芸術文化を楽しむ会」を作ることを考えています。

 また、美術館を市民の芸術文化の拠点としたい。芸術の中でも、人を集めるには音楽が一番効果的です。そこで、さまざまな音楽家を招いて演奏会を開催しています。昨年はジャズやクラシックのコンサートをしました。今年はオペラ楽曲をやりたいです。

 ドイツでは人口5万人以上の町なら、劇場やコンサートホール、オペラハウスが必ずある。人口約5万6000人の気仙沼市にも、本来はオーケストラがあってもおかしくない。芸術活動はまだ盛り上がる余地があります。

 ティニさん ずっと現役で制作活動に取り組みたいです。以前は毎日16~18時間も働いていました。今は一日中働く日もあれば、一切仕事をしない日もあります。そんな時は本を読んだり昼寝をしたりしています。

 装丁を依頼してくる人は、本に対する情熱がすごい。彼らを私の作品で幸せにしてあげると、私も幸せになれます。

みうら・えいねん

 1944年、宮城県登米市生まれ。早稲田大を卒業後、政治家を志して英ロンドン大大学院に留学。欧州の美術館や図書館を巡るうちに大理石模様のマーブル紙に魅了され、マーブル紙作家となる。

ティニ・ミウラ

 1940年、独キール生まれ。フランスの美術大学で製本装丁を学んだ。英国王室やスウェーデン王室などの公式文書の装丁に携わったほか、川端康成が68年に受賞したノーベル文学賞の賞状も制作した。

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