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宮崎発祥「もしもしコーナー」、愛されて40年超 繁忙期には列も

毎日新聞 / 2025年1月1日 15時30分

搭乗間際までガラス越しに受話器を手に話し、別れを惜しむ人たち=宮崎市の宮崎空港ビル2階「もしもしコーナー」で2024年12月8日、塩月由香撮影

 保安検査を終え待合室に入った搭乗客と見送りの人が、出発直前まで受話器でおしゃべり――。宮崎空港(宮崎市)は全国に先駆けて1983年、そんなユニークな場所を設置した。それから40年超。「もしもしコーナー」の名で今も世代を超えて愛されている。

 「気を付けて」「元気でな」「何かあったら電話しろ」。12月上旬、2階の出発ロビーで、宮崎市の浜谷義男さん(77)はガラスの向こうを見つめ、愛情いっぱいに声をかけていた。奥には宮崎帰省を終えて勤め先の愛知に戻る孫の黒武者賢太さん(23)。母親に連れられ弟と祖父母宅を訪ねた幼い頃から、賢太さんにとってもこの場所は思い入れがあり「ここで祖父母と話すのが楽しみだった」。

 この日は市内の女性(77)も進学先の東京に向かう孫と別れを惜しみ、受話器を握った。「最後にもう一度顔が見たくて」

 新幹線がなく、高速道路整備も遅れ「陸の孤島」と呼ばれた宮崎県。空の玄関口の宮崎空港は市中心部に近く、JRも乗り入れていて見送り客も多い。

 全面ガラス張りの搭乗待合室は、70年に起きた日航機「よど号」ハイジャック事件の後、警備強化で整備された。その後、空港職員はある光景に気付いた。ロビー側の見送りの人と待合室の搭乗客がジェスチャーで会話を始めたのだ。

 当時総務課長だった宮崎空港ビルの長浜保広会長(76)は「(ここに)何かあるといいよね」とアイデアを巡らせた末、ガラスを挟んで受話器を用意。83年8月、当初は「ひとことお話しコーナー」と名付けてサービスを始めた。人は受話器に群がったといい「他の空港からも問い合わせがあった」と懐かしむ。

 同種の設備は現在、長崎空港(長崎県大村市)や能登空港(石川県輪島市)にあるほか、大分空港(大分県国東市)ではテレビ電話を設けている。

 宮崎空港ビルによると、スマートフォン越しに顔を見て話すことが容易になった今でも、年末年始やお盆、春先には利用者がコーナーの前に列をなす。長浜会長は「これからも大事に残していきたい」と話した。【塩月由香】

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