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「我が家で正月を迎えるのはご褒美」 珠洲で被災、転々とした75歳

毎日新聞 / 2024年12月31日 13時49分

能登半島地震から1年を前に避難所から珠洲市内の新居に入居した藪信子さん。趣味の珠洲焼を並べ、「ちょっと指が欠けちゃったんだけど、無事でよかった」とほっとした表情を浮かべた=石川県で2024年12月30日、滝川大貴撮影

 「お正月の特別な用意はないけれど、ようやく我が家にたどり着いたわ」。能登半島地震で、石川県珠洲(すず)市若山町で被災した藪信子さん(75)は30日、近くの避難所から市営アパートの一室に入居した。自宅は損壊して住めなくなり、親族宅や避難所を転々とした。1年かけてたどり着いた我が家で年越しを迎えられ、ほっと胸をなで下ろす。

 2024年元日の地震で、19年に夫と死別して以来、一人で暮らしてきた自宅は傾いた。床にボールを置くと転がっていく。だが、市の被害認定では準半壊。納得できず計5回、調査のやり直しを求め、その都度「家の中をきちんと見て判定してほしい」と訴えた。仮設住宅の入居資格は、全壊や半壊なら取り壊しを決めたケースなど。4回目の調査後にこの条件を知り5回目の調査を求めたが、結論は変わらなかった。

 地震直後から10日ほど、同県津幡町の長男(51)宅に身を寄せた。珠洲に住む長女(45)の子どもたちも一緒だった。余震が落ち着いてきた1月中旬、自宅に戻った。しばらくたった夜のこと、目が覚めてトイレに行こうとした途端、視界がぼやけた。傾いた家で平衡感覚を失ったのか、頭を床に打ちつけ出血。救急車で病院に運ばれ、入院した。

 退院後は富山県に住む妹(73)の所や、長女宅などを転々とした。4月に長女の息子が小学校に入学し、保育園に迎えに行く「仕事」がなくなると、段々と居づらくなった。とはいえ、自宅に戻ってまたけがをすると、子どもたちに迷惑をかける。年金暮らしのため、自宅の修理や再建は現実的ではない。途方に暮れていると、知人に避難所を勧められた。指定避難所になっている近くの小学校で寝起きすることにした。

 避難所生活が半年となった11月初旬、市職員から「市営アパートの部屋が空いたら入居しますか」との電話があった。「入居したいです」と即答した。

 思えば、泣いて暮らした1年だった。1月中旬、長男宅から自宅へ戻る暗い夜道で、子や孫と過ごしたつかの間のぬくもりとの落差に。避難所に入る際は「私の住む所はこんな場所しかないのか」というみじめさに。10月、通院先から避難所に帰った時は「ここが私の家なんだ」という悔しさがこみ上げ、段ボールベッドの上ですすり泣いた。

 新居となる3DKのアパートの家賃は月額3万5000円。以前より小さいけれど、自分の家だと思うと心が満たされる。「我が家で正月を迎えられるのは、頑張った私へのご褒美や」。新年は、ミカンを食べながらテレビを見てゆっくりと過ごすつもりだ。【洪玟香、砂押健太】

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