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日本橋の青空を取り戻せ 首都高で進む「ほぼ前例ない」地下移設計画

毎日新聞 / 2025年1月3日 14時0分

現在は日本橋の上空を首都高速道路が覆っている=首都高速道路提供

 日本の道路の起点とされる「日本橋」(東京都中央区)。周囲には老舗の商店やオフィスビルが建ち並ぶが、橋の上を通る首都高速の高架に視界が遮られる。青空を望む風情ある景色を取り戻そうと、高速道を地下に移設する計画が動き出している。

 事業区間は、首都高の神田橋ジャンクション(JCT)と江戸橋JCTの間の約1・8キロで、このうち約1・1キロを地下に移設する。両端は既存の高速道と結ばれる。地下区間の開通は2035年度、高架の撤去は40年度を目指しているが、今後の地下工事は難航が予想される。

 移設予定地にある通信網や上下水道、ガス管などの設備は事前に移動させる必要がある。地下鉄3路線が近くを走行しているため、その間を縫うように掘り進めなければならない。日本橋川の水が漏れ出ないような処置も必要だ。首都高の担当者は「ほぼ前例のない工事」と語る。

東京五輪に向け「川の上に高架」

 日本橋の起源は江戸初期にさかのぼる。徳川家康が江戸幕府を開いた1603年、江戸城を中心に町を整備し、日本橋川に木造の橋を架けたと伝わる。木造の橋は浮世絵に描かれ、何度か造り替えられた。現在の石造の橋は1911年に完成し、国の重要文化財に指定されている。

 日本橋周辺は人や物産が集まってにぎわったが、1923年の関東大震災で川沿いの魚市場は全壊し、現在の築地へ移転した。戦後は64年の東京五輪に向けて高速道建設が急がれ、用地買収などの手間が省ける川の上を通ることになった。

地元の熱意が実を結ぶ

 「当時は高速道の建設を期待しながら見ていたんだけどね。いざ完成すると、圧迫感があって橋が暗くなった」。こう振り返るのは、日本橋のたもとに本店を構える三越の元社長の中村胤夫(たねお)さん(88)だ。中村さんが三越に入社した2年後に高速道は開通した。

 中村さんは現在、地元の住民や企業で組織する名橋「日本橋」保存会の会長を務める。この保存会は高速道開通の5年後に発足し、将来の高架の移設を望んできた。

 2000年代には政府が地下化を検討して機運は高まったが、工事の難しさや膨大な事業費が障壁となって実現しなかった。転機は16年、政府が進める「国家戦略特区」に日本橋川沿いの地区が選ばれたことだ。

 首都高全体の修繕や更新の時期と重なったことも追い風となり、周辺の街づくりと地下化の検討が具体化した。課題だった事業費は圧縮して都や中央区、周辺での再開発を担う事業者も負担することで財源のめどがついた。中村さんは「長年の地元の強い熱意が実を結んだ」と喜ぶ。

日本一の高いビル工事も進む

 日本橋川に沿った地区では再開発が進み、景色が変わりつつある。21年にはオフィスビル「常盤橋タワー」が完成した。事業主の三菱地所は西隣に大規模な広場を整備し、災害時には防災拠点として活用する。

 この広場の西側では28年の完成を目指し、高さ385メートルの超高層ビル「トーチタワー」(地上62階)の建設工事が進んでいる。完成すれば、ビルとしては麻布台ヒルズ(港区)の森JPタワーの約330メートルを抜いて日本一の高さになる。

 三菱地所によると、トーチタワーにはオフィスやホテル、ホールに加えて住居部分も設ける。大手町や日本橋はオフィス街のイメージが強いが、同社の担当者は「東京駅から近くアクセスが良いので、ビジネス客だけでなく観光や買い物で訪れる人を増やしたい」と意気込んでいる。【長屋美乃里】

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