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85歳で世界記録 半世紀ぶりに競技再開、マスターズ陸上に出場

毎日新聞 / 2025年1月5日 11時0分

85歳で走り幅跳びの世界記録を樹立し、その経験を著書にまとめた斎藤衛さん=前橋市で、2024年12月23日午後5時1分、庄司哲也撮影

 前橋市の京都大名誉教授、斎藤衛さん(88)がマスターズ陸上競技に初出場したのは、80歳の時だった。85歳で男子走り幅跳びM85(85~89歳)クラスの世界新記録(3メートル83)を樹立した。学生時代は陸上選手だったものの、競技の再開は半世紀ぶり。「加齢による運動能力の低下は不可避だが、低下の幅を抑えることで、誰もが世界記録を目指すことができる」と語る。【庄司哲也】

 競技再開のきっかけは78歳の時、3カ月間で約10キロの減量に成功したこと。それまで膝の痛みを抱え、手すりのない階段は昇り降りさえできなかった。だが、食事の管理によって体が軽くなり、痛みも消えたと気づいた。

 足に少しずつ筋力をつけていった。3日に1回、筋肉に負荷をかけ、2日間休養する。トレーニングで筋肉は一度は壊れるが、休むことで回復し強くなるという考えを取り入れた。「筋肉の痛みで貼り薬をあちこちに貼りつけながらだった」。陸上選手だった学生時代のように走れる体を取り戻したという。

 陸上競技との出合いは小学生の頃、ドイツ・ナチス政権下で開催された1936年ベルリン・オリンピックの公式記録映画「オリンピア」(レニ・リーフェンシュタール監督)を見たこと。同大会で男子100メートル、走り幅跳びなど4冠に輝いた米国のジェシー・オーエンス選手の躍動する筋肉美にあこがれ、畑でオーエンス選手を真似て跳び始めた。

 中学を卒業し、働きながら、県立佐波農高(現県立伊勢崎興陽高)の夜間部に通った。本格的に陸上を始め、走り幅跳びで県大会優勝。北海道大に進学後も続けた。だが、次第に競技から遠ざかり、天文学の研究に打ち込むようになってからは運動する機会はなくなった。

 80歳を前に体が動くようになり、子ども時代のように畑でのトレーニングを開始。自宅の家庭菜園の一角に10メートルほどの助走路を作り、跳び始めた。そして85歳で迎えた2022年7月、富岡市で開かれた第36回富岡マスターズ記録会の男子走り幅跳びで、当時の世界記録を3センチ上回る3メートル80を跳んだ。2カ月後の大会では、さらに3センチ記録を伸ばした。

 練習は無理せず3日に1回のペース。入念に準備体操をし、膝を高く上げるスキップ走などの基本練習を行った後に、ようやく跳び始める。終わった後もしっかりとストレッチ。ただし、屋外練習の期間は限られ、気温が35度以上になる真夏や冬は自宅での筋トレが中心になる。

 運動能力を維持するために取り入れたのが、年齢別評価値(AP値)の考え方だ。年齢の世界記録を100%とした場合、自分の記録が何%かを意識する。走り幅跳びの記録は82歳で3メートル81(AP値92・06)、84歳で3メートル62と下がったが、AP値は逆に92・51%に上がった。加齢で運動能力は低下するが、それを最小限に食い止め、AP値の上昇を図る。

 23年9月、自らの体験を著書「凡才のあなたも日本一になれる~マスターズ陸上競技の楽しみ~」(風詠社)にまとめて出版した。次の目標はM90(90~94歳)クラスでの世界記録の樹立。斎藤さんはこう思っている。

 「私の実践がアンチエイジングに有効とするならば、何歳まで持続できるのかが今後の課題で、研究の対象でもある。日本には私以外にも世界記録を作ったレジェンドたちが今もたくさんいる。この人たちにもっと注目し、なぜかを探れば、超高齢化の時代にきっと役立つはずだ」

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