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雲仙・普賢岳の「ホームドクター」太田一也さん死去 地元で哀悼の声

毎日新聞 / 2025年1月17日 8時0分

報道陣や自衛隊の指揮官(右)に被災状況を説明する太田一也さん(中央)=1991年6月4日、飯ケ浜誠司撮影

 1990年に198年ぶりに噴火した長崎県雲仙・普賢岳の「ホームドクター」と呼ばれた、九州大の旧島原地震火山観測所(長崎県島原市、現地震火山観測研究センター)元所長で名誉教授の太田一也さん(享年90)が15日に死去したことを受け、地元では哀悼の声が上がった。

 96年6月の終息宣言までに計44人が犠牲となった普賢岳の噴火活動では、太田さんは島原地震火山観測所長として、火山活動の観測や監視の最前線に立ち、避難や防災に関する助言や対策に尽力。その後も、備えの重要性を訴え続けた。

 雲仙・普賢岳の噴火災害を伝える島原市平成町の雲仙岳災害記念館の杉本伸一館長(74)は、地域の防災について「『知識』があっても『意識』がないと何もならない」と太田さんから向けられた強い言葉が心に刻まれているという。

 杉本館長は「知識を伝えるだけでなく、防災の意識をいかに高めていくかを常に考えるようになった」と振り返り、「本当に地域に根ざしたホームドクターだった。思いを引き継いでいきたい」と悼んだ。

 噴火災害で被害を受けた島原市安中地区の阿南達也・町内会連絡協議会長(86)は「太田先生は島原温泉の開発にも科学者の立場で助言し、貢献をされた。何か大きなものを失った気がする」と悔やんだ。【松尾雅也】

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