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国内唯一の木製スティック工場 火災乗り越え新たな挑戦 北海道

毎日新聞 / 2025年1月26日 10時30分

氷点下の気温の中、加工のために煮たシラカバから出る蒸気が工場内を幻想的に包んでいた=北海道津別町で2025年1月21日、貝塚太一撮影

 誰もが一度は手にしたことがある使い捨ての「木のヘラ」。駄菓子やアイスのスプーン、餅ベラ、マドラーなどさまざまだ。この木製スティックやスプーンをつくっている工場は国内で一つしかない。北海道津別町にある創業80年、従業員5人の相富(あいとみ)木材加工は、国内産業を守り続けながら、新たな製品開発にも果敢に挑んでいる。

 工場の一日は夜明け前から始まる。原材料のシラカバの木を90度前後で数時間、煮るために釜に火を入れるためだ。柔らかくなったシラカバを釜から出し、厚い皮を二つの機械でむく。そこから「ロータリー」と呼ばれる回転機で2ミリほどの薄い板に加工し、プレス機でそれぞれの形に型抜きする。

 驚いたのは従業員5人が作業中、誰も言葉を発しないこと。機械の音がかなり大きく、耳栓をしての作業だが、「あうんの呼吸」で連動する。シラカバの木が熱いうちにこの工程を進めないといけないため、氷点下となる厳冬期は釜とシラカバの木から出る蒸気が工場内を包み幻想的な光景となる。

 木製スティックを作る会社はかつては国内に10社ほどあった。しかし、約20年前から低価格の中国製品が流通し始めた。次々と同業社が撤退する中で、町の豊かな森と従業員らの意気込みが相富の工場を支えた。しかし、さらなる苦難が襲った。2017年4月、工場が火災で全焼した。強風の日で、シラカバを煮る釜からの出火だった。

 社長の土田京一さん(51)が惨事を振り返る。「昼に出火して、火が消えたのが夕方。当時、専務だった私も従業員たちもただただぼうぜんとする中、先代社長の父がすぐ『やめるのは簡単だ。必ず再建する』と強く宣言しました。その言葉と父の姿は、今も心の支えになっています」と語る。

 土田さんの父親の富保(とみお)さんは21年に社長を退いたが、引退後も工場に入った。翌22年7月、昼休み後に工場でボイラーの火の番をしながら眠るように75年の人生の幕を閉じた。最後まで会社を守り続けた父親の誇りは今、息子に引き継がれている。

 国内で唯一の工場にある機械もまたオンリーワンのものばかりだ。会社は火災後、借金をして工場を再建。機械も道内外の専門業者を頼って修理した。とはいえ、再稼働後の近年も、中国に加えベトナムなどの海外製品の勢いは増していて、棒アイスのスティックは2年前から特注品以外は受注がない。

 50を超える製品の型版がある中で現在の主力商品は中部地方名産の五平餅の平たい串と、餅を食べる時に使うヘラだ。また、病院から「安心安全の国産が望ましい」と増えているのが「舌圧子」の注文。舌圧子は口を開けて診療するときに、医者が舌を押さえるために使うもので、使い捨てできる木製は衛生面でも患者の舌に乗った感触でも好評という。

 近年はレーザーを使って、絵柄や文字、QRコードなどを刻印した商品の開発にも挑戦している。店名やデザインを入れることもできることから「もんじゃヘラ」やふるさと納税の返礼品のタグに採用されるなどし、成果をあげている。

 土田社長は「海外製品に押されている経営環境は変わりませんが、脱プラスチックの流れで国産の木製のよさが見直されているので、『ここじゃないとダメ』という声に応えていきたい」と話した。【貝塚太一】

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