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諏訪湖の「御神渡り」出現厳しく 気候変動影響、583年目の冬

毎日新聞 / 2025年2月8日 13時15分

過去の観察記録を解説する宮坂清宮司=長野県諏訪市小和田の八剱神社で、宮坂一則撮影

 諏訪湖(長野県)が凍らない。湖面の氷が割れて山脈状に盛り上がる「御神渡(おみわた)り」は2018年2月を最後に出現せず、今季は全面結氷すら一度もしていない。拝観に向けて八剱(やつるぎ)神社(諏訪市小和田)が観察する同市豊田の湖面はすでに春の様相で、出現は厳しい状況だ。今日まで続く御神渡りの記録が残る室町時代中期から数えて583年目の立春を前に、これまでの記録を振り返り、かつては厚い氷で覆われた諏訪湖に伝わる逸話を追った。

 御神渡りは、諏訪大社上社の建御名方神(たけみなかたのかみ)が、下社の妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)のもとに通う恋路と伝わる。「神様の恋の通い路」と呼ばれるゆえんだ。

 平安時代末期の公卿で歌人の源顕仲(みなもとのあきなか)が詠んだ歌が、のちに編まれた歌集「堀川院御時百首和歌 冬十五首―凍―」に載っている。

 「すわの海の 氷の上の通い路は 神のわたりて とくるなりけり」

 御神渡りの認定と神事をつかさどる八剱神社の宮坂清宮司(74)は「平安時代に信濃の国の諏訪湖の御渡(みわた)りがすでに京の都人に知られていて、神様が渡られた跡と受け止められていた。すごいことですよ」と話す。

 宮坂宮司によると、最も古い御神渡りの記録は1397年で、諏訪大社上社神長だった守矢家に伝わる古文書「守矢家文書」(県宝)に「御渡り注進状」の控えがあるという。

 今日まで続く記録が始まるのは1443年。諏訪明神の現人神(あらひとがみ)として全国にある諏訪神社の頂点に位置した神職・大祝(おおほうり)家に伝わる「當社神幸記」に1681年まで書かれている。83年からは八剱神社に残る「御渡帳」(諏訪市文化財)、「諏訪湖上御渡年豊凶調書」「湖上御渡注進録」と書き継がれ、「世界に比類ない結氷の記録」(宮坂宮司)となっている。

 御神渡りが出現しない「明けの海」は2024年までの582年間で計80回(記録上は欠落している5回を含む)。50年に10回と突出した1500年代前半を除けば、1700年までの約250年間はおおむね50年に1回、次の250年間は10年に1回と多くなる。

 さらに増えるのは1951年以降で、2024年までの74年間に全体の約半分にあたる39回、このうち直近の24年間に17回を数える。令和になってからは一度も御神渡りの出現がない。

 明けの海の連続記録は、これまで8季が最長で戦国時代の1507年から14年だった。この時の注進記録は「八年間――注進能わず候」と8年間をたった1行で書いているという。次が6季で、1992~97年と2019~24年。今季が明の海なら7季連続で「単独2位」となる。

 御神渡りの出現が減っていることについて、宮坂宮司は、特に1970年以降の気候変動、湖の自然環境の変化を危惧する。「御渡りは自然の摂理による。冬の訪れと春を待つ喜びを覚えず、昔ながらの諏訪湖の風土、景色が見られなくなりつつある」

 今季も毎朝、氏子総代と湖面を観察し、「私たちの願いは一つ。祈りが通じてほしい」と出現を念じるが、暖かい日が続き状況は厳しい。「今は、この状況を克明に記録することが与えられた役割」と話す。

 氏子総代が全員そろっての観察は立春の3日で一区切り。同日に今季の最終判断をする見込みだ。【宮坂一則】

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