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核廃絶へ「燃えている火を絶やすまい」 オスロでよぎった不安と決意

毎日新聞 / 2025年2月12日 6時0分

たいまつを掲げ、市街地を歩く被爆者ら。前列右から2人目が佐久間邦彦さん=ノルウェー・オスロで(原水爆禁止日本協議会/ピースボート提供)

 氷点下の夜の街に輝くたいまつの火は、幻想的だった。歩みを進めるうちに行進の列は少しずつ広がっていく。最後はおよそ1000人にまで膨れ上がり、「ノーモア・ヒバクシャ」のかけ声は大きなうねりとなった。

 「今燃えているこの火を絶やさないために、どうすればよいのか……」

 広島市西区の佐久間邦彦さん(80)の胸には高揚感とともに、一抹の不安がよぎっていた。

世界の闇照らす希望

 佐久間さんは2024年12月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式に合わせてノルウェー・オスロを訪れた。市内のパブリックビューイング会場で授賞式を見守った後、受賞者をたたえる恒例のたいまつ行進に参加。佐久間さんは列の先頭で約1キロを歩いた。

 「暗闇にある一筋の光」

 授賞式のスピーチでノーベル賞委員会のヨルゲン・バトネ・フリードネス委員長は、証言を続ける被爆者の取り組みをそう表現した。佐久間さんには、被爆者、被爆2世、オスロ市民らが一緒になって核兵器廃絶を訴えるたいまつの列もまた、核使用のリスクが高まる世界の闇を照らしてくれる希望に思えた。

 しかし、オスロでは喜んでばかりはいられない出来事があった。

 パレードがあった日の午前中、他の被爆者らと共にノルウェーの国会議員と面会した。佐久間さんは、生後9カ月で爆心地から3キロの自宅で被爆し、11歳の頃に放射線の影響が疑われる病気を患ったことや、体調を崩すたびに死への恐怖に襲われてきたことを伝えた。「79年前に起きたことは過去のことではない。原爆は絶対悪だ」と力を込めた。

 ノルウェーは、米国の「核の傘」に頼る北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だ。ある議員はノルウェーと国境を接するロシアが核の脅しを続けていることを念頭に「ノルウェーが核の傘の下にいることは間違っていない」と被爆者らに向けて言い切った。

 核抑止論が世界の安全保障政策に深く根を張っている現状で、核兵器を使ってはいけないという「核のタブー」をどう伝えればいいのか。現在、核兵器廃絶を訴える被爆者の多くは、佐久間さんを含めて当時は幼くて被爆の記憶がほとんどない。被爆2世や支援者らには記憶だけでなく被爆の実体験もない。そのなかで、どうすれば世界に届く言葉を発信できるのか。改めて重たい現実を突きつけられた。

成長した苗木と再会

 滞在中、うれしい再会もあった。佐久間さんは、17年に「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」がノーベル平和賞を受賞した時もオスロを訪れ、広島の原爆を生き抜いたイチョウの種が市内の植物園に贈られる様子を見守った。

 今回も同じ植物園で贈呈式があり、佐久間さんは被爆樹木の種子を鉢に植えた。植物園では7年前に贈られたイチョウが芽吹き、1メートルほどに育っていた。冬の日照時間が短いノルウェーで、すくすくと伸びた苗木の成長を喜び、そっと抱きかかえた。

 この7年間、ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区へのイスラエルの攻撃など、各地で戦火が絶えなかった。「木々は話すことはできないが、戦争による人間の苦しみを見ていると思う。苗木が大きくなるまでに、世界から核兵器がなくなってほしい」と願う。

 佐久間さんは、3月に米ニューヨークで開かれる核兵器禁止条約の第3回締約国会議に出席する予定だ。「『受賞してうれしい』で終わらせてはいけない。若い世代に向けて覚悟を持って訴え続けます」

文・武市智菜実

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