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後輩たちが忘れないように 神戸大生、震災遺族に思い託され30年

毎日新聞 / 2025年2月12日 18時41分

神戸大の慰霊献花式の参列者に取材する学生(右)=神戸市灘区で2025年1月17日午後1時5分、山本真也撮影

 阪神大震災で学生と教職員ら47人が犠牲になった神戸大(神戸市灘区)に、遺族の声を伝えてきた学生メディア「神戸大ニュースネット委員会」がある。毎年1月17日前後に慰霊の動きを取材し、全国各地の遺族を訪ねてインタビューを掲載してきた。震災30年では多くの遺族から「犠牲者が忘れられないよう伝え続けてほしい」との思いを託された。

 委員会は震災5カ月後の1995年6月に設立。現在の部員は9人で、運動部の活躍や学長選など学内のトピックを発信してきた。震災報道も柱の一つで、発生から1年では犠牲者44人の遺族から追悼手記を集めた。震災25年の2020年に紙からウェブに主軸を移し、特設ページで始めたのが遺族のロングインタビューシリーズ「慰霊碑の向こうに」だ。

 震災発生から数日間の行動や心の動き。幼い頃の思い出や神戸での学生生活。最後に交わした会話、駆け付けた友達……。遺族の語りから極限状態に置かれた日々や亡くなった学生の人となりが浮かび上がってくる。取材依頼の手紙を送ると、大手メディアの取材は断ってきた遺族が「神戸大生なら」と応じてくれたこともあった。掲載はこれまでに19家族となった。

 震災30年で掲載した犠牲者の工学部3年、鈴木伸弘さん(当時22歳)の父弘さん(78)、母綾子さん(77)=浜松市=の取材は24年10月、複数の部員が対面とリモートで実施した。

 2人は震災後、伸弘さんの下宿に駆け付けた。一面焼け野原だった。周辺の避難所を捜したが姿はなく、焼け跡を掘り起こす。震災から2日たっているのに軍手が焦げるくらい熱い。やがて骨が見つかった。弘さんは我が子の死を確認するため、骨を拾い集めた。「本当つらかったですね。骨拾いっていうのは」。死亡診断書を受け取り、お骨を抱えて浜松に帰った。

 部員の4年生の笠本菜々美さん(22)は「震災を知らない私がお二人の体験を想像しても想像しきれない」と胸が詰まる思いがした。それでも伸弘さんの後輩の学生として記録していく責任を感じて質問を重ねた。

 遺体を見なかったため、今も息子が神戸にいる気がするという弘さん。最後に「その後もいろんな災害が起きてね。阪神大震災の関心がだんだん少なくなってきてしまっている中ですけどね。皆さんがこうやってね、聞いて後に伝えてくれるということは本当にね、うれしいことですので。ありがたく思っています」。そう感謝を伝えた。

 大学の六甲台キャンパスには犠牲者の名を刻んだ慰霊碑がある。毎年1月17日に献花式が開かれているが、新型コロナウイルス禍以降、参加者は減り、その存在を知らない学生も増えているという。

 ただ震災30年は前年より約50人多い約250人が参加した。早朝から各地の慰霊行事を取材した部員は会場で号外を配り、遺族の声を集めた。「今年はにぎやかで(故人が)喜んでいると思う」と話す遺族や「学生が毎年入れ替わるのに取材を続けてくれてありがたい」とねぎらいの言葉をかけてくれる遺族がいた。

 「慰霊碑の向こうに」では、インタビューを進めると多くの遺族が「あの下宿に入れていなければ」「震災直前に帰省した時に神戸に帰るのを引き留めていれば」などと心の奥に抱える自責の思いを語り始める。代表の3年、奥田百合子さん(21)は「遺族の悲しみに節目はない。30年以降も後輩の学生が忘れることがないよう今後も取材を続け、記録に残していきたい」と話す。【山本真也】

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