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全国に2か所だけ「名瀬測候所」130年ぶり移転 米軍統治下「教科書密航」舞台の1つに 鹿児島・奄美市

MBC南日本放送 / 2024年11月28日 19時35分

MBC

(気象予報士)
奄美市にある気象庁の名瀬測候所についてお伝えします。

(キャスター)
奄美の天気をお伝えする時、よく出てきますよね。

(気象予報士)
名瀬測候所は、小さな気象台のようなイメージで、奄美地方の予報や観測を行っています。

しかし、この「測候所」は30年ほど前までは全国におよそ100か所ありましたが、今は名瀬と北海道・帯広の2か所しかないんです。

名瀬測候所がこのほど、130年ぶりに今の場所から移転することになり、奄美に取材に行ってきました。測候所の歴史をひも解くと、戦後奄美の教育との「関わり」も見えてきました。

(気象予報士)「名瀬測候所やってきました。私は初めてきたが、もう間もなく移転します」

奄美地方の天気を予報、観測する「名瀬測候所」。鹿児島地方気象台の直轄、ではなく、その上の組織、福岡管区気象台直轄の機関です。

全国で2か所しかない「測候所」。奄美にある理由は?

(福岡管区気象台業務課 金山智教・課長補佐)「通信技術の発展や観測技術の向上が理由で測候所がなくなっていった。鹿児島県は奄美を含め南北に長いのでそこを網羅するために名瀬測候所が必要」

気象観測の自動化で測候所が姿を消す中、奄美のように本土から遠い離島は、本土の気象台だけではカバーできないのです。

その名瀬測候所の歴史はおよそ130年前にさかのぼります。

(福岡管区気象台業務課 金山智教課長補佐)「明治29年に別の場所に中央気象台の大島測候所として設置されたのが始まり。その1年後に現在の場所に移転」

太平洋戦争で庁舎が消失し、存続が危ぶまれた時期もありましたが、およそ130年、同じ場所で奄美地方の予測や観測を担ってきました。

今の庁舎は、60年ほど前(1967年)に建てられたもので、28日でその役割を終えます。

(福岡管区気象台業務課 金山智教・課長補佐)「耐震性能の不足・老朽化が理由。海上保安部と測候所が同じ建物に入るので、防災拠点となることが有意義」

測候所が移転するのは、現在の庁舎からおよそ700メートル離れた国の合同庁舎。「津波避難ビル」の役割も担っています。

あいにくの空模様となった26日。新庁舎への移転の準備が着々と進められていました。

(Q.エレベーターはない?)
「ないです、次の場所にはあると聞いた」

気象の観測機器も引っ越しです。奄美市名瀬の気象データを日々観測してきた風向きや風速、気温や湿度をはかる機器を慎重に取り外し、それぞれ梱包していきます。

(福岡管区気象台業務課 金山智教課長補佐)「観測機器の移設はとても繊細な事業」

新庁舎に移された機器での観測は、27日から早速始まっています。

移転が進む名瀬測候所。歴史をひも解くと、戦後、アメリカ軍の統治下にあった奄美の教育に、「関わり」があったことも分かりました。

奄美市の奄美博物館に文献が残っていました。

(奄美市立奄美博物館 喜友名正弥学芸員)「こちらの2冊が教科書の密航について詳しく書かれた資料です」「日本と分断されていたので物資が入ってこず生活も苦しい時代」

「日本の教科書が届かず、先生自作のプリントや戦前の教科書を使った」

終戦後、アメリカ軍が奄美を統治下に置いた8年間。奄美の子どもたちに少しでも質の良い教育を受けさせたいと、島の教員たちが本土に密航し、本土の教科書を持ち込んでいました。

当時、命がけで教科書を運んだのが、名瀬中学校の教員だった深佐源三さんと、奄美小学校の教員だった森田忠光さん。

森田忠光さんの弟・勇さん(82)と会うことができました。

(教科書を運んだ忠光さんの弟 森田勇さん)「学校の再建のために一生懸命やっていた(Q.それで教科書を?)うん」

兄の忠光さんと20歳ほど年が離れていた勇さん。奄美の教育に尽力した忠光さんは特別な存在だったようです。

(教科書を運んだ忠光さんの弟 森田勇さん)「別格ですね家の中でも。昔の先輩たちがみんなで一生懸命、教科書集めや全てをやってくれた」

では、教科書の密航と名瀬測候所は、どんな「関わり」があったのでしょうか?

(奄美市立奄美博物館 喜友名正弥学芸員)「教育資料や教科書を積んで戻るが、隠した場所が名瀬の測候所だった」

アメリカ軍の統治下にあった奄美の中でも、名瀬測候所は日本政府の管轄でした。いわゆる治外法権的な場所で、資料では、教科書を隠すために「測候所は一番安全な場所だった」と書かれています。

およそ130年、気象の予測や観測を担ってきた名瀬測候所は、戦後・奄美の歴史との関わりもありました。

(キャスター)
その測候所も今では全国で帯広と名瀬の2か所だけになり、効率化も進んでいますね。

(気象予報士)
気象観測や通信技術の発展で、名瀬測候所の職員は30年ほど前には50人いましたが、現在は15人となりました。

効率化が進む中であっても、南北600キロとエリアが広大な鹿児島では、奄美の離島の気象予測、防災の拠点として、名瀬測候所が今後も重要な役割を果たしていくことになります。

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