阪神・淡路大震災から30年 専門家「現代の新たな不安も」 鹿児島
MBC南日本放送 / 2025年1月17日 19時58分
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災からきょう17日で30年です。
ニューズナウでは特集でお伝えしています。
(記者)
震災から、世代が入れ替わるといわれる30年が経ちました。現地を取材して、多くの人から聞かれたのは風化を懸念する声です。
神戸に暮らす県出身者の思いや鹿児島での地震のリスクや備えについて取材しました。
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(神戸鹿児島県人会連合会会長 後村道男さん)「自然は怖い。自分たちだけでは乗り越えられない」
1995年1月17日午前5時46分。兵庫県南部でマグニチュード7.3の地震が発生し、神戸市などで最大震度7を観測。6434人が亡くなりました。
(記者)「連休明けの朝早く、この街は大地震に襲われた」
霧島市出身の後村道男さん(78)です。中学を卒業後、集団就職で15歳のときに神戸に移り住み、鉄鋼メーカーに就職。
30年前、震度6を観測した西宮市の社宅で強い揺れに襲われました。
(神戸鹿児島県人会 会長・後村道男さん)「最初に地震に気が付いたときは戦争が起こったかと思った。慌てて飛び出した」
「東日本大震災や能登半島地震が起こるたびに思い出す。火災や家が潰れたり、高速道路が倒れているのを見て、こんなことが本当に起きたのかと夢みたいな感じだった」
後村さんは、県出身者らでつくる神戸鹿児島県人会の会長を務めています。後村さんのように集団就職で東京や大阪の都市部に多くの人が移り住んだ高度経済成長のまっただ中、各地で県人会が立ち上がりました。
神戸鹿児島県人会も1960年に結成。しかし、当時1000人以上いた会員は今は400人ほどに減りました。
後村さんは人と人の繋がりを大切にしつつ震災の経験を語り継いでいきたいと話します。
(神戸鹿児島県人会 会長・後村道男さん)「県人会の高齢化が顕著。あと5年後はどうなるか。人間関係が希薄になってきている。30年で世代が交代すると言われていて記憶は薄れていく」
「自分のことは自分で守ること。ひとりではできないことがたくさんあるので、共に助け合うこと」
県人会のメンバーの一人、小松大作さん(81)です。
震災当時、神戸市の職員だった小松さん。震度6を観測した神戸市須磨区の自宅で被災後、家族の無事を確認し急いで市役所に向かいました。
(小松大作さん)「浜のほうに行くと大変な状況。ガスのにおいがすごかった。事務所が無茶苦茶になっていて書類が飛んだり机が動いていたり壁には亀裂が入っていた」
小松さんは発災から半年間、支援物資の受け入れに追われました。
震災の4年後からは、神戸市の市長室長として街の復興を見守りましたが「地震前の行政の備えは十分ではなかった」と後悔しています。
(小松大作さん)「地震は今までも経験したことがなく、備えもなかった」
Q.地震の想定や避難計画は?
「形式的なものはあったが意識としては全然なかった」
鹿児島県が防災計画で想定しているのは12の地震です。
そのうち、阪神・淡路大震災のような直下型地震は鹿児島湾直下、県西部直下、県北西部直下、県北部直下などの6つです。
(鹿児島大学 井村隆介准教授)「ある程度想定をしないと対策はできないから想定をすること自体は間違いない。ただ、その想定が全てではない」
「震度7に相当する揺れはどこでも起こりうると考えておかなければ」
地震地質学が専門の鹿児島大学の井村准教授です。大阪出身で、震災から2週間後に現地調査にあたりました。
(鹿児島大学 井村隆介准教授)「細かい路地とかも入ったりして大好きな街だったがそこがこうなるのか。無慈悲だった」
地震による直接死ではなく、けがの悪化や避難生活の負担が原因で亡くなる「災害関連死」。阪神・淡路大震災では高齢者が多くを占めました。
国の調査によると、2011年の東日本大震災では70歳以上がおよそ87パーセント、2016年の熊本地震でもおよそ78パーセントでした。
井村准教授は「仮に地震で命が助かったとしても、その後しばらく続く避難生活もイメージしておくことが必要」と訴えます。
(鹿児島大学 井村隆介准教授)「生き残った人たちはサバイバー、そこから先に更に生きていくことを必ずしないといけない」
「そこで生き残って生活していくのかそれとも離れていく選択をする人もいる。生き残った人が覚悟を決めなきゃいけない」
その上で、30年前と違い今はスマートフォンが普及して便利になったことが、災害時にはかえって落とし穴になる可能性があると指摘します。
(鹿児島大学 井村隆介准教授)「みんな今は携帯の中に全ての情報が入っている。現金すら使わないという状態。そういう中で電源が落ちてしまうとバッテリーがないとどうしようもない」
「伝言ダイヤルを伝えるためには相手と自分の電話番号をわからないと使えない」
神戸市の大倉山公園です。鹿児島県人会は震災の4年後、慰霊碑を建てました。
亡くなった県出身者203人の名前が刻まれていて、週に1回掃除をし、毎年1月17日は慰霊式を開いています。
17日も県人会のメンバーや遺族らおよそ80人が集まり花を手向けました。
(小松大作さん)「生活の中で防災は重く語られないが、災害に対する備え、家族との連絡体制など、この日を大切にしてほしい」
(記者)
県出身のひとたちからは「鹿児島の人たちにはきょうのような節目の日だけでもいいのであの震災を思い出し、防災について考えてほしい」との声がきかれました。
この30年で東日本大震災や熊本地震、能登半島地震など各地で大きな地震が起きています。鹿児島でいつ起こってもおかしくない大地震を他人事とせず、「その時」に備えておくことが大切だと感じました。
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