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「私自身の存在感が無くなっている気がする」軍事クーデターで祖国に帰れず...日本で働くこともできず 難民認定を求めたミャンマー人女性の3年 願いは"家族に会いたい"

MBSニュース / 2024年2月7日 13時35分

 2016年にミャンマーから日本へ留学に来た女性。来日からしばらくしてコロナ禍に。そこに重なったのが祖国の軍事クーデターです。そんな中で難民申請をしましたが、日本の出入国在留管理庁の厳しい現状に直面しました。働くこともできず、祖国に帰ることもできない、彼女の3年間を取材しました。

 クーデターから3年、ミャンマーの民主化を求めて、大阪の街頭で訴えるミャンマー人たち。

 (街頭で訴えるミャンマー人たち)「ミャンマー国軍との戦いに勝つぞ!」

 その中にいたプィン・マー・ピューさん、34歳。祖国に帰ることはできません。

 (プィン・マー・ピューさん)「私が思う民主主義は、表現の自由、行動の自由があることだと思います。いまミャンマーには民主主義が存在しません」

 3年前、人生は一変しました。2021年2月、国軍によるクーデターが起こったミャンマー。ミャンマー国軍は民主化を求める市民に容赦なく銃を向けました。これまでに4400人以上が殺され、2万5000人以上が拘束されたといいます(政治犯支援協会AAPP調べ)。

留学で日本へ 帰国を考えるも“国軍が自分を探している”と知り…

 突然のクーデターで祖国へ帰れなくなった若者たち。3年前の2021年4月、支援者のアウン・ミャッ・ウィンさん(49)を訪ねるマーさん。

 (ウィンさん)「お茶とチャーハンちょっとだけ食べて」
 (マーさん)「おいしい。ありがとうございます」

 マーさんの祖父であるングウェ・フラインさんは、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟「NLD」の幹部でした。祖父は国軍に何度も拘束されたうえ、体調を崩して亡くなります。

 マーさんはミャンマーの大学で法律を学びながら国軍に抵抗して民主化運動に参加していました。2016年に日本に留学。ところが、コロナ禍でアルバイトができず、学費の支払いが滞ることに。ついに留学生ビザが失効して不法滞在の状態になりました。仕方なく帰国を考えていた時、ミャンマー国軍がマーさんを探しているという情報が入ります。

 (プィン・マー・ピューさん)「日本に来たのはある意味(国軍の迫害から)逃れて来たかたちなので、私はずっと日本に住むつもりはなくて、いつかミャンマーに帰るつもりだった。ただ帰ろうとした時に母から連絡があって、実家に警察や区役所、国軍が来て『娘がどこにいるのか』と聞かれたので、母から『帰ってきたら危険だ』と言われた」

 ビザが失効したマーさんは仮放免の身です。仮放免とは「入管施設への収容を一時的に解く」措置です。仮放免だと入管に毎月出頭して仮放免の延長許可をもらわなければなりません。

帰国もできず日本で働くこともできず…不安募る日々

 マーさんは2020年8月、安心して日本にとどまる権利を求めて難民申請しました。しかし、2020年の日本の難民認定者は47人。認定率はわずか0.5%に過ぎません。

 入管に来ると、近くの海辺で、家族に電話します。

 (付き添っていたウィンさん)「入管に行くとすごく悩むから、ここに来ると落ち着くからって」

 インターネットは国軍に遮断され、つながるかは運次第です。この日はついていました。

 【テレビ電話でのやりとり】
 (マーさん)「おばあちゃん~!おばあちゃん元気?」
 (祖母)「元気よ、きれいになったね」
 (マーさん)「きれいでしょ?おばあちゃん見えないよ、携帯電話を下におろして」

 帰国して家族に直接会いたくても願いは叶いません。そして日本では仮放免の身。働くこともできず貯金を取り崩す日々に不安が募ります。

 (プィン・マー・ピューさん)「(仮放免で)労働を禁止されているので、私自身の存在感が無くなっている気がします。これからが不安です。労働禁止は人権侵害だと思います。いまミャンマーでクーデターが起こり、犠牲になった人たちや戦っている人たちにお金を寄付したいけど、それさえできない人間なので。私自身が使えない人間だとわかってきて、とても落ち込んでいます」

『緊急避難措置』で働ける希望 しかし…

 そんなマーさんに朗報が訪れました。2021年5月、日本政府がミャンマーの情勢不安を理由にミャンマー人への緊急避難措置を出したのです。

 (マーさん)「うれしいです。とてもうれしいです」
 (ウィンさん)「(緊急避難措置で)特定活動というビザをもらったら、きょうからでも働けますから」
 (マーさん)「仕事もできるし」

 入管のホームページには「難民認定申請者については、難民該当性が認められない場合でも、緊急避難措置として在留や就労を認める」とあります。

 しかし結果は意外なものでした。

 (ウィンさん)「彼女のような仮放免者は緊急避難措置に入っていませんと言われて、在留資格をくれませんでした。だからもらえません、彼女は。もらえないので彼女はそのまま」

 (プィン・マー・ピューさん)「何もしゃべれません。悲しい。(Qなぜ在留資格がもらえない?)わからないです。きょう来た時はとてもうれしかったけど、いまはちょっと(悲しい)。なぜ(許可が出ないのか)わからない」

 出入国在留管理庁は取材に対して、「緊急避難措置での在留特別許可は、仮放免者も含め、ひとりひとりの状況を踏まえ判断している。それぞれの判断理由は言えない」とコメントしました。

 日本での在留を認めるか否かの判断は入管の裁量で決まります。マーさんは引き続き難民認定の結果が出るのを待つことになります。

 ミャンマーでは2022年から国軍と民主派の内戦が激しさを増しました。空爆で自国民を焼き討ちにする国軍に対して、民主派は少数民族の部隊と協力し反転攻勢を強めていて、230万人を超える国内避難民が生じています。

難民申請から3年以上たった今年1月 入管から手紙が

 2023年12月、難民申請から3年以上が経ちました。結果はまだ出ません。毎日、祖国の状況が心配でなりません。

 (プィン・マー・ピューさん)「お母さんの家の近くで(国軍の爆弾が)爆発したと言っていました。お母さんも怖がっていて、私も心配しました」

 2024年1月、マーさんのもとに入管から一通の手紙が届きました。「1月17日に出頭せよ」との連絡です。

 そして迎えた1月17日、ついに難民申請の結果が出ます。

 (プィン・マー・ピューさん)「またダメだったら、すごく悲しくなります。なんとか難民申請の結果を3年待っています」

 そして…。

 (プィン・マー・ピューさん)「(難民認定を)もらいました。うれしいです、本当に」

 マーさんは難民と認められました。「帰国すれば迫害の恐れがある」というのが理由でした。

「自分が好きな場所は自分の家。早く平和になってほしい」

 帰り道、家族へ電話がつながりました。

 【テレビ電話でのやりとり】
 (マーさん)「在留資格をもらえたよ。難民申請が認められた」
 (祖母)「よかった、うまくいって本当によかった。元気でいてね。仏様のこと、親のことを忘れないで。ちゃんとお祈りしてね」
 (マーさん)「おばあちゃんも健康でいてね」

 (プィン・マー・ピューさん)「自分が好きな場所は自分の家だから、(ミャンマーにいつか)帰りたい。家族も7年くらい会ったことないから、だから早めに平和になりたい。平和にならないと、私も帰ることはできません」

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