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"95歳のゲイ"が時代の変化を実感「ゲイの人がぎょうさんいるとは知らなかった」 かつては精神疾患とされた同性愛...差別・偏見の中で生きてきた人生

MBSニュース / 2024年5月18日 15時40分

 長年「ゲイ」であることを隠し、孤独の中で生きてきた95歳の男性。かつて同性愛は“一種の伝染病”や“異常性欲”だと考えられ、男性は「ものすごく生きづらかった」と振り返ります。そんな“95歳のゲイ”は今、時代の変化を感じているようです。

「男と男の恋愛、女と女の恋愛も、少しも恥ずかしいことはないで」

 今年5月14日、同志社大学の授業に招かれた長谷忠さん(95)。長谷さんは同性愛者で、誰かと交際したことも性交渉の経験もありません。同性愛が病気とされていた厳しい時代を生き抜いてきました。

 (長谷忠さん)「みなさん聞いたことあります?LGBTというの。活字で読んだこともあるの?あぁ、うなずいているね、みんな。知っているわけね。自分でLGBTやと思った人はいる?自分でそう思っている人もいるの?えらいわ。だけど、それを秘密をしているやろ?言ってる?」
 (学生)「うん、言ってます」

 (長谷忠さん)「開けっ放しやな、えらいわ。なかなかそれを言われへんのよね。同性愛者が汚らわしい、汚いという考えを昔は持っていた。今は同性愛者って言われても、そこそこは理解のある人が増えているかと思うんですけどね。男と男の恋愛、女と女の恋愛というのも、少しも恥ずかしいことはないで」

詩や小説の中で“本当の自分”をさらけ出す「ひとりの詩人になれたことが僕の誇りやった」

 大阪市西成区で、月12万円の年金でひとりで暮らしている長谷さん。部屋の壁には、雑誌や新聞紙から切り抜いた好みの男性の写真を貼っています。

 (長谷忠さん)「なんていう人か知らんねん、わからへんねん、この人、どこの人か。年格好はわかる。この顔が一番好きやねん。いいと思うやろ?」

 長谷さんは時間があると、短歌や俳句をしたためます。実は、過去に詩集や自身の半生を描いた小説を出版しています。創作活動の時に使う名前は「康雄」。34歳のときに、詩の新人賞で最も歴史のある「現代詩手帖賞」も受賞しています。

 (長谷忠さん)「僕の場合は文学に惹かれたのが大きかったよ。ひとりの詩人になれたことが僕の誇りやったからね」

 本当の自分をさらけ出すことができたのは、「康雄」の名で書いた詩や小説でした。1960年代の自らを描写した小説には、次のような一節があります。

 『男たちに誘われて温泉地のストリップショーを見に行っても少しも楽しくなかった。(中略)男子部員の手前もあって興奮した顔をしていた』
 『よほどの覚悟がなければ生き通すことはできない。(中略)性を通しての自分に対する一生の恨みつらみであり、運命への憎しみでもある』

“治療可能な精神疾患”とされていた同性愛 「ものすごく生きづらかった」他人と話ができず家族とも疎遠に

 同性愛者への差別や偏見が広がったきっかけは、100年以上前にさかのぼります。1915年に発表され同性愛を医学的に論じた『変態性欲論』には、同性愛は“治療可能な精神疾患”とされ、一種の伝染病であり、まん延すれば社会を破壊すると考えられていました。

 同性愛が病気だと認識された頃、長谷さんは香川県で生まれました。初恋は、小学校の男性教諭でした。

 (長谷忠さん)「(Q告白はした?)しない、告白なんて一切していない。そういうことをできない、その頃は。男が女を好きになると簡単に告白できるけど」

 長谷さんは戦後、大阪に移り住み、電報配達やビルの清掃員など11もの仕事を転々としました。身の上話になり「なぜ結婚しないのか」と聞かれるのが嫌で、仕事仲間と親密になるのを避けてきたそうです。同性愛者である自分が近くにいると迷惑になると思い、母やきょうだいとは次第に疎遠になりました。

 (長谷忠さん)「ものすごく生きづらかった。人と話をすることができない。もし他人から『同性愛者気味の人間やな』と言われたら、『違います』って言う時代や。他人の言葉を遮って、偽の言葉で隠すわけよ」

 日本では1990年代まで国が同性愛を病気とみなし、辞書にも『異常性欲』と記されていました。長谷さんは人生の大半を偏見や差別に耐えながら生きてきたのです。

人生初の東京で時代の変化を実感「ゲイを理解できる人は多くはないけど、少なくもないと思いたい」

 今年4月、新幹線で人生初の東京に向かった長谷さん。

 (長谷忠さん)「初めてや。日本という国がこんなところやと見せてもらったのは。東に来たことがない」

 渋谷周辺では『東京レインボープライド』というイベントのパレードが行われました。今年は約1万5000人が参加。長谷さんは同性婚の実現を目指すグループと一緒に、虹色の旗を掲げながら車椅子で行進しました。

 (長谷忠さん)「こんなん初めて知ったよ。びっくりしたわ。ゲイの人がぎょうさんいるとは知らなかった。ゲイを理解できる人は多くはないけど、少なくもないと思いたいわ」

 沿道で多くの人たちが声援を送る姿を見て、時代が大きく変わったことを実感しました。

 (長谷忠さん)「(Q今の時代に長谷さんが生まれていたら生き方はどう変わった?)好きな男がおったら結婚するわよ。結婚して周囲が認めなくても、2人の生活をやったら楽しいやんか。同性愛者を異性愛者がどのように認めていくかということで、世の中はだいぶ変わってくると思うよ」


 ◎長谷忠さんに密着したドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』は、東京のポレポレ東中野や大阪の第七藝術劇場などで全国公開中

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