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「友人は爆弾で吹っ飛ばされ、10m離れた所に遺体が」大阪にも投下された『模擬原爆』の実態 99歳の証言「いまだに耳の底へよみがえる」

MBSニュース / 2024年8月12日 19時33分

 79年前、1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原子爆弾が投下されました。そして実は関西にも、その“リハーサル”として「模擬原爆」と呼ばれる爆弾が投下されていました。 戦争を直接知る人は年々少なくなってきています。そんな中、後世に体験を伝えようとする人と、模擬原爆について研究する若者がいます。

「ドッシーン、バリバリ」建物を直撃した“模擬原爆”

 大阪市東住吉区の田辺地区に住む龍野繁子さんは、99歳になった今も自宅で茶道を教えています。戦時中から住んでいる家の畳の下には、空襲警報のたびに家族で避難していた防空壕がありました。

 (龍野繁子さん)「家の中へ防空壕を掘りましたよ、みんな。上から屋根や瓦が落ちてきたらどうにもならない。でもその時はそういうことで命が助かるって考え方だった」

 いつ爆弾が落ちるかとおびえる日々を過ごしましたが、空襲にあうことはなかったといいます。しかし、79年前の1945年7月26日、田辺地区に一発の爆弾が落ちました。

 (龍野繁子さん)「ドッシーンって音とバリバリって天井を突き抜ける音がした」

 教員だった龍野さんは、子どもたちと勤労動員先のボタン工場にいた際、近くの建物を爆弾が直撃しました。

 (龍野繁子さん)「大人2人でも抱えられないような大きな石が空をぐーっと、100m以上(飛んできた)。大きな石が空を飛んできたんですよ。爆弾の力って恐ろしいとその時初めて思いましたね」

 使われたのは通常の空襲のものとは違う特殊な爆弾でした。それが、模擬原爆。

模擬原爆は全国に49発投下され約400人が犠牲に

 終戦直前、広島と長崎に相次いで落とされた原子爆弾。世界で初めてとなる核兵器の使用を前に、アメリカは入念な準備を進めていました。

 丸みを帯びた形で、通常の爆弾より高い位置から投下する原爆は、目標に正確に落とすのが難しいことが課題でした。そこで、長崎に落とされた原爆「ファットマン」とほぼ同じ形・大きさの爆弾に、核物質ではなく、通常の爆薬を詰めた「模擬原爆」を使い、投下訓練を繰り返していたのです。

 原爆の投下候補地とされた京都や広島などの周辺都市を中心に、7月20日から8月14日までの間に49発が落とされ、約400人が犠牲になりました。

「爆弾で吹っ飛ばされて…」犠牲になったトシちゃん

 そして、そのうちの1発が大阪・田辺に落とされたのです。この巨大な爆弾で7人が亡くなり、その中に龍野さんの友人も含まれていました。

 (龍野繁子さん)「トシちゃんっていう姉の親友が田辺の駅の近くに住んでいた。爆弾で吹っ飛ばされて遺体(の場所)がわからなかったんですよ。10m飛ばされた所に遺体があったんです。なんともいえない嫌な時代ですね。二度と来てほしくないですね」

 爆弾が落ちた場所に近い恩楽寺では、毎年、模擬原爆が投下された7月26日に追悼式が行われています。龍野さんはこうした機会に当時の体験を参加者らに伝えてきました。

「いまだに耳の底へよみがえってくる」

 (龍野繁子さん)「『空襲なんてあるはずないよね』なんてことを言っておりましたので、あの音にはびっくりしました。いまだに耳の底へよみがえってまいります。今ここにいる小学生中学生の人たちは今を楽しんで生活できると思う。戦争中は楽しむなんてことは考えることもなかったです」

 しかし終戦から79年がたち、体験者の生の声を聞くことは少しずつ難しくなってきました。

 (龍野繁子さん)「私たちがどれだけやりたいと思っても体力がついていかないから。やっぱり今の若い学生さんたちがどう取り組んでくれるか、見守っていきたいと思います」

原爆は広島・長崎だけの問題じゃない

 こうした中、模擬原爆の実態を突き止めようと研究を続ける若者がいます。大阪出身で神戸大学大学院に通う西岡孔貴さん(26)です。模擬原爆の研究を始めたきっかけは、大学1年の時、広島平和記念資料館で見た模擬原爆についての展示でした。

 (西岡孔貴さん)「まさか自分の地元の文字を見るとは思わず、衝撃だった。原爆は広島・長崎のものだけの問題じゃないかもしれないなと関心を持った」

 アメリカ軍の資料から、神戸にも4発の模擬原爆が投下されたことが分かっています。そのうち3発についてはどこに落ちたか特定されていますが、神戸製鋼所を目標としていた残る1発の正確な着弾地点は分かっていません。

手がかりは地元警防団・副団長の“日記”

 西岡さんはその位置を突き止めようと、当時の資料などをあたってきました。目をつけたのが、地元の警防団の副団長だった男性の日記でした。模擬原爆が神戸に投下された7月24日の欄には、次のような記述があります。

 『編隊は波状的に近畿に入り当市にも製鋼所付近および北方山中に投弾』

 記述をヒントに、終戦直後に撮られた航空写真を確認したところ、製鋼所の北に位置する摩耶山の山中に地面がむき出しになっている場所を見つけました。模擬原爆が落とされたのは摩耶山ではないのか…。

 西岡さんらは去年の11月と12月に現地に入り、金属探知機を使って調べたところ、深さ10cmの地中などから、8個の金属片を見つけました。

 (西岡孔貴さん)「これが神戸の山中で出土した鉄片の1つです。結構分厚さがある。何かしら爆弾が落ちたところなんだろうという仮説が裏付けられる」

 金属片は鉄でできていて、その形やネジ穴の特徴などから、爆弾の一部の可能性が高いといいます。西岡さんらは、これが模擬原爆のものかどうかを調べるため、検査会社に成分分析を依頼しています。

「模擬原爆は現代にもつながる」79年経った今もなくならない“核兵器問題”

 (西岡孔貴さん)「今調査をすることで、よりリアルに、当時わからなかったことを明らかにできる」

 次第に明らかになりつつある模擬原爆の実態。西岡さんは研究を進めることで、より多くの人に核兵器について考えてもらいたいと話します。

 (西岡孔貴さん)「核兵器の問題は今の国際情勢でもずっと存在している。模擬原爆を取り上げることは現代にもつながるという意味で意義を感じます。多くの方に模擬原爆が投下されたことを知っていただいて、それをきっかけに様々なことを考えていただく、そうしたきっかけを提供できれば」

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