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「私はこの世にいませんが...」自分が出演する"メッセージビデオ"を葬儀で上映 ビデオ制作中に家族への思いあふれ涙「作ってよかった」【終活】

MBSニュース / 2024年9月22日 10時25分

 「このビデオが流れているとき、私はこの世にいません」 身辺整理など“人生の終わり”に向けて行う活動=終活。その1つの形として、生前に「メッセージビデオ」を作りたいという人が増えているそうです。自らの「お別れの会」をプロデュースした男性。そして、外国で暮らす子どもたちにメッセージを残したいという夫婦。どのような思いでビデオを作ったのでしょうか。

「私をネタにお酒を…」生前の自分の映像を“お別れの会”で上映

 去年12月、神戸市内のホテルで行われたのは、腎臓がんの治療を5年近く続けて亡くなった松尾茂樹さん(当時61)の「お別れの会」。亡くなる2か月前の松尾さんは、抗がん剤が効かなくなり、緩和ケア中心の治療に切り替えて闘病生活を送っていました。

 大学のメンバーと集まったりテニスやゴルフを楽しんだり、残された時間を存分に生きる決断をした松尾さんは、自分の「お別れの会」の計画を立てていました。会場で使う写真や花、流す音楽も全て自分で決め、メッセージビデオも収録。医師から「余命が長くない」と告げられ、準備を始めました。

 (松尾茂樹さん)「こちらは、『訃報のお知らせ』と『お別れの会のご案内』。自分が元気なうちにできる範囲でやっておいて…。『松尾の生き方を忘れないようにしておきたい』と言ってくれる人が結構多くてね。うれしいし…」

 そんな言葉をのこして松尾さんは去年9月に息を引き取りました。61歳でした。3か月後に開かれた「お別れの会」では松尾さんの希望どおり、ひまわりの花で祭壇が作られ、メッセージが流れました。

 【メッセージビデオより】
 「このビデオが上映されているということは、私はすでにこの世にいないということになります。ビデオ上ではありますが、ご挨拶を。私の実体はこの世にはいない状態ですが、皆さまがふとした時に思い出していただいたり、私をネタにお酒を飲んでいただいたりして、心の片隅や記憶の中に私のことを残していただければ、非常にありがたいことでうれしく思います」

 献花は、大好きな松田聖子さんの曲で。これも松尾さんの希望でした。

 (参列者)「ご本人がプロデュースしたお別れ会に出ることはなかなかない。松尾さんが思ったとおりの、みんなが悲しむのではなく楽しんで見送ってくれたらいいなという松尾さんの思いが伝わっていて素敵だなと思いました」

 (松尾さんの長男・拓大さん)「父が想像していたとおりというか、願っていたとおり、湿っぽくならず皆さんが和気あいあいとしていただいているので良かったかなと思います」

字は書けないがビデオなら 離れて暮らす家族へのメッセージ

 司会とビデオを制作したのは、松尾さんの大学の同級生で元MBSアナウンサーの子守康範さんです。子守さんは大阪でビデオ制作会社を経営していて、松尾さんのように生前にメッセージビデオを作りたいという依頼が少しずつ増えているといいます。

 (子守康範さん)「“思い”は十人十色で全く違うので、その“思い”にどれだけ即したものを作れるか、毎回試行錯誤です。(誰もが自分の死後を)体験していないので、どういうことかわからないけれど頼んでみたいと」

 今年2月、子守さんの会社に千葉県から訪れた大山さん夫妻。妻の静美さん(85)は49年前、台湾から来日しました。元気なうちに外国で暮らす子どもたちにメッセージを残したいといいます。

 (子守康範さん)「特に『これは言っておかなあかん』ということはありますか?」
 (大山静美さん)「たぶん、全部…ざっくばらんという感じで」

 文章で残そうとしましたが、静美さんは字が書けません。ビデオならできる、と収録に臨みます。

 【収録の様子】
 (大山静美さん)「本日は私の葬式に来ていただいて、ありがとうございます」
 
 (子守康範さん)「『もう亡くなっていない』ということと、『ありがとう』を言いましょう」
 
 (大山静美さん)「このビデオを見ていただいている時は、私はもうこの世にはいません。当時のあなた(三男)は自分の生活でも精いっぱいで大変だったのに、よくやってくれましたね。それだけじゃなく、兄弟たちの分も頑張って応援してもらって感謝します。本当によくやりました。ありがとうございました」

 子どもたちへの感謝の言葉も。別れの時は来ていないけれど、家族への思いが交錯します。

「子ども・孫への思い出…最後のメッセージという感じ」

 3歳の時に父を亡くした静美さん。親戚の家に預けられ、学校にはほとんど通えませんでした。2回結婚し、息子4人に恵まれましたが、夫の借金返済に追われ離婚。叔父を頼って36歳の時、3人の息子と来日しました。長男は兵役のため台湾に残りました。日本では貯金を取り崩しながら生活をしていましたが、長くは続きませんでした。

 (大山義男さん)「どうしようもない、何か収入の道を考えないといけないという時に…」
 (大山静美さん)「スナックをやりたいと。歌舞伎町で」

 この時、店を訪れた義男さんと出会い、3度目の結婚。息子たちも義男さんを「お父さん」と慕ってくれました。

 (大山義男さん)「ありがたいことに(妻よりも)大事にしてくれる」

 その後、夫婦で中華料理店を始め、雑誌にも掲載される人気店に。ところがバブル崩壊などで経営が行き詰まり閉店。アメリカで仕事を見つけて活躍する息子たちの支えもあって、今、穏やかに暮らしています。

 (大山静美さん)「自分は書くことはできないし、文章を残すことはできないから、せめてビデオだけは子ども・孫への思い出…最後のメッセージという感じ。この道を選んだことに後悔はないと」

 日本、台湾、アメリカ。離れて暮らす家族に自らの人生と感謝の言葉を伝えたい。ビデオならいつでも見てもらえる、と考えました。

静美さん「ビデオを作ってよかった」 子守さん「上映するのはまだ先ですよ」

 9月5日、大山さんは完成したビデオを受け取るため再び大阪へ。

 (大山静美さん)「来年で(来日して)50年なのに、どうして日本語をうまく話せないのか…」
 (子守康範さん)「言葉は関係ないです。気持ちですから。一緒に見ましょうか」

 87歳の義男さんと85歳の静美さん。「さよなら」を告げるメッセージビデオは、いつか訪れる別れの時の、家族への最後のプレゼントです。

 (大山静美さん)「ありがとうございました。作ってよかった…」
 (子守康範さん)「上映するのはまだ先ですよ」

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