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【1970年大阪万博】捨てられなかった8ミリビデオ デジタル化で蘇る40年前のニュータウンと家族 時代とともに成長していく家族の時間とは?

MBSニュース / 2024年10月3日 12時3分

 2025年大阪・関西万博まで半年と迫ってきました。開幕を前に1970年大阪万博を知る人を大阪・千里で取材するなかでMBSのカメラマンが偶然見つけたのがホームビデオをとして普及していた8ミリカメラです。そこに残っていたのは時代と家族の物語でした。

1970年「大阪万博」会場近くの千里ニュータウンは当時の憧れ

 1970年に大阪・千里で開かれた「大阪万博」。高度経済成長真っ只中の日本で、夢の未来を体験しようと、6400万人もの人が訪れました。
 

 同じ時期に会場近くに開発された千里ニュータウンは憧れの的。『団地に住みたい!』当時の入居倍率は100倍を超える狭き門でした。住民は増え続け、万博の2年後に完成した商業施設「セルシー」は長い間千里のにぎわいの中心となりました。

 2023年の夏。千里を訪れました。かつて万博で盛り上がったこの街は当時どんな様子だったのか。次の万博に向けて、時代の変化を考えるような取材をしたいと、聞き込みを始めました。

 「この辺りは新婚、若い夫婦がいっぱいで、華やかな場所でしたね」
 「高度成長時代だったこともあって、『イケイケドンドン』でニュータウンも含めて1970年というのは、僕の人生の中で70~80%占めているような記憶」

 万博とともに成長した町。千里と万博は切っても切れない関係です。

家族を記録していた8ミリビデオを持つ女性 大阪万博をきっかけに「映像を家で見る」文化が根付く

 聞き込みを続けているとひとりの女性に出会いました。

 (中山都記子さん)「(Q万博行きました?)はい。家も近かったので、すぐ裏が家だった。歩いて夕方、散歩がてら行けたので」

 万博のときに千里に越してきたという中山都記子さん(66)。当時中学一年生でした。若い活気のある街に惹かれ、結婚後も千里で暮らしてきました。自宅には、古い映像が眠っていると言います。

 (中山都記子さん)「父もカメラマン。婚礼写真のカメラマンだったので、割と早い時期にビデオカメラを手に入れたりとか。(ビデオカメラを)持ち歩くのは大変。だんだんコンパクトになってきたけど、今は(デジタル化して)落とさないと見れなくなちゃって」
 (カメラマン)「Qよかったらデジタル化して見られるようにしましょうか?」

 大阪万博をきっかけに普及したカラーテレビ。開会式はカラーで生中継され、「映像を家で見る」文化が根付きました。電機メーカーによるホームビデオの開発が進んだのもこの頃。80年代に入り、小型の8ミリビデオテープに記録するカメラが登場すると一気に普及しました。8ミリビデオカメラは、核家族化が進むなか、子どもを育てる若い夫婦の必需品となっていきます。

 先ほどの中山さんの自宅を訪ねました。今はかつて住んでいた団地のそばのマンションで暮らしています。

 (中山都記子さん)「ここにダーッってある…。何本でしょう、4.50本ですかね」

 いまビデオカメラは無くなり、タンスにテープだけが残っています。子どもが好きで幼稚園の先生だった中山さん。結婚し千里の団地で夫と暮らし始め、2人の子どもに恵まれました。今は子どもも独立し3人の孫がいます。40年近く前を記録しずっと眠っていた8ミリ。そこには当時の団地の暮らし、彼女が作り始めた家族が映っているはず。

 (カメラマン)「お借りしていきます」

 家族の思い出が詰まった大事な8ミリです。劣化した部分も修復しながらデジタル化していきます。

デジタル化した8ミリビデオ そこに映っていたのは…

 【2024年7月】 デジタル化された映像の始まりは生まれたばかりの長男・翔大さんの姿でした。

 (中山都記子さん)「うわーなつかしい」
 (ビデオ音声)「しょうたくん~こっち向いて」

 結婚し団地に越して2年目、誕生した我が子を撮ろうとビデオカメラを買いました。

 (中山都記子さん)「いやーかわいい、うそ」
 (ビデオ音声)「もしもし翔大くんですか?」「翔ちゃん何してんの、ただいま」

 お父さんは土曜日も働いていた時代。少ない休日には子どもを喜ばそうと夫婦でいつも工夫を凝らしました。

 当時の団地は子どもで賑わい、2,3棟ごとに子供会ができるほどでした。

 (中山都記子さん)「どこにでもある風景。どこの家でもそれぞれにある。いま振り返ると本当に幸せな時間ですよね。そこから先、色んな事が歳を重ねるにつれ、あるじゃないですか。子どももどんどん大きくなって、今から思ったら普通に何も思わずに生活していた。必死だったからね。この歳になるから思うけど、すごい感謝ですよね。いろんな人にね」

 【2024年8月】今は愛知県に住む翔大さん(37)がお盆に帰ってきました。

 (息子・翔大さん)「こんなんよう残していたな、こんな普通の日常の‥。映像の中が一番実家感があるな。あの団地が一番長かったもんね」
 (中山都記子さん)「そらそうやあそこで生まれ育ったんやから」

 (夫・教士さん)「われわれの世代は仕事優先の世代だけど、会社のために働くっていうのには疑問符を持ったままの世代なんですよね。家族がいたから働けたし、家族がいたから生きてこられた」

 40年近く前、ホームビデオの目新しさから淡々と撮っていた家族の風景。時を超えて出合った映像にはニュータウンの団地で暮らした家族の「大切な時間」が残っていました。

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