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24歳で難病ALSと診断...気力なくした男性を変えたのは『DJ活動』 47歳のいま、自身の生きざまを詞に「病気や障がいで悩む人たちに前向きになってほしい」

MBSニュース / 2024年11月27日 11時39分

 全身の筋肉が徐々に痩せて動かなくなり、最終的には自発呼吸も難しくなる難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)。進行性で根本的な治療法がなく、患者数は全国で9727人に上ります(2023年度・医療費受給者証所持者数より)。今回、24歳でALSと診断され、現在は病気の理解を広めるため「DJ」として音楽活動をしている47歳男性に密着しました。

“目の動きだけ”でPCをあやつり会場を湧かす「DJ特攻一番機」

 11月4日、大阪・梅田で開かれた音楽イベント。

 (イベント司会者)「DJ特攻一番機さんのプレイを楽しんでいただきたいと思います」

 ひときわ注目されたのが、DJ特攻一番機こと杉山正弘さん(47)。難病ALSの患者です。目の動きだけでパソコンをあやつり、曲と曲をスムーズにつないでいきます。

 「おしゃれでかっこいい」
 「最近聞いた中で一番良かった。まさか目でしているとは全くわからないような、すてきなDJでした」

ひとり暮らしをする杉山さんの日常

 杉山さんは大阪市内でひとり暮らしをしています。自分で動かせるのは、目や口などに限られていて、ヘルパーや離れて暮らす家族が24時間態勢で生活をサポートしています。

 自力で痰を吐き出すことが難しく、いずれは自発呼吸もできなくなるため、悩んだ末、4年前に気管切開し、声を失いました。

 視線の動きを感知するパソコンを使って、自分の意志を伝えます。

 (杉山正弘さん ※パソコンの音声)「仕事は現在していないので趣味80%睡眠20%くらいで生きています」

 開いた口の形とまばたきのタイミングから言葉を読み取る「口文字」も使います。

 (記者)「飲み物の好みはありますか?」
 (介護者)「(口文字で聞き取って)桃。桃が大好きなので、甘いのが好き」

異変に気付いたのは22歳のとき…24歳でALSと診断「日常生活に支障が出るくらい気力もなくなった」

 杉山さんが体の異変に気付いたのは、22歳のときでした。左手が動かしにくいと感じ始め、徐々に症状が身体中に広がっていきました。そして24歳のとき、ALSと診断されます。

 (杉山正弘さん)「まあ相当へこみましたよ。それこそ日常生活に支障が出るくらい気力もなくなって、ただただぼーっと何もせず、一日を過ごす日々を送っていました」

 診断のあと、一時期は人と会うのを避け、ふさぎこんでいたといいます。しかし、呼吸が苦しくなり入院したことがきっかけで「元気なうちに会いたい人に会おう」と、外に出るようになりました。

 そこで出合ったのがDJの活動でした。もともと幅広い音楽を聴いていた杉山さん。5年前、市販されているDJソフトを目の動きで操れるようアレンジして、クラブイベントなどに参加するようになりました。最近のイチ推しは…

 (杉山正弘さん)「47年間ハマっていなかったアイドル文化にドはまりしてしまいました」

 今年はすでに4回、コンサートにも足を運んだといいます。

 (杉山正弘さん)「ただのアイドル好きのおじさんのお伝えになっていませんかね」

杉山さんの経験を伝える「詞」をイベントで披露することに

 今はALSについて広く知ってもらうための、音楽イベントも主催しています。

 取材した日は、1か月後に迫ったイベントの打ち合わせです。杉山さんは自分の経験を伝える詞を披露することにしています。一緒にイベントを企画する友人・小澄源太さんから作詞を勧められたことがきっかけでした。

 (小澄源太さん)「ハートがすごく熱くて。意志力がとても強くて、そこにほれていて。それを俺だけじゃなくてみんなに伝えたいと勝手に盛り上がった」

 これまでを振り返り、何度も練り直した詞には、ALS患者の誰もが抱く複雑な思いが綴られていました。

高校時代に野球部で苦楽を共にした友人との再会

 杉山さんの高校の同級生、美容師の森竜司さん。同じ野球部で苦楽を共にしました。

 (森竜司さん)「野球部は基本ダサいんですけど、ジャージしか着てへんし。でも俺と杉山はイケてたな。イケてた部類やな」

 杉山さんがALSになったあと、7年前に再会しました。

 (森竜司さん)「弟くんと一緒に店に来たときにこの状態を初めて知って、正直涙が止まらなかったです。涙こらえながら仕事した。杉山はわかっていたと思うけど。僕も知らないから心無い言葉じゃないですけど、『終わったら飯行こうや』『ラーメン行こうや』とか(メールで)普通に言ってたので。でも、来た瞬間に『そうなんや』となって涙が止まらなかった」

 それ以来、月に1度のペースで杉山さんの自宅まで髪を切りに来ています。

 (森竜司さん)「音楽やDJの作業を通して、こういう自分の状態を『でも頑張ってんねんぞ』とアピールしている。かっこいいと思います。さすがリリーフエース」

願うのは「病気や障がいで悩む人たちが前向きになること」

 11月10日、杉山さんが主催する音楽イベント「THE SUN ALSo RISES」当日です。

 会場には音楽好きやALSの当事者など100人近くが集まりました。

 そして杉山さんが書いた詞、「生きろ」の披露です。 詞に託したメッセージが広く伝わるように、パソコンの音声ではなく知人のラッパーに歌ってもらうことにしました。

 【杉山さんの詞】
 容赦ない24時間 家族への介護負担
 進行する病状への恐怖 それに耐えうるのは精神力
 日本は一度呼吸器付けると 死にたいと思っても外せない現状
 結果約7割 尊厳死選択する現状
 それでも俺は生きたいんだ 愛する人と生きてるんだ
 それでも俺は生きたいんだ 愛する人と生きてるんだ
 今はそう思えるんだ だから俺は生きている
 やりたいこともたくさんある
 信頼できる仲間がいる
 自分の限界自分で ぶち壊しに来たぜ
 想像を遥かに超えた 未来に会いに

 「やれるところまでやる」杉山さんは自分の生きざまを見てもらうことで、病気や障がいで悩む人、心が弱っている人たちに前向きになってほしいと願っています。

 (杉山さん)「イベントに来てくださった皆さんが『なんか元気もらったわ』と、前向きな気持ちで帰っていただけるイベントになっていたら幸いです。最後はタモさん的な『アレ』で締めたいと思います。いきますよ。来年もまた来てくれるかな」
 (集まった人)「いいともー!」

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