「幸せな家族の日常がめちゃくちゃに...」忘年会帰りの飲酒運転で親子2人はね死傷 男は「ジョッキでビール8杯」その後もスナックやバーでハシゴ酒 遺族が法廷で憤り
MBSニュース / 2024年12月25日 10時43分
忘年会・新年会のシーズン。無責任な飲酒運転が、またも人命を奪った事件の裁判を振り返る。犠牲となったのは、全盲で白杖をついて歩く息子に付き添っていた母親だった。 2023年の年末に大阪府岸和田市で起きた、凄惨な飲酒運転死傷事件。裁判で被告の男が、“新しく買った車を見せたい”などの理由で忘年会に車で向かい、4軒の飲食店で浴びるように飲酒していた事実が明らかになった。 「幸せな家族の日常がめちゃくちゃにされた」遺族の痛切な陳述も法廷に響いた。
白杖をついて歩いていた息子と母親に対向車線から突っ込み…
2023年12月30日の朝、大久保春江さん(当時82)とその息子・大久保孝之さん(51)は、大阪府岸和田市の道路の路側帯を歩いていた。孝之さんは全盲で、白杖をついて歩き、春江さんが寄り添っていた。2人はJR阪和線に乗るために、駅に向かうところだった。
そこに、被告の男(31)が運転する乗用車が、対向車線から時速約56kmで突っ込んだ。2人ははねられ、春江さんは死亡。孝之さんも外傷性くも膜下出血や肺挫傷などの重傷を負った。
捜査で被告は飲酒運転をしていたことが判明。危険運転致死傷の罪で逮捕・起訴された。
2024年9月18日、大阪地裁堺支部での初公判。罪状認否で被告は、小さな声で「間違いありません」と起訴内容を認めた。
居酒屋・スナック2軒・ダーツバー…4軒で飲酒 1軒目でビールをジョッキ8杯
検察官・弁護人の冒頭陳述や、証拠調べを総合すると、被告は事故前日の夜、自宅を出て車で知人らとの忘年会に向かった。1軒目に居酒屋、2軒目と3軒目にスナック、4軒目にダーツバーと、計4軒の飲食店で飲酒。1軒目ですでにジョッキで8杯ほどのビールを飲み、その後もビールや焼酎を飲んでいたという。
そして、車で帰宅する際に今回の凄惨な事故を起こした。呼気検査によれば、事故時に被告は呼気1L中0.69~0.85mgのアルコールを体に保有していたと考えられるという。酒気帯び運転の基準は0.15mg/Lであり、実にその4倍以上ということになる。
運転中に停車し居眠りか…その後センターライン何度もはみだし事故に
法廷では被告の車に付けられていたドライブレコーダー映像も公開された。
被告は自宅から約4.3km離れた駐車場を出発。かなり大きな音量で音楽を流し、被告も口ずさんでいる。しばらくすると、車線はみだしのアラート音が鳴るようになる。
そして途中で道路脇に停車。傍聴席からは聞き取りづらかったが、検察官によれば寝息が確認できるという。少しの間、被告は眠っていたとみられる。
そして再び発進するも、ここからは明らかにセンターラインをはみ出した場面が何度もあった。そして最後に、被害者2人に車は突っ込んでいく…。被害者がよけることなど、到底不可能なスピードだった。
「車を買ったばかりで正直見せたいという気持ちがあった」運転代行呼ぶつもりだったと釈明
そもそもなぜ、飲酒することが自明な状況にありながら、被告は車で忘年会に向かったのか?
(2024年9月18日の被告人質問)
弁護人「なぜ車で行ったんですか?」
被告「家の掃除とか洗濯、家事が(出発ギリギリまで)あったというのと、車を買ったばかりで、正直見せたいという気持ちがあった」
そして被告は、帰宅時には運転代行業者のドライバーを呼ぶつもりだったと説明した。
弁護人「家を出る時は、代行を呼ぶつもりだったという理解で間違いないですか?」
被告「はい」
検察官「素面(しらふ)の時に代行を呼ぶつもりだったとしても、お酒を飲んだら気が大きくなりますよね?どうして代行を呼ぶと、自信が持てたんですか?」
被告「普段からずっと、当たり前のように呼んでいたので」
しかし、被告は運転代行業者の電話番号を、携帯電話に登録していなかった。
裁判官「なぜ携帯電話に登録しないんですか?」
被告「常に名刺を持ち歩いていたので、登録する必要性を感じませんでした」
裁判官「結局代行を呼ばなかった理由は、今も思い出せないんですか?」
死亡した母親は全盲の息子のために点字を習得していた
重傷を負った大久保孝之さん(51)は、20代の頃に目の病気を発症し両目の視力を失った。亡くなった大久保春江さん(当時82)は、その孝之さんを支え続けた存在だった。点字を習得したり、孝之さんが営む整骨院の経理業務を行うために、パソコンの操作を習ったりもしていたという。
2024年9月19日に行われた遺族の意見陳述。「お互いがお互いを支え合っている親子でした」と、2人の関係を振り返るとともに、被告への憤りを露わにした。
(遺族)
「被告は約9時間も飲酒し、ハンドルを握った。なぜその行為が危険だと認識しなかったのでしょうか」
「幸せな家族の日常がめちゃくちゃにされてしまいました」
事件後に春江さんの家に入ると、そこには遺族が正月に訪ねてきた時のためにお餅が用意されていた。重傷を負った孝之さんに病院で、春江さんが亡くなったことを伝えると、孝之さんは「自分が殺してしまった」と取り乱したという。
検察「思いとどまるべき事情がいくつもあったのに、それでも飲酒運転をした」懲役12年を求刑
検察官は2024年9月19日の論告で、「4軒の飲食店で8時間半にわたり飲酒し、およそ正常な運転ができない状態で車を運転。ブレーキを踏むことなく被害者らに衝突した。被害者らに全く落ち度はない」、「当日は仕事も用事もなく、帰宅を急ぐ必要はなかった。駐車場も被告人の当時の自宅も駅から近く、電車で帰宅することもできた。飲酒運転を思いとどまるべき事情がいくつもあったのに、それでも飲酒運転をした」と糾弾。懲役12年を求刑した。
一方で弁護人は、「最初から飲酒運転をするつもりで忘年会に行ったのではない。少なくとも行く前には、帰宅時に代行を呼ぼうとしていた。この点は他の飲酒運転事件と決定的に異なる」として、情状酌量を求めた。
被告は最終陳述で「取り返しのつかないことをしてしまいました。車を持って行かなければ、飲酒運転への意識が薄れていなければ、このようなことにはなりませんでした。罪を一生背負い、考え方、行動、すべてを改めます」と述べ、遺族らに謝罪した。
判決は求刑通り懲役12年
大阪地裁堺支部(武田正裁判長)は2024年9月24日の判決で、危険運転致死傷罪の成立を認定。そのうえで、「自宅を出た時から飲酒運転する意図があったとは認められないが、安易に自動車で酒席に赴いた上、帰宅に際し、代行運転の依頼や他の交通手段の利用も容易だったのに車を運転した。同情の余地はない」、「被告なりの反省の言葉は述べているが、反省はいまだ不十分と言わざるをえない」として、検察官の求刑通り、被告に懲役12年の実刑を言い渡した。
判決言い渡しの間、被告はまっすぐ裁判長を見つめていた。
判決公判後に、事故で外傷性くも膜下出血などの重傷を負った、全盲の大久保孝之さん(51)が取材に応じ、時に涙をこらえながら心境を語った。
「(裁判所が判決で)最大限の懲役12年を出してくれたことに対しては、非常に私は納得していますし、感謝しています」
「事故の時に僕と一緒にいた母親に伝えたいと思います。求刑通りの刑が出たよと報告したいと思います」
「過去には帰ることはできませんので、僕の将来を母親は(天国から)気にしてくれていますので、なるべく“事故前の自分”を取り戻すということをしていきたい。そうすることで母親も安心してくれるだろうと思います」
被告は、この判決を不服として2024年10月4日、大阪高裁に控訴した。
(MBS大阪司法担当 松本陸)
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