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救助活動を記録した秘蔵ネガフィルム初公開 地すべり現場で『一人の命も救えなかった』消防隊員があの日現場で起きたことを語った【阪神・淡路大震災30年】

MBSニュース / 2025年1月11日 15時40分

 発災当日、テレビカメラが記録した映像には、変わり果てた街の中で、一人でも多くの命を救おうと、懸命に救助活動をする人々の姿が映し出されていました。あれから30年。死者数1146人の兵庫県西宮市では最前線の救助活動を記録したメディア初となる資料が公開されました。1363枚の膨大な写真には、生々しい救助活動の一部始終が克明に記録されていました。

「地すべり災害」住宅街が土砂まみれ…生々しい最前線の写真

 西宮市消防局。震災から30年となるのを前に、MBSが当時の活動記録などの開示を求めたところ、ある貴重な資料が特別に公開されました。資料室に眠っていた「秘蔵のネガフィルム」です。

 全てを現像すると1363枚。一枚一枚に、過酷を極めた最前線の様子が生々しく映し出されていました。活動記録を命じられた隊員が、現場で撮影し続けたものだといいます。

・本棚が倒れ資料が散乱する発災直後の消防局内。
・ビルの倒壊現場で生き埋めになった人を探す消防隊員。
・倒壊した家屋から運び出される遺体。

 撮影した隊員はのちに、「事後検証のためにも記録は重要」としながらも、「胸が詰まりシャッターを切れない現場もあった」と、当時の葛藤を語っています。

 その中で私たちが注目したのは、土砂に埋もれた現場で、捜索活動にあたる隊員たちの姿を捉えた写真です。これらはいずれも地震の直後に仁川百合野町で起きた、地すべり災害の現場で撮影されたものです。

 川があったはずの場所を大量の土砂が埋め尽くし、13棟の家屋が土に埋まり、死者数は34人。地震が引き起こした仁川百合野町の地すべり災害は、一瞬にして住宅街の景色を一変させたのです。

自分の家族の安否分からぬまま救助活動

 その地すべり災害の現場で当時、救助活動にあたった隊員に話を聞くことができました。西宮市消防局で働く、中越仁志さん(61)。地震発生時、中越さんは地すべり現場近くの消防署で勤務していました。

―――最初のアクションとしては、当日何をしたのですか?
 (中越仁志さん)「発災があった時には目が覚めていて、カーテン越しに『いつもより明るいな』というような感じで変だなと、違和感がありました。いきなりどーんと来て、地震だと思った」
―――活動としては、外の状況を把握しないといけない。
 (中越仁志さん)「まず出動する隊員の命・安全を確認しないといけない。幸いけがはなく、1人の隊員を連れて、屋上へ火災がないか確認に行きました。火は見えなかったので、火災は起きていない、と思いました」

 辺りに火事が無いことを確認し、ほっとしたのも束の間、地震発生から約10分後には周辺の住民たちから救助要請が相次ぎました。中越さんは現場に駆け付けましたが、そのときすでに手遅れの状態だったといいます。

 (中越仁志さん)「木造2階建ての家屋が潰れて、1人は見つけたが、もう1人は見つけられなくて。重機じゃないと無理だろうと。『悪いですけど、声もしていないので、次の現場に行かせてもらいます』と。すぐ近くでもう1人埋まっているということで、そちらに行った」

 がれきの山に変わり果てた市内。想像を絶する現場で、助けを求める声に応え続けるうち、中越さんに大きな『不安』が生まれました。

(中越仁志さん)「西宮市内に妻と5歳と3歳の子どもがいて」
 ―――安否確認は?
 (中越仁志さん)「全くできませんでした。命があってほしいとは思いましたけど『助かってないかもしれない』と思いながら活動していました。分署に戻ってきたのが、(18日)夜中1時すぎくらいだったと思う。机の上に『家族は無事だ』というメモがあって、すごく勇気がわいてきました。それが本音です」

 そして、直後に向かったのは、地すべりの現場です。西宮市仁川百合野町は、山のふもとに位置し、自然豊かで閑静な住宅街です。当時、川に沿って大量の土砂が押し寄せ、民家は下敷きに。周囲には煙が立ち込めていました。

 (中越仁志さん)「生き埋めになった方がいるかもしれないので、放水して煙を抑える。煙臭は若干ありました。放水すると土砂が崩れて二次災害になるかもしれない、余震もあるので」

 二次災害を起こしてはならない…はやる気持ちを押さえながら、救助活動は慎重に行われました。

 地すべりで崩壊した斜面は、幅・長さともに約100mと広範囲に及びました。高く積もった土の山を前に、隊員たちはなす術もありませんでした。地すべり現場で突きつけられたのは、自然の脅威と人間の無力さでした。

 (中越仁志さん)「人間って弱いです。ちっぽけです。まさかここが崩れたとは想像もできないと思います」
 ―――人間の強さも感じますけれど。いろんな犠牲のもとに。

 警察や自衛隊とともに行われた救助活動。しかし、中越さんは地すべり現場で1人の命も救えませんでした。

 (中越仁志さん)「1つ1つの現場で最善を尽くすだけだが、最善を尽くしたつもりでも、ご家族にとっては『最善ではないじゃないか』と思われていると思うんです。それが心苦しいですね」

 そもそもなぜ、地震の直後に仁川百合野町で大規模な地すべりが発生したのでしょうか。地すべりが起きる前に撮影された仁川百合野町の航空写真を見ると、斜面に複数の家屋が確認できます。この斜面は盛り土で形成されていました。専門家によると、一帯はもともと地下水が豊富な地域で、地震の前から地下水がうまく排出されず、盛り土が多くの水分を含み、不安定になっていたとみられています。

 そこに加わったのが、地震の大きな揺れ。地中で液状化現象が発生し、大規模な地すべりにつながったのです。阪神淡路大震災以降も地震による地すべりは、日本各地に大きな爪痕を残しています。

「遺体を出していただいただけで十分です」言葉いまも胸に

 地すべり現場で救助活動にあたった中越仁志さん。1人の命も救うことができず、主な仕事は「遺体の引き渡し」でした。いまも無念さを抱えたままです。

―――ご遺体を引き渡す際、たくさんの言葉を受け止められたと思いますが、印象的な言葉は?
 (中越仁志さん)「一番に言っていただいたのは『遺体を出していただけただけで十分です』。本来はそうじゃないと思う、本当は感情的になりたかったでしょうが、それを抑えていただけたので、次の現場に行けた」

 中越さんは、震災を経験していない後輩たちに、日ごろの備えの大切さを伝えたいと言います。

 (中越仁志さん)「私たちは手作業でしかできなくて。新しい機材ができたとしても、それを使うのは生身の人間です。人間が使い方を知らないのはあってはならないこと。私が一番思っているのは『備えが大事だ』と。現場活動は訓練でできないものはできない。何事もばかにせずにやってほしい」

 阪神・淡路大震災の救助活動の最前線を捉えた1363枚の写真。その1枚1枚が、今を生きる私たちに訴えかけています。

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