「レイプにあった」30年前の避難所で起きていた性被害『支援物資で死角に』訴える声に「神戸にダーティーなイメージをつけるな」 被災地で繰り返された"悲劇" 令和にもつながる教訓とは
MBSニュース / 2025年1月13日 16時0分
被災者たちが身を寄せた避難所。兵庫県内で設置された避難所は最も多いときで1153か所でした。当時、避難所で何が起きていたのでしょうか。見えてきたのは令和にもつながる教訓、そして悲痛な叫びの数々も浮かび上がってきました。
住む場所を失い生活が一変「本当に死ぬ思い」
1995年1月17日、突然、生活は一変しました。避難所となった体育館には地震で住む場所を失った人たちが、ひしめき合うように身を寄せていました。
(避難所に身を寄せる被災者)
「家の中にヒビがいっているので、もし余震があったらいけないと思ってここに来た」
「すごかったですよ。本当に死ぬ思いでしたね」
杖をつく場所さえも探しながら歩きます。この日の神戸市の最低気温は1.4℃でした。
命を繋ぎ止めた安堵と、これから先への不安。やり場のない、悲しみと、怒り。発災直後の避難所にはさまざまな「思い」が交錯していました。
(避難所に身を寄せる被災者)
「とにかく怖かったです。子どもを守るので必死。今も泣いて泣いて。(Qミルクは?)私も恐怖で母乳の出が悪くなってしまって」
10万棟以上の家屋が全壊し、ピーク時の避難者数が30万人を超えた兵庫県。県内に設置された避難所は多い時で1153か所に上りました。着の身着のままで避難してきた人たちが、最初に案じたのは「大切な誰か」の安否。
【避難所の張り紙より】
「大丈夫ですか?連絡してきてください。待ってます」
張り紙、1枚1枚に無事を願う“希望”が託されていました。
(公衆電話で話す人)「全然大丈夫やった?みんな無事やったからね」
公衆電話には連日、夜遅くまで長蛇の列が。
(公衆電話で話す人)「そっちどうもない?どうもない?うちは全滅や。もう入られへんねん。潰れてもうて」
「初めてもらったのは期限がきれたおにぎり」
ある日、突然、見ず知らずの人たちと一つ屋根の下で共同生活を送る避難所での暮らし。みんなが生きるために必死でした。
(食料を配る人)
「小さい子おる?お年寄りと子どもさんだけね」
「ちょっと待った!待て!ストップ。ストップ。押したらあかんで。押したらあかん」
震災が起きた日、神戸市内の小学校で配られた食事は1人1枚の食パンのみ。満足な支援物資が、すぐには行き渡らなかったのです。
私たちは今回、30年前に避難所で暮らした男性に話をきくことができました。
(避難所で生活 神生善美さん)「初めてもらったのがおにぎり。ひとつを2人でわけて。それも期限のきれたやつ」
神生善美さん(75)。自宅が全焼し藁にもすがる思いで向かったのは、神戸市須磨区の鷹取中学校でした。
(神生善美さん)「体育館に行ったら、まだスペースがあった。知り合いがいたから『これだけスペースあけといて』と頼んで、一旦家のほうへ帰って、そこら辺うろうろして、夕方に戻ってきたら半畳か一畳くらいしか(スペースが)残っていなかった。それだけいっぱいになった」
神生さんが避難した鷹取中学校の付近はとりわけ被害が甚大で、ピーク時には2000人を超える人々が身を寄せていました。
スペースの確保はままならず、神生さんは学校の運動場での車中泊を約半年間にわたって余儀なくされます。
不自由で、不便で、なかなか終わりの見えない日々。ただ、神生さんは、そこで生まれた人と人とのつながりの記憶が、今も色褪せずに心に残っているといいます。
(神生善美さん)「ここに入ったおかげで地域の人との交流ができて、みんなと付き合ってワイワイさせてもらって、知らん人とも話できて、そういうことがあるから、つながりはすごく大切やなと思って。つらかった、楽しかったで言ったら、楽しいに入るんかな、僕の場合は」
当時、神生さんがカメラに収めた写真には、未曽有の災害の後でも懸命に“普通の暮らし”に務めようとする人々の姿が記録されていました。
「レイプにあったと聞いています」避難所で性被害
ですが、各地の避難所で何も問題が起きていなかった訳ではありません。取材を進めると、これまで取り上げられることの少なかった、悲痛な叫びが聞こえてきました。
当時、保健師として避難所を巡回し、被災者の健康相談に乗っていた黒瀬久美子さん(71)。
(黒瀬久美子さん)「レイプにあったっていうのを、直接彼女から聞いています。体育館の舞台裏、支援物資がいっぱい積んであるんですね。死角になるんですね。支援物資の整理を手伝ってくれないかみたいな形で。行って、その裏で」
避難所で性被害にあったという相談をたびたび受けたといいます。
(黒瀬久美子さん)「校舎のトイレに行こうと思ったら距離があるわけです。1人で行ったら見られた、触られた、ついてこられたとか、引っ張られたとか。こういう性暴力って本当に言えないだけに、言いにくいだけに、傷が深いですし、何年も何十年もかかるんですよね。抱え込んでいく」
それくらいのことで…そんな空気が当時の避難所には確かにあったといいます。
訴える声に「神戸にダーティーなイメージをつけるな」
震災の前から神戸で、女性の支援活動を行っていた正井禮子さん(75)のもとにも、性被害を訴える声が寄せられていました。
しかし、寄せられた「声」を世間に発信すると、一部のメディアはこれに懐疑的な目を向けたといいます。
(正井禮子さん)「神戸にダーティーなイメージをつけるなと言う人も多かった。性暴力を許さないって言ったことがなぜこんなにもたたかれるのか訳がわからんと思った。でもすごくたたかれるから」
ある記者からかけられた言葉が今も忘れられません。
(正井禮子さん)「被災地に希望をもたらす、被災地に光をもたらす報道をしようというのは、メディアの暗黙の了解だったと言われました」
悲劇は今も繰り返される「安心して暮らせるような避難所作りを」
そして、悲劇は繰り返されていきました。
正井さんが東日本大震災の約半年後に1000人を対象に行った被災地での暴力被害に関する実態調査では、女性や子どもに対する暴力について、「実際に体験した」「目撃した」「被害者本人やその家族などから相談を受けた」と回答した人が計82人にのぼったのです。
【調査報告書より】
「夜になると、男の人が毛布の中に入ってくる」
「授乳しているのを男性にじっと見られる」
さらに、去年1月の能登半島地震では、避難中の女性に対する不同意わいせつ容疑で当時19歳の男が逮捕される事件も。
阪神淡路大震災の発生から30年、避難所での暮らしは誰にとっても安心で安全なものになったのか。今なお課題が突き付けられています。
(正井禮子さん)「“女性対男性”の戦いにしたら、全然解決しない。“社会対暴力”っていう構図にして、誰もが安心して暮らせる、災害時であっても安心して人々が暮らせるような、そういう避難所作りをしようとか、そういうふうに考える社会であってほしい」
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