地震の光景は「北斗の拳、世紀末...」20歳で亡くなった友の言葉「芸人なれや!」胸に走り続けた安田大サーカス・団長安田の新たな目標【阪神淡路大震災30年】
MBSニュース / 2025年1月14日 11時5分
お笑いトリオ「安田大サーカス」の団長安田こと安田裕己さん(50)は20歳のとき、地元で被災し、大切な友人を亡くしました。1月15日午後8時に放送されるMBS阪神・淡路大震災特番『刻み続ける1995年1月17日』のインタビューと再現シーンで、あの日現場で起きていたことを振り返った安田さん。「芸人なれや」と背中を押した友の言葉を胸に走り続けています。
■1995年1月17日 大地震の瞬間
あの日のことは鮮明に覚えています。兵庫県西宮市の自宅で寝ていた安田さんは突然、大きな揺れに襲われました。
「本当にびっくりしました。トランポリンで跳んでいるみたい。ガラスが割れたり、目を開けたら、スキーブーツが壁に刺さっていたり」(安田さん)
幸いけがはありませんでしたが、「なんやこれ…」と目を疑う光景が広がっていました。第一印象はまるで漫画の”北斗の拳”のようだったと話します。
「あちこちで火は出ているし、建物は崩れているし。喧嘩している人がいるし。この世のものではない感じ。戦争ってこんな感じなのかなとか、当時の言い方でいうと“北斗の拳”みたいな”世紀末や”と言っていました」(安田さん)
■崩れた建物の中に“幼なじみが…”
その時。駅前の見慣れた建物が崩れ、炎が立ちのぼっている様子が、安田さんの目に飛び込んできました。その建物は、安田さんの小学校からの幼なじみ、山口恵介さんがよく寝泊りしていた祖母宅でした。
「よう僕の言うことで笑ろてくれたし、(僕に)『芸人「芸人なれや」』『おもろいな』と言ってくれた同級生が恵介です」(安田さん)
建物に近づこうとする安田さんは消防隊員らに止められました。
――証言をもとに当時を再現(画像は再現シーン)
「君、危ない」(消防隊員)
「恵介…親友がこの下にいるかもしれないんです」
「行くな!余震もまだあるし、崩れてくる可能性もあるんやぞ!」
「ちょっと恵介のお母さんに電話してくるわ」
安田さんが向かった公衆電話には、長蛇の列ができていました。「もし実家にいれば恵介は生きている」願うように電話した安田さん。
――証言をもとに当時を再現(画像は再現シーン)
「安田です。おばちゃん、恵介は、恵介はどこにいます?」
「裕己くん、大変やったね。恵介はおばあちゃんの家に泊まっているよ」(恵介さんの母親)
「そのおばあちゃん家が崩れているんです!おばあちゃん家が崩れているんです」
■当時のMBS映像に”偶然映る”安田さん
(画像 当時のMBS映像に映る安田さん)
「うわぁ…やっぱりって感じでした。やっぱりこっちにいるか…とドキドキして、吐きそうな感じやったことを覚えています」(安田さん)
発災2日後、1月19日にMBSが撮影した映像には、恵介さんの帰りを待つ安田さんの姿が、偶然映っていました。当時、安田さんと友人たちは、凍てつく寒さのなか、連日連夜声をかけ続けていたそうです。
あの日はどんな思いだったのか。震災30年を前に、友人たちが集まりました。
「雪山と同じ状況やから、寝たら死ぬかもしれない。声をかけたときに“うめき声”みたいなのが聞こえた。俺も聞こえたし、これは声をかけて励ましたほうがええんちゃうかと。それがスタートやったと思う」(安田さん)
「あの頃ずっとおったよな、みんな」「誰かは絶対いたよな」「小さい男の子が(がれきから)助かったのを聞いて。これはいけるんちゃうかと」(友人たち)
しかし発災5日後。恵介さんとの再会は、思わぬ形で訪れました。毛布に包まれた恵介さんの遺体。そばには母親と、泣き崩れる友人。もう、あの笑顔は見られません。
■「最後だから顔見てあげて。」泣き崩れた安田さん
恵介さんの母親が声をかけます。「最後だから顔見てあげて。」恵介さんと対面した安田さんは、泣き崩れました。脳裏に浮かんだのは、地震2日前の1月15日の成人式のこと。安田さんは恵介さんらと成人を祝い、こんな会話をしていました。
――証言をもとに当時を再現(画像は再現シーン)
「いろいろ考えるよな。このままおっさんになるのかとか、なんか寂しいよな。裕己、お前おもろいねんから芸人になれよ」(山口恵介さん)
「そんなもんなれるわけないやろ」
「いけるって。お前吉本にいけって。お前は絶対に芸人になれる!なれへんかったら後悔するぞ」
「芸人になれ。」いつも恵介さんが言っていた言葉です。
「『やりたいことやろう』と思いました。恵介が『芸人なれや』と言って、よく笑ってくれていたのが後押しになりましたね」(安田さん)
発災の翌年、安田さんは芸人の道へ。徐々に仕事は増えていきましたが、震災のことだけは、話せずにいました。それを変えた転機は、知り合いの住職の言葉でした。
■2つ目の死は「その人を忘れたとき」
「2つの死があると。1つは息が途絶えたとき、命がなくなったとき。2つ目はその人を忘れたとき。この世から、その人の記憶がなくなったときが2つ目の死と。そう聞いて、恵介のことを忘れないように、語り部とならなあかんと」(安田さん)
恵介さんが生きた証しを残す。安田さんは各地で自らの体験を語り継いでいます。この日は広島市の市民向け公開講座に登壇しました。
「お皿の上にラップをするんです。ご飯とか食事をのせても洗い物がいらないからね。寒い人は体に巻いていました。気をつけなあかんのが蒸れる。むちゃくちゃ蒸れる」(安田さん)
講演では、被災した際に役立つ情報を、笑いを交えて紹介するようにしています。
さらに去年11月。安田さんは新たな取り組みを始めていました。防災への知識や技能を持つ人に与えられる民間の資格「防災士」への挑戦です。
■団長安田、50歳の新目標は防災士
「(講演で)経験はしゃべれても正確な情報を話せているかというと関西人のいちばんあかん『~知らんけど』がつく言い方しかできない。“防災士の団長”がしゃべっているほうが説得力もあるやろうし」(安田さん)
防災士の試験は、座学をはじめ、様々な講習を経て行われます。安田さんもAEDの使い方や胸骨圧迫の手順も学びました。試験の約2週間後に届いた合否を伝える通知書。そこには「合格」の文字。8割以上を正解し、合格を勝ち取りました。
去年12月、親友の山口恵介さんが眠る墓を訪れた安田さん。30年前、芸人になるきっかけをくれた亡き友に手を合わせ、新たな目標を報告しました。
「世界一おもしろい防災士になる。お役に立てるか分かりませんが、お役に立てたらいいなと思います」。(MBS阪神・淡路大震災特番『刻み続ける1995年1月17日~あの日、現場で起きていたこと~』放送収録より)
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