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きょうを生き抜く被災者...創業約百年の和菓子店に甚大被害 店主は"珠洲の銘菓"を避難所に届けた「甘いものは疲れがとれます」【石川県能登半島地震:取材リポート】

MBSニュース / 2024年1月10日 18時31分

 2024年正月に起きた地震。発生後まもなく大阪を出て能登半島に向かった私の頭に真っ先に浮かんだのは、石川県珠洲市の和菓子店「多間栄開堂(だまえいかいどう)」。一昨年22年6月にも最大震度6弱の地震が発生。当時私が現地取材したのが明治時代に創業した歴史ある「多間栄開堂」だった。金沢への道中、店主に連絡するが応答はない。あの夫婦は無事だろうか。

 1日の深夜、金沢付近に到着。その先は道が土砂崩れや地割れで寸断され、珠洲市に辿り着けない。2日午後通れる道を見つけて、輪島から約7時間かけて珠洲市内に入る。

 街は22年の地震と比べることができないほどの惨状だ、一目でわかる。視界内の木造家屋はほぼ倒壊、信号機や電柱が傾いて道路を塞ぐ。断水と停電、ほとんどの地域で携帯電話もインターネットも使えない。

寝静まったまちを余震が襲う

 そんな中で夜を過ごした。まちが寝静まった頃に震度4や震度5強の余震に、約1時間おきに襲われる。ついに地震ではない”さ細な揺れ”も余震ではないかと疑ってしまうほどに。ある被災者は、「夜になっても心と体を休めることができない。被害がひどくなる」と話していた。

 珠洲市で2日間取材を続け、私はようやく4日午前、和菓子店「多間栄開堂」の多間淳子さんと避難所で再会することができた。創業約百年、地元の銘菓を作り続けてきた多間さん。大地震が発生した1日夕方は、正月用のお菓子作りをしていたという。

多間さん「家族は無事だったけど、店は崩れてしまった。今から様子を見てくる」

窓が割れ、店内にはものが散乱

 多間さんに同行する。築50年以上の建物は傾き、窓のほとんどは割れていた。風情があった木製の出入口扉は壊れ、床に横渡っていた状態だった。

多間さん「お店はもう全部だめです。揺れというより、立っていられない。地面が割れるくらいの地震です、ものすごかったです」

家族は無事だった。しかし店内のショーケースは倒れて、元々なんだったのか分からないものが散乱している。

銘菓「太鼓饅頭」きれいに残っていた

「多間栄開堂」の店舗は、2022年の地震でガラスが割れ、壁に亀裂が入った。店は去年11月に修復を終え、立ち直ったばかりだった。

大人4人で倒れた機械を起こす。「せーの!」「これ、びくともしないですね」「(機械が)挟まってしまっている」

 何とか機械を元の位置に戻す。伝統を守ってきた大切な調理器具も壊れている。しかし、変わり果てた工房で、あるものが見つかった。カステラ生地に地元産の餡が入った珠洲の銘菓「太鼓饅頭」だ。お正月用に作っていたものが、綺麗な状態で見つかった。

焼き台と菓子型も無事のようだ

多間さん)「良かった。こんだけでも」
さらに大切なものも無傷だった。多間さんは安どの表情を浮かべる。

多間さん「お饅頭を焼く焼き台です。この型で桜の花の形を抜いて、ここで焼くんです」
私「お饅頭は、もしかしたらまた作ることができますか」
多間さん「できるかも、これがいきてるから…。これがあるし。」

 店は甚大な被害を受けたが、多間さんの言葉からは”諦め”の2文字はないように感じた。私はおととし、多間さんからいただいた「太鼓饅頭」の味わいを思い出した。ほのかに甘い餡がカステラ生地に優しく包まれた素朴な味だ。

救出した菓子を避難所へ「甘いものは疲れが取れます」

きれいな状態で見つかった「太鼓饅頭」を、多間さんは避難所に届けた。

多間さん「甘いものは疲れが取れますから。甘いものは力が出ますから。みんなにはわたらないけど、一家族に2つ3つでも。」

復旧や復興のことを尋ねた私に、多間さんはやんわり「とりあえず今日1日を生きるということで精一杯」と話した。

 断水、停電、通信障害、不十分な物資。珠洲市では、まだ先のことは考えれらない状況の中で、住民は手をとり合い助け合って懸命に”きょう”を生き抜いている。力強いその姿が印象的だった。
(MBS報道情報局 記者 長澤清導)

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