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大人気の豚饅頭店『老祥記』社長 震災・コロナ禍を乗り越え描く神戸「南京町」の未来図とは!?

MBSニュース / 2023年3月2日 10時42分

 神戸屈指の観光地・南京町。中華料理店や雑貨店など100店舗あまりが軒を連ね、年間600万人が訪れる。その中で、ひときわ長い行列を作り、いつも賑わう豚饅頭店「老祥記」。1915年創業で「豚饅頭」という呼び名の発祥の店だ。この店の曹英生社長は、南京町商店街振興組合の理事長を2003年から務めている。1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けながら、「自粛を自粛する」をスローガンに早くから炊き出しを行うなど復興に尽力し、新型コロナウイルスの逆風にも耐えてきた。そしていま、アフターコロナを見据えた南京町の未来図をどう描くのか。曹理事長に聞いた。

「南京町の豚饅頭屋」から大行列ができる超人気店に

―――きょうも南京町は多くの人たちで賑わっていて、老祥記にも長い行列ができていました。
 コロナ禍のつらい時期が長かったのですが、ようやく行動制限がなくなる状況になりました。とてもうれしいです。老祥記は、私の小さい頃は行列ができるような店ではなくて、どちらかというとのんびりした雰囲気の店でした。「豚饅頭」は、私のおじいちゃんが付けた名前です。ちょうど赤ちゃんのこぶしくらいの大きさで、皮は麹で発酵させてあるので肉汁と相まって日本酒のような香りがするのが特徴です。

―――曹さんはどのような小中学生でしたか?
 意外というのも変ですが、とにかく真面目でした。きちんと勉強をするのですが、その割にはあまり成績が上がらないタイプ。長男で、男の子は1人しかいなかったので、小学生の頃から「店を継ぐんだ」と。親戚もそうですが、おばあちゃんからも「早く店を継いでほしい」と言われていました。でも、当時の老祥記はまだあまり繁盛していなかったので、私も小学生くらいまでは屋号を知らなかったほどです。ほとんどの人が「南京町の豚饅頭屋」と呼んでいましたから。

「被災者を励ますためにいろんなことをやろうぜ!」震災2週間後に南京町で炊き出し

―――阪神・淡路大震災の時は南京町商店街振興組合の副理事長でした。震災当日はどういう状況だったのですか?
 ちょうど前日の夜は南京町春節祭のいろいろな書類をまとめあげて、焼鳥屋さんで1人で打ち上げをしていたんです。「やった!あとは春節シーズンを迎えるだけだ!」という感じの夜だったんです。その後、家に帰って寝たんですが、のどが渇いて目が覚めた何秒かあとにダーッ!と激しい揺れに襲われまして、すぐに南京町に向かいました。途中の光景は、ビルが倒壊していて、全く今までとは様変わりしていました。三宮あたりは電車の高架が倒れていてひどい状況で、「これは現実ではない」と思いながら南京町にたどり着きました。

―――そのあとは?
 1週間もたたないで「これからどうするかを話し合おう」となりまして、南京町のみなさんが集まりました。安否確認をして、犠牲者がいなかったので話し合いをすることになり、「我々は被災した神戸の街をほっといたらあかん」「被災者を励ますためにいろんなことをやろうぜ!」とみんなの意見が一致しました。ちょうど予定していた春節のイベントが中止になったので「南京町は食の街だから炊き出しをして、少しでも神戸のみなさんを元気づけよう!」と、そんな強い思いで1月31日に炊き出しをさせていただきました。

―――阪神・淡路大震災が起きてわずか2週間後ですよね?
 私たちも被災者たちのために「早く何かをしないとあかん」という思いがあったんです。「こういう状況が続いたら絶対人口流出する」と。だから「早くいろんな支援をして神戸に未来の灯りを灯さないと」という気持ちでいました。みなさんに温かい食べ物を召し上がっていただいて、涙ながらに「うれしいわ」とか「また炊き出しをやって」とか「元気をもらったわ」と声をかけてもらって...。炊き出しをやっている私たちが、逆に感動してしまって。「もっと我々ができることをいろいろやらなくては」という思いがさらに強まりましたね。

「自粛を自粛する」をスローガンに掲げ様々なイベントを仕掛ける

―――被災者を励ますためにほかにどのようなことをされたのですか?
 写真展や瀬戸物市、そして気持ちを明るくしなければと思い、落語や漫才をしました。「食」だけじゃないことにも積極的に取り組みましたね。とにかく気持ちを明るくしていかないとと思い、スローガンとして「自粛を自粛する」を掲げてね。南京町は外国人の多い街なので、日本のマインドじゃなくて「やるぜー!」みたいな感じで自粛を自粛させていただきました。

―――阪神・淡路大震災を経験して人生観や考え方に変化はありましたか?
 老祥記には、地震の前には既に多くのお客さんに来ていただいていて、私自身はちょっと天狗になっていたんですよね。それが地震から2週間後に店を再開した時に、お客さんから「本当にうれしい、おいしい」だとか「また豚饅頭を食べさせていただける」という言葉をたくさん頂いて、私自身「本当に商売を甘くみていたな」と思いました。その時から商売に対する考え方が完全に変わりましたね。

―――のちに東日本大震災の被災地支援にボランティアで入られていますよね?
 東北で大きな被害があったので「何かしなければいけない」と強い思いがあって支援に向かいました。それからは毎年、被災地と交流がありますし、そのあとに地震があった熊本の支援もずっと続けています。それが縁で絆ができるんですよね。震災はつらいですけど、新たな絆は震災がなかったらできていなかったんですよね。去年11月には、新型コロナウイルスの影響で縮小していた「KOBE豚饅サミット」を本来の規模で開いたのですが、熊本の店舗が参加しました。もちろん一番良いのは、支援の必要ない世の中になることですけどね。

史上最年少で理事長「商店主たちの多様な意見を受け入れ、飽きのこない街に」

―――商店街の組合の理事長には2003年になられました。史上最年少の理事長らしいですね?
 そうですね。「きみが一番暇やろから理事長をやれ」みたいな感じでした(笑)。会社を経営しながら理事長も、というのはまだ若い時でしたから大変でしたが、面白かったですね。会社と理事長の仕事は、まったく別でかけ離れているわけではなくて、私にとっては同じなんです。理事長の仕事は会社経営の延長線上だと思っているんです。時間を犠牲にしてではなくて、自分にとってすごくプラスになっていると思います。

―――でも南京町は100店舗くらいあって、その中でいろんな意見とか、いろんなモノの見方をされている人もいらっしゃると思うのですが、1つにまとめるポイントは?
 そもそも、まとめようと思っていないです。「好き勝手にやって」と思っています。当然、いけないことをやりすぎると注意するんですけど、ある程度、多様性を受け入れるということですかね。相互理解が必要で、そこをしっかりしているとうまく運営していけると思っています。あまり組合が「ああせい、こうせい」と言えばかえってよくないと思うんです。南京町はテーマパークではないので、多様性があってこその南京町で、だから飽きのこない街なんだと思います。

転機は1987年、27万人が集まった「南京町春節祭」

―――南京町の大きな転機は何でしたか?
 南京町は1868年の神戸港開港とともに日本人と華僑が店を構える市場として始まりました。太平洋戦争では地域のほとんどが焼失して、戦後に闇市が広がり、外国人バーが林立した少し危険なイメージがする街でした。そこで商店主たちが組合を作り、南楼門や長安門などの街のシンボルを竣工し、街づくりに取り組みました。一番大きな転機は、1987年に初めて開いた南京町春節祭のイベントですね。4日間で27万人が押し寄せました。27万人って夢みているような光景で、自分たちがやったイベントがここまでみなさんに響いて来ていただくって本当に感無量でしたね。あの祭りで南京町は方向性が定まったと思います。

―――南京町の強みは?
 店主とか従業員がそれぞれ好きな形で自己表現をしていて、それでいて常にコミュニティという形を大切に守っているという点ですかね。例えば、街の基調は赤と黄色とグリーンです。中国でいうと陽の色で、すごく気持ちが晴れやかになって前向きになって高揚するような、ハッピーになるようなそういう色使いをしています。異国情緒が味わえ、中華料理が有名ですが、中華料理以外のスイーツや日本料理、洋食とか全てがこの街に凝縮しているので選択肢が多い。そういったところが南京町の強みですかね。

「お楽しみ」を次の世代に残す...いい形でバトンを渡したい 

―――外国人観光客も戻りつつあります。アフターコロナの取り組みは?
 去年12月には「南京町ランターンフェア」を開きました。去年も中止になった神戸ルミナリエの代替事業として、南京町の広場で光の装飾「ロソーネ」を披露させていただきました。初めてルミナリエを見た時は本当に涙が出そうなくらい感動しましたし、その気持ちを末永く忘れないでいたいという思いからです。今年1月には「南京町春節祭」を開きました。コロナ禍以前とほぼ同じ規模に戻しました。また、この時期に合わせて、南京町監修で大手コンビニ「ローソン」とのコラボ商品7点を販売する試みもしました。

―――南京町商店街振興組合の理事長としての夢は?
 たいそうなことはあまり考えていないですけど、次の世代にバトンタッチしやすいようなバトンをいい形で渡すことですかね。重たいとか形の悪いバトンではなくて、スムーズに渡せるようなバトンを次の世代に渡してあげる。加えて、我々の時代で全部やり尽くさない。お楽しみは次の世代に残す。幸せに感じる瞬間は、自分たちが考えたことが現実化する時だと思っています。その時が一番幸せややりがいを感じると思いますので、そういうことを感じられるようなフィールドを残してあげたいなと思っています。

―――最後に、曹さんにとってリーダーとは?
 リーダーとは想像力、行動力、そして責任感が必要だと思います。さらに最近特に思うのは、柔軟性が大切だということですね。自然災害や国際化などのような課題に対して、柔軟性のある判断がリーダーにとってはこれから大切な要素になると思います。

■曹英生 1957年、神戸市で生まれる。神戸中華同文学校、龍谷大学経営学部を卒業。1979年、老祥記に入社。1996年、同社社長。2003年、南京町商店街振興組合5代目理事長。

■南京町商店街振興組合 1977年、南京町を維持管理するため商店主たちが結成。南京町は東西約270m・南北約110mの範囲に100を超える店舗が軒を連ね、異国情緒あふれる神戸屈指の観光スポット。横浜中華街・長崎新地中華街とともに日本三大中華街の一つに数えられている。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

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