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「ガンバ大阪」社長は甲子園で優勝した元高校球児 「タイトル奪還」目指し奮闘中!

MBSニュース / 2023年9月1日 13時48分

 今年でJリーグがスタートして30周年を迎えた。Jリーグ創設当初から名を連ねる「ガンバ大阪」。大阪府吹田市にホームグラウンドがある。2014年には、J1リーグ・天皇杯・カップ戦で優勝。三冠を達成した輝かしい実績を残している。いまクラブを率いるのは、かつて高校球児として甲子園での優勝経験がある小野忠史社長だ。全くサッカー経験のないままクラブの運営を任され、新型コロナの感染拡大で厳しい時期も経験した。いま小野社長は何を考え、クラブをどこへ導こうとしているのか聞いた。

「逆転のPL学園」の経験から「最後まで諦めない精神」を大切に

―――小野さんはサッカー少年ではなく、かつての強豪校、大阪のPL学園野球部だったんですよね?
 全寮制でしたので四六時中、気を抜くことができなかったですね、特に下級生のころは。練習は当然、厳しかったですしね。高校2年生の第60回夏の記念大会で優勝しました。甲子園に出させていただいて当時は「逆転のPL学園」と呼ばれる時代で、まさに私自身が2年生の夏の大会と3年生の選抜の時に「逆転のPL学園」を身をもって経験をさせてもらいました。すごい試合で特に2年生の準決勝は、4対0で負けていたのを9回裏に4点追いついてサヨナラで勝って、決勝戦は2対0で負けていたのを最終回に3点とって優勝しました。最後まで諦めない精神というのは、その後の人生にとても役に立っています。実際、身を持って経験できたので、最後まで諦めないという精神は、仕事においても私自身、すごく大事にしていることですね。

―――小野さんが社会人野球のユニフォームを着ていたのは27歳までですか?
 選手としては27歳までで、その後にコーチをしまして指導者として33歳までユニフォームを着ていました。それからは毎日スーツを着る生活になり完全に野球を卒業して、もう新入社員同然でした。松下電器(現パナソニック)に同期で入ったメンバーは主任に昇格してバリバリ仕事していましたけど、私は全く右も左も分からないところからのスタートだったので、その時はものすごいプレッシャーでしたね、10年の差があるわけですから。仕事ができないので、一番に会社行って鍵を開けて机を拭くことからやりました。本当はね、仕事で貢献できればいいんですけど、まず商品を覚えないといけないですし、1人で営業なんて行けませんから、まずは元気良く、職場の雰囲気を良くしようと挨拶からしっかりして「体育系らしく」から入りました。 

―――仕事としては営業でしたよね?
 営業一筋ですね。ある自動車メーカーを顧客密着営業という体制で担当していました。いまある商品を売りにいくんじゃなくて、お客さまが欲しい商品を開発するんです。私の担当でしたら車に必要な商品をどれだけ提案するかということです。ですから、できるだけお客さまとのコミュニケーションを密にして要望をとにかく聞き入れて、我々の開発部隊と連携しながら商品を生み出していく...。だから、私が担当しているお客さまにパナソニック初の商品を世に出させていただいたこともあります。

突然のガンバ大阪への辞令 「サッカー知りませんけど」から始まったクラブ運営

―――「ガンバ大阪を任せる」と言われたのは?
 当時、勤務地が関東だったんですね、単身赴任で。「5年ぐらい勉強してこい」っていうことで辞令をいただいたんですけど、6年たっても10年たっても帰らせてもらえないですし、15年たって、私としましても家族の関係とか子どももまだ小さかったですしね。いろいろあってやっと「大阪帰りたいんか?」と当時の役員から言われました。もちろん「はい」と即答でした。そしたら「じゃあ、帰らしたるわ」と紙に書いてパッと見たら「ガンバ大阪」と書いてあって驚きましたね。「サッカーは全く知りませんけど」と思わず言いましたね。

―――野球は経験していましたが、サッカーはそんなに詳しくないのにですよね?
 詳しくないですし申し訳ないですけど、Jリーグの試合をスタジアムで観戦したことなかったですからね。当然、代表戦をテレビで拝見するぐらいはありましたけどね。異動が決まってパナソニックスタジアム吹田での開幕戦を見にきたんですよ。初めて試合を見て感動したんです。鳥肌たちましたよ、初めてのあの雰囲気に。サッカーの試合というよりも応援の雰囲気にまず感動しました。スタジアムでみなさんが、声をひとつにして応援される熱狂的な声がすごいので、それを初めて体験した時「4月から着任するけど、これはすごく大変な仕事だな」と思いました。「ガンバ大阪に関わる全ての人たちに笑顔をお届けしたい」というのが最初の決意でしたね。

社長に就任早々、新型コロナで試合ができず興行収入ゼロに!

―――社長になってからいろいろと新しいことを手掛けられていますよね?
 ガンバ大阪としては去年10月が30周年だったんですよ。もう一度、新たなガンバ大阪を作るためにみんなで一歩踏み出そうといろいろな改革をしました。そのひとつがエンブレムの変更です。黒い枠はゴールをイメージしていて、栄光を目指すっていう意味合いがあります。下の青のラインは青い炎を意識していまして、ガンバ大阪は青と黒というチームを象徴するカラーがあるんですけど「青い炎の熱狂を生み出す」という意味合いと、あと青のラインはハートをイメージしていまして、みなさんの中心でありたいっていう思いを形にしました。

―――社長になってから一番、大きな決断は?
 2020年の4月に社長になったんですが、ちょうど新型コロナが始まった年で、全てのスポーツ事業が止まったんです。Jリーグも開幕戦を1試合やって全部止まったんですよ。7月まで興行収入がゼロですから。そして2021年度のキャンプが終わって、いよいよシーズンスタートだという時にうちの選手から陽性者が何人かでたんです。ちょうど、いまでも覚えていますけど「名古屋グランパスエイト」の試合の日で私が車でアウェイの試合に向かって移動中の時に「陽性者がでました」という連絡が入ったんです。結局、複数の陽性者が出たので、試合をどうするかということになりました。

―――選手を変えれば、試合はできますからね。
 そうなんです。18歳以下で下部組織に所属しながらJリーグの公式戦に出場できる2種登録の選手だとか高校生とかを使ってもいいというルールが当時あったんですけど、ここで決行して結局、家族も不安がっているし、やはり安心・安全を最優先にすべきだということで、移動中に前チェアマンの村井チェアマンに直接、電話をして相手チームのクラブの社長にも電話して、試合の1時間半前に中止を決断したんです。お客さまはもうスタジアムに入っているんですよ。当日にお客さまが入っている試合を止めるということは、大変な迷惑をおかけすることなんですが、本当に相手チームにも迷惑かけましたし、もう本当に大変な経験をさせていただきましたね。

サッカー以外のスタジアムの楽しみ方を模索中「泊まりキャンプ」「遠足で走り回る」

―――ガンバ大阪の強みはなんでしょう?
 スタジアムは何か所か見せてもらったことがありますけど、ガンバ大阪のホームスタジアムは、日本でトップクラスのスタジアムだと思っています。4万人収容のスタジアムなんですが、スタンドからラインまでが10mなんです。だからお客さまから選手に手が届きそうで、最前列の観客は選手を目の前で見ているような形になっています。

―――普通に会話ができるぐらい近いですよね?
 グラウンドは天然芝なので風の通りも計算して設計しています。 やはり芝生は風が重要ですので。専用の業者に芝生の管理をしてもらっています。もうひとつガンバ大阪の強みは、どこのクラブもそうだと思うんですけど、我々の全てに関わるステークホルダーのみなさんが素晴らしい関係で支援いただいている、その関係性を我々は、これからも継続していかなければならないと思っています。

―――2025年には大阪・関西万博があります。それに向けて何か考えられていますか?
 たくさんの人たちがいろいろな国から来られるので、このスタジアムにも足を運んでいただけるようなことを検討し始めたところなんです。去年ぐらいから増やしているのは、地域の子どもたちにできるだけ喜んでもらえるようにと遠足で使ってもらって、自由に走ってもらうことなどをやってるんです。 あと防災キャンプですね。これも去年から始めているんですけど、ファンやサポーターのみなさんにピッチの中ではないですけどラインの外のエリアで一晩テントを張って泊まりキャンプをしていただくんです。

―――何か起こった時にはこうやって過ごすんだっていうのを体験できると?
 吹田市の防災拠点にもなっているんです。スタジアムの下にある備蓄倉庫には毛布などを備えています。いろんな形でスタジアムを地域貢献で活用したいと思っています。あと事業的にはコンサートを頻繁にできればいいんですが、天然芝でなかなか難しいので、逆にスタジアムの周辺は結構、エリアが広いので、何らかの活用をと。これはまだ言えないですけど、いろいろなプロジェクトが進行中です。簡単に言うと遊園地みたいなのが作れないか、ミニ遊園地とかね。パナスタに行ったらサッカー見て、こんなこともできる、あんなこともできるっていうのを将来的にやっていきたいと思っていて、みんなが集う場所にしたいなと。

勝ってみなと喜びを分かち合う それが我々の使命

―――トップとして心がけていることは?
 おととしのスローガンが「TOGETHER as ONE」というスローガンにしたんです。みんな心をひとつにしてガンバ大阪に関わる全ての人たちと一緒にっていう思いが強いですね。とにかく7年遠ざかっているタイトルもそうですし、このスタジアムでの勝利もそうですけど喜びを分かち合いたい、これが一番ですね。Jリーグは、理念として「地域密着・社会貢献」が求められます。我々のフットボールがまずは魅力を持たないといけないですけど、両輪で走らせていかないといけない。勝ってみなさんに喜びを味わっていただくのが、我々の使命だと思っているので。

―――最後に小野社長が考えるリーダーとは?
 どのような状況においても決しておごることなく、常に謙虚な気持ちと感謝の気持ちを持ち続けられる人。そして、関係する全てのみなさまの衆知を結集できる人が、私が理想とするリーダー像となります。私自身もその思いをもって取り組んでいきたいと思っています。

■小野忠史 1961年大阪生まれ。1984年東洋大学を卒業して松下電器産業(現パナソニック)に入社。2019年「ガンバ大阪」副社長。翌年から同社社長。

■ガンバ大阪 1980年創部。1992年クラブ名を「パナソニックガンバ大阪」に、1996年「ガンバ大阪」に変更。2022年度の観客動員数は平均1万7000人、売上高は約59億円。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

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