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<開業51年で死亡事故ゼロ>世界一安全な乗り物「新幹線」を生んだ特攻兵器「桜花」の開発者

メディアゴン / 2015年6月27日 6時30分

岩崎未都里[学芸員・美術教諭]

* * *

2015年5月のアメリカ・ペンシルバニア州で発生したアムトラック鉄道事故。死者7人、負傷者200人超という大事故となりました。

アムトラック鉄道事故の原因は、時速170キロでの運行中に、カーブを曲がりきれず脱線したことにあります。しかし、日本の新幹線は遥かに早い速度200~300キロで運行しながらも、開業以来51年間死亡事故を一切起こしたことがありません。現在、日本の鉄道技術導入が米国民・議員の間でも話題に上がっています。

この世界に誇るべき新幹線の死亡事故ゼロの記録。新幹線0系車両は、元飛行機の設計者である三木忠直氏が中心になって開発されました。

三木氏は戦時中、航空機設計のエリートで、爆撃機「銀河」を1年足らずで設計する有能な技術者でした。あの特攻専用の有人ロケット機「桜花」の機体設計に、心ならずも従事。その結果、多くの若者を死なせてしまったことを知り、彼は技術者としての進退まで考えるほど、心底悔いたといいます。

戦後、新しい仕事を選ぶ時にも、決して人を死なせるものは作るまい、と心に決めていたそうです。三木氏はあるインタビューで、次のように答えています。

 「自動車は、戦車になる。」
 「船舶は、軍艦になる。」
 「鉄道ならば、平和利用しかない。」

こうして、国鉄の外郭団体である「国鉄鉄道技術研究所」に就職し、平和利用のための鉄道開発に技術者人生を賭けて取り組みを開始します。

0系開発には、航空機開発の技術が余すところ無く注入されました。空気抵抗の少ない流線型の車体が、粘土模型で何種類も試作されました。三木氏は部下にこう説いていたそうです。

 「美しい形は速いのですよ。」

彼の理想とした「美しい形」は戦時中に設計した高速爆撃機「銀河」の流麗なボディが念頭にあったようです。試行錯誤の末、新幹線の流線型フォルムは完成しました。

しかし、世界最高水準の250キロを超える超高速での走行には、車体の揺れを防ぐ技術開発が必要でした。そのため抜群の運動性能を持つと言われた「ゼロ戦」の機体の揺れを制御する技術を確立した技術者が、画期的な油圧式バネを考案し台車を完成させました。

このように超高速での振動を克服。さらに安全面を重視し、電車が近づいた時や地震があった時など、安全装置が働いて、自動で新幹線が停止するような仕組みが必要とされました。

ここでも軍で信号技術を研究していた技術者が、「自動列車制御装置」(ATC)の実験に取り掛かり、この問題も解決していったのです。

そして昭和38年、当時の列車のスピード世界記録255キロを超える時速256キロを記録し、新幹線は世界記録を更新しました。

新幹線が開通してから、2015年の今年で51年。その間、新幹線は、一度の大事故も起こすことなく、「世界で最も安全な乗り物」としての評価を不動のものとしています。

新幹線の技術は、その後の超高速列車の基本モデルとなり、「新幹線安全神話」であり続けていることは周知の事実ですね。

筆者は、三木忠直氏は世界一速いことより、死亡事故ゼロを誇りに思っていた、と確信しています。 世界で最も安全な乗り物、人が死なない乗り物、それを作った設計士の信念。「自分の技術」が若者たちを死なせてしまったという苦悩。

これが「新幹線安全神話」の原点なのだということを、零戦や戦争を美しく演出された映画やドラマに涙する日本人は知るべきでしょう。

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