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<天龍源一郎がプロレス引退試合>ファンのために極限まで肉体を酷使した「真剣勝負」の40年に幕

メディアゴン / 2015年11月23日 7時30分

柴川淳一[郷土史家]

* * *

2015年11月15日、両国国技館で一人のプロレスラーが引退した。プロレスラーの名は天龍源一郎、65歳。ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両選手からピンフォール(スリーカウントの完全勝利)を奪取した唯一の日本人レスラーと言われている。

当日の対戦相手は37歳年下の新日本プロレスのスターレスラー、IWGP王者のオカダカズチカ 。レスリングスタイルもキャリアも所属も違う。果たして、このカードが天龍源一郎の引退試合として観客に承認されるのか? 筆者は不安であった。

天龍源一郎と言えば宿命のライバルはジャンボ鶴田(1951〜2000)。二人の試合は、昭和のプロレスファンなら誰もが認めるカードである。

しかし、ジャンボ鶴田に天龍の引退試合を求めることは不可能である。天龍源一郎より一歳年下の元オリンピック選手で、筑波大学教員でもあった鶴田友美氏(ジャンボ鶴田)は2000年5月に病死している。

両者は「鶴龍コンビ」と言われたが、後に袂を分かち「鶴龍対決」と呼ばれた。プロレス黄金時代の超人気カードである。両者は常に対極にいた。オリンピック出場後、中央大学卒業時の記者会見で「尊敬する馬場さんの会社に就職します。」の名言を発したスター鶴田選手。

それに対して、天龍源一郎は追われるようにして大相撲二所ノ関部屋と訣別している。1976年秋場所勝ち越した後、相撲協会に廃業届を提出。元来「天龍」の四股名は波乱不吉の名とされた。昭和7年の力士の労働争議事件のリーダーが天龍の名であった為だ。

逆境の中から天龍源一郎の40年に渡るプロレス人生はスタートした。

チャンピオンベルト(名声)や有名団体に所属する(カネ)よりも男の意地とレスラー社会の義理を貫き通したそのプロレスラー人生は、世代を超えて多くのファンの共感を得た。

その姿勢は常に「真剣勝負」。プロレスはフェイクだ、八百長だと言う向きには端から話を俎上に載せる事のないようお願いする。天龍源一郎のプロレスはファンに共感されてこそのプロレスだと言うものであった。

そのため、肉体を極限状態に置いてのプロレスリングが40年間続いた。手術後も改善されない脊柱管狭窄症。リングを降りると歩行困難な両膝のダメージ。セルライトの浮いた大腿部・・・。それらを隠さない潔さと同時に患部を保護するベルト、サポーターが40年分の壮絶な真剣勝負を物語っている。

プロレスが真の強者を決定する果たし合いならば、65歳までリングに上がる必要は無いだろう。史実に言う剣豪・宮本武蔵のように28歳で引退し、無敗、最強の承認を立会人から得れば良いのだ。その為にはファンもオーディエンスも不要だ。

しかし、天龍源一郎は違っていた。ファンの為に闘って来た。オーディエンスがいてこそのプロレスリングであった。だから、引退試合は見に来てくれるお客の為の最高のカードが組まれたのだ。

「昭和のプロレスVS平成のプロレス」。多くのファンが望んだ「天龍源一郎引退試合(60分1本勝負)」の結末は、17分27秒片エビ固め。勝者・オカダカズチカ、敗者・天龍源一郎であった。

試合後、リングでダウンした天龍源一郎に向かってオカダカズチカは深々と頭を下げた。その様子を両国国技館満員札止め10552人の観客は見ていた。

彼らは昭和のプロレスの終焉と言う歴史の現場に立ち会ったのだった。

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