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<SMAP解散騒動の本質>ジャニー喜多川氏の発明「アイドル量産システム」はもはや特許

メディアゴン / 2016年1月20日 7時30分

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

* * *

SMAP解散は「鎮圧」されたのか、それとも「回避」されたのか。どちらの表現が好ましいかは人それぞれであろう。

この解散騒動、外面的に見えるものと、内面にあるものはまったく正反対の様相を呈していることが、芸能界の外の人にも、なんとなくわかるだろう。それを理解するには(別に理解したくないかもしれないが)ジャニーズ事務所の歴史を振り返ってみるといいかもしれない。

ジャニーズ事務所は1962年(昭和37年)にジャニー喜多川氏により創設された。伝統的に男性アイドルの育成が得意だとされている。筆者は昭和30年の生まれだが、事務所設立と同じ年、ジャニー喜多川氏によって結成された男性アイドルグループ「ジャニーズ」の活躍ぶりを覚えている。メンバーは、あおい輝彦・飯野おさみ・中谷良・真家ひろみ。

前年の1961年(昭和36年)に日本公開された米ブロードウェイのミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』を見て感動した野球チームの子どもたちで結成された歌って踊る4人組のグループとだとされる。

実は、野球チームの結成の方が先で、ジャニー氏が「 Youたち、野球やらない?」と多くの男の子たちに声をかけていたのは伝説になっている。野球チームの名前は当初「オール・ヘターズ」というもので、のちに野球チームも「ジャニーズ」に変更になるが、変更にならなければ芸能事務所の方もオール・ヘターズ事務所になっていたかもしれない。

このジャニー喜多川氏のお姉さんがメリー喜多川氏であり、その旦那さんが元・東京新聞記者で作家の藤島泰輔氏。藤島氏の父親は日本銀行の監事。学習院大学では今上陛下とご学友である。メリー藤島夫妻の愛娘が藤島ジュリー景子氏。

現在のジャニーズ事務所の役員構成は以下の通り。

1. 代表取締役社長:ジャニー喜多川
2. 代表取締役副社長:メリー喜多川
3. 代表取締役副社長:藤島ジュリー景子

バリバリの同族会社なのである。創業者一族がやっている有名企業という意味では日本一の製造業TOYOTAと同じである。

だが、その経営方法は、TOYOTAが中継ぎにプロパーのサラリーマン社長を持ってきて、経営の緊張感を高め、近代化を図り、創業者一族に再びバトンタッチすることで精神的支柱とする方法と比べ、前近代的で興行師的体質が色濃く残っていると言わざるをえない。

芸能の伝統を守っていると言えば言える。この体勢に反旗を翻したのがSMAPのマネジャー飯島三智氏という図式である。

ジャニーズの次に人気になったのは北公次・江木俊夫・おりも政夫・青山孝の「フォーリーブス」である。日本テレビの番組「プラチナゴールデンショウ」で、メインを張った。

「プラチナ万年筆」の提供だからこういう番組名なのだが、「白金黄金ショウ」というのはキラキラネームのような番組名である。「地球はひとつ」( 作詞:北公次、作曲:都倉俊一)という当時の若い奴なら誰でも歌えた持ち歌があった。この歌の冒頭はセリフ。

 「 (セリフ)ボクから逃げようたって 駄目だョ… 逃げれば 逃げるほど ボクに近づくってわけ… だって 地球は まるいんだもん!」

シブがき隊の「スシ食いねェ!」舞祭組(ブサイク)の「ブタのケツ」など、今のジャニーズ事務所歌手のおもしろ選曲路線の先駆けである。

ジャニーズから、フォーリーブスまでの間にはグループサウンズ(GS)の大隆盛期が挟まっている。GSはジャニーズ事務所ではない。ジュリーこと沢田研二のザ・タイガース、田辺昭知とザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ショーケンこと萩原健一のザ・テンプターズ、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ、オックスなどなど。この時期はジャニーズ事務所にとっては雌伏の時期である。

女にモテたいがためにだけ、バンドを組んだことのある若かりし頃の筆者は、このGSを見て、一つ呆れていたことがあった。

 「テレビで見るGSは、みんな演奏してないじゃないか。演奏するふりをしているだけだ。本当に演奏しているのはザ・ゴールデン・カップスとモップスだけだ。おれたちはモップスになるぞ」

と、筆者のバンド「グラスホッパーズ」の面々は誓ったりしたのである。

やがてGSは衰退し、アイドルの時代がやってくる。1960年代前半にジャニーズの付き人をしていた北公次をどうしてもデビューさせたいとの事務所側の思惑から各所からメンバーを集めて結成されたのがフォーリーブスである。・・・という事情は当時、愛読していた「明星」や「平凡」から仕入れた知識である。

思い返せば皆ユニゾン。ダンスもユニゾン、歌もユニゾン。ハーモニーは邪道。これもジャニーズ事務所伝統である。北公次はステージ上でバック転を披露したアイドルでもありこれもジャニーズ事務所伝統。

フォーリーブスはまた、エアーギター、エアードラムの先駆けでもあった。テレビを凝視していると、スティックはドラムにあったっていないし、エレキギターにコードはつながっていない。

モップスを目指していたグラスホッパーズはあきれて名をFESTY に変えてJAZZに走ったが、メンバーの力量差がありすぎて、解散せざるをえなかった。断っておくが、筆者の場合は円満解散である。

考えてみれば、口パクやエアードラムはこの時代のテレビから始まったのだろう。田辺昭知とザ・スパイダースのリードタンバリン・堺正章は(サイドタンバリンは井上順)田辺エージェンシーの社長となり、興行界の重鎮となった田辺昭知を結婚式で紹介する時にこう言って笑いを取る。

 「次に挨拶していただくのはスピーチとドラムが下手な、田辺昭知です」

このあとジャニーズ事務所からは綺羅星のごとくアイドルが輩出する。

・郷ひろみ(フォーリーブスのバックダンサー出身)
・近藤真彦
・田原俊彦
・野村義男
・シブがき隊
・少年隊
・SMAP
・TOKIO
・V6
・KinKi Kids
・タッキー&翼
・NEWS
・KAT-TUN
・Hey! Say! JUMP

などなど。この一連のタレントの中で一番の重鎮は皆から「マッチさん」と呼ばれる近藤真彦(昭和39年生まれ51歳)である。

こうしてみると、このアイドル大量生産システムはジャニー喜多川氏発明の特許と言って差し支えないだろう。ならば特許権料は発明者のジャニー喜多川氏独占で良いはずである。

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