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テレビのニュースはなぜ信頼されないのか?

メディアゴン / 2017年6月24日 7時30分

保科省吾[コラムニスト]

* * *

 「テレビニュースは視聴者に信頼されてこそ成り立つ」

この命題に異を唱える人はいないだろう。では、「テレビニュースにおける信頼」とは、何なのだろうか。

「信頼」は「価値の共有」「能力認知」「動機の多寡」によって成り立つという(中谷内一也『信頼額の教室』講談社現代新書)。中谷は、「価値の共有」「能力認知」「動機の多寡」の3つは、相互に関わり合いながら「信頼」を醸成する要素となると説く。

これをテレビニュースにこれを当てはめるとどうなるのか。

「動機の多寡(動機づけ)」とは、平たく言えば一生懸命やっているかどうか、やる気があるかどうかである。ニュース番組制作者にたいし、視聴者がそうだと判断すれば信頼の1ピースが生まれる。

「能力認知」とは、そのものずばり、ニュース番組制作者が視聴者に必要な情報を伝える取材力や分析力があるかどうかである。

冒頭に挙げられている「価値の共有」はいささか難儀である。視聴者とニュース番組制作者が「価値の共有」をすることなどあるのだろうか、と瞬間的には思ってしまう。

「価値の共有」を黒澤明監督の『七人の侍』に当てはめて考えてみる。

百姓たちは野武士からその収穫を守るため、なけなしの金で7人の侍を雇った。途中、7人の侍はその剣の腕のすばらしさを見せて百姓たちを驚かせる(能力認知)。払った金はわずかであるが、腹一杯飯を食わせてもらえることは侍にとってかけがえない条件だ。皆、暴れたく仕方ないようにも見える。

村人を巻き込んで砦を作り、村人たちに守備の訓練を行う。やる気が感じられる(動機の多寡)。しかし、侍たちが「守ってやる」という価値で動いているのに対し、村人たちは「俺たちを守ってくれ」という価値で動いている。

これでは「価値の共有」は、生まれていない。しかし、村人と暮らしを共にするうちに、両者には違う意識が生まれてくる。

 「互いに力を合わせて村を守ろう」

これで「価値の共有」が醸成される。ようやく、侍と村人は完全な信頼関係を結んだというわけだ。このように信頼を生むための「価値の共有」は最も難しいことであり、しかも3要素の中でもっとも、信頼醸成に於いて重要性が高いのである。

話を元に戻す。では、ニュース番組制作者と視聴者の「価値の共有」とは、一体何なのか。

(1)社会正義の実現

(2)平等の実現

(3)知らないことを知ることが出来る

(4)主義主張のプロパガンダ

(5)公正さの実現

などが考えられる。しかし、どれも微妙に両者の「価値の共有」ではないように思えるし、「(4)主義主張のプロパガンダ」においては一部の人の「価値の共有」で終わってしまう。

「(5)公正さの実現」については2月25日付の朝日新聞で歴史社会学者の小熊英二氏が次のような意見を述べている。

 「まず『××党の政策はすべて正しい、迷わず支持すべきだ』という報道姿勢は『公正』とは言えない、これは誰でも同意するだろう。次に『政府はこう述べています』『野党はこう主張しています』と言った報道姿勢はどうか。確かに『無難』ではあるがこれは報道機関の役割放棄といえないだろうか」

その通りであると思う。ということは、ニュース番組制作者と視聴者の「価値の共有」は結局望めないのではないかという気もしてくるのである。

せめて視聴者がアダム・スミスの言うように「公平な観察者(impartial spectator)」であり続けるしかないのである。

公平中立さは受け取る側にこそ求められるのである。

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