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<自立できないカリスマ主婦たち>なぜ清原亜希は清原姓を捨てられないのか?

メディアゴン / 2016年2月28日 7時40分

メディアゴン編集部

* * *

覚醒剤取締法違反で逮捕された清原和博容疑者の元妻として、また敏感で育ち盛りの子ども抱えた母として、清原亜希氏には他人事ながら同情してしまう。

その一方で、一般的な感覚では理解のできないこともある。離婚後・逮捕後も、「清原姓」を名乗り続けているということだ。もちろん、氏名が変わることで起きる子供たちへの影響を考えれば、家族ぐるみで「清原姓」を名乗り続けることは、多いにあり得ることかもしれない。

しかし、モデルを生業とする亜希氏までもが、なぜ「清原亜希」を名乗り続けるのか不思議に思った人は多いはずだ。少なくとも、モデルとしての亜希氏だけは旧姓に戻すか、あるいは「亜希」だけでも良いだろう。ファーストネームだけのモデルは多いし、人気タレントやモデルが離婚して苗字を変えたぐらいで、人気や知名度に大きな影響を及ぼすことは通常であればあまりない。

特に、覚醒剤取締法違反という、芸能活動をする上では致命的な傷を負ってしまった「清原姓」を利用し続けるリスクは極めて高い。「プロ野球選手・清原」がいかにブランド力があろうが、現態であれば「清原容疑者との関わり」はブランド力どころかマイナスでしかない。

清原亜希氏、旧姓・木村亜希氏は、1969年生まれの46歳。「40代の公私ともに充実した女性」をターゲットにしたファッション雑誌の表紙を飾る、いわゆる「カリスマ主婦」の一人だ。

亜希氏と清原容疑者の結婚は2000年、亜希氏が31歳のことだ。もともとの人気モデルが、人気プロ野球選手と結婚・・・というわけではなさそうで、清原容疑者と結婚するまでの亜希氏は、一般的には無名に類するポジションであったようだ。

しかし、亜希氏の芸歴は意外にも長く、そのデビューは1984年の「ミス・セブンティーンコンテスト」にまでさかのぼる。工藤静香らと共に「セブンティーンクラブ」として1985年にはレコードデビュー。その後、1986年にはアイドルグループ「B・C・G」のメンバーとして活動。15〜17歳の頃だから、ほとんど「子役俳優」ほどの芸歴を誇っているが、その実態を知る人は少ない。

アイドル活動で人気を得ることもなく、その後10年以上を経て、2000年に清原容疑者との結婚で、急激な注目を浴び、現在に至る。期せずして、「ママタレ」や「カリスマ主婦」「セレブブーム」など、キレイな既婚者や、子持ちでも輝いてる女性、などが注目され始めた頃でもある。

何よりも、スターであった「清原選手」の妻として、また、経緯はさておき「モデル」という職業には他のママタレとは一線を画す、圧倒的にカリスマ性があったことは間違いない。2014年に清原容疑者と離婚した後も、名門小中学校に通う2人の子どもの母としてのブランディングにも成功している。

しかし、清原容疑者が逮捕され、その暗部が詳らかになってゆくなかで、「モデル・清原亜希」の仕事にも支障が出始めていると報じられている。モデルとは広告業である。そして、広告とはイメージビジネスであり、少しでもイメージ悪化のリスクが伴う素材は使いたくないと考えるのが普通だ。

それでもなぜ、亜希氏は危険物のようになった「清原姓」を離さずに使い続けるのか?

筆者なりに感じたことは、昨今「ママモデル」「ママタレント」「カリスマ主婦」とされる層のあまりに脆弱なポジションだ。

これらポジションの人たちには2つの系統がある。

まず、本人がそもそもスターや著名人・実力者であり、その人が結婚や出産を経て、「カリスマ」から「カリスマ主婦/ママ」へとシフトしたパターンだ。

そしてもう一方が、もともと著名であったかはわからないが(そうでない場合が圧倒的であろうが)、著名人やスターと結婚したことで、いきなり知名度とステイタスを高め、「カリスマ主婦/ママ」へと駆け上がっていったパターンである。

この時、前者は「立場が変わっても成功するすごい人」であるわけだが、後者に関しては、「結局、他者(男性)に依存した成功」であるに過ぎない。仮に、雑誌やテレビなどでいくら「カリスマ」として支持を受けようが、人気を得ようが、その実態は「パートナーがすごいから、その奥さん『も』すごい」という幻想の人気であるに過ぎない。

よって、その存在価値は「パートナーの存在」によって左右される。いわば、パートナーの一挙手一投足にすべての生殺与奪を握られている極めて脆弱なポジションであるというわけだ。そう考えると「カリスマ主婦」などと崇め立てられている人たちが実に悲しい存在のように見えてくる。

子どもの頃からの長い芸歴を誇る人でも、なかなか単独では成功できないのが芸能界の厳しさだ。本来、不要であるはずの「清原姓」を捨てることができない理由は、亜希氏が「清原亜希」としてのキャリアしか有していないこと、そして、「清原亜希」であることが最大の商品価値であったことに起因するように思える。

そう考えれば、昨今、数多く目にする「カリスマ主婦」たちは、自分たちのビジネスモデルがいかに脆弱で危険なものであるのかを、改めて考えて活動をした方がよさそうだ。ポイントは「旦那が使えなくなったら、自分は何ができるのか?」の一点に尽きるだろう。

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