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<報道の自己規制>上出義樹氏「メディアを蝕む不都合な真実」

メディアゴン / 2016年11月13日 7時30分

メディアゴン編集部

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上智大学でメディアの研究を続けるジャーナリスト・上出義樹氏が『報道の自己規制 メディアを蝕む不都合な真実』(リベルタ出版)を上梓した、本著作は同氏が北海道新聞社を退職後の70歳にして博士号を取得したときの論文に大幅に加筆したものである、報道の自主規制はなぜ起こってしまうのかを現場機作としての経験を本音で語っている、編集部は同氏に出版の意図などを聞いた。

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 Q「報道の自己規制」をどんな人々に読んで欲しいですか。

[上出義樹氏(以下、上出)]本書の「まえがき」にもあるとおり、ジャーナリズムに関心を持つ多くの方たち、とりわけ、メディアを専攻する大学生や大学院生、若い世代の記者や研究者の方たちに手に取っていただくことを願っております。

併せて、ニュースの舞台裏をよく知る中堅・ベテランの記者やジャーナリストのみなさんには、政治や事件のニュース、原発問題などで繰り返される報道の自己規制の生々しい実態を検証する現場報告や論稿をどんどん公表していただくことを期待しています。

 Q報道機関は「権力のチェック機関でなければならない」という考えに対して「誰もそんな権限は与えていない」と言う意見があります、これについてどうお考えですか。

[上出]一般的に民主主義社会では、報道機関やジャーナリストには、自由に報道したり批評したりする権利があるとされています。しかし、公的な資格を持つ医師や弁護士らとは異なり、報道機関の記者やジャーナリストに職業上の取材特権があるかどうかについては議論が分かれるところです。

いくら社会的に意義のある取材でも、私有地に勝手に入り込んだりすれば法律違反に問われる場合がありますが、「法令順守」が行き過ぎると、福島原発事故の発生直後の報道で、日本のマスメディアの記者たちが、政府の指示を守り20-30㌔圏の取材を放棄してマスコミ不信を招くようなことが起きたりします。

話を戻すと、欧米では記者やメディアの取材・報道に対し、情報源の秘匿など一定の権限を法律で認めており、日本でも裁判で情報源の秘匿などを認めた判例があります。

こうした法律論は別にして、欧米などではジャーナリズムの果たすべき役割が社会的に定着しており、「真実の追求」などとともに「権力の監視」は、報道機関の最も大切な公共的使命とされています。

【参考】露骨なステマで崩れ落ちた「報道ステーション」の信頼感

自らジャーナリストでもあった英国の作家、ジョージ・オーウェルは有名な小説「1984年」の中で、「ジャーナリズムとは、(権力が)報道されたくないことを報道すること。それ以外は単なる広報に過ぎない」と言い切っています。

一方、日本の新聞やテレビは、フリーランス記者らを排除した特権的な記者クラブ制度などもあって政府などと歴史的に、もたれ合いの関係を築いており、残念ながら欧米のメディアに比べ、権力監視の役割を十分に果たしているとは言えないのが現実です。こうした日本的な負の体質については私の著著『報道の自己規制』でも検証しています。

Qテレビの世界では、メインのキャスターに対し「ご説明」と称して官僚が自分たちの立場を説明に来ます。これは受けておくべきだと考えますか。

[上出]官僚からの「ご説明」は、基本的にマスコミ対策の一環として行われるものであり、テレビの報道に対し自分たちに都合の良い影響を与えようとする「操作」や「懐柔」の意図が明らかです。本来は受けるべきでありません。

テレビ側がこれを断れない背景には、放送の許認可権を、欧米のような独立機関ではなく、政府が直接握っている(現在は総務省が管轄)という日本独特の悪しき仕組みがあります。

安倍晋三首相と新聞やテレビの幹部らが頻繁に会食や懇談を行っていることも、「マスコミ懐柔」という点では似ています。ただ、「ご説明」の方は、そういうことがテレビ局で行われている事実さえ視聴者には知らされていません。

いずれにせよ、官僚の「ご説明」も首相との会食も欧米では、メディアと公的情報源の癒着としてご法度とされる行為に当たります。

Qある報道機関が特ダネを報道すると、追いつけないと判断したとき,他社は示し合わせたようにそのネタについて扱わない「特ダネつぶし」ということが行われると聞きます。そういうことはありますか。どんなケースですか。

[上出]大臣の外遊などの際、その大臣や随行員らの訪問先での不祥事や問題発言の特ダネを、政府関係者らに巧みに言いくるめられて、他のメディアが扱わないケースなどが時々あると、聞いたことがありますが、私自身は直接体験したことはありせん。

【参考】メディアが「報道」ではなく「広報」になった国は必ず衰退する

ただ、マスメディアの記者と、政治家や官僚、警察・検察、大企業などとの親密な関係を考えると、十分にあり得ることと推察されます。現実には、「特ダネ」や「特ダネつぶし」よりも、自分だけが重要なニュースをキャッチできない「特落ち」がないよう神経を擦り減らしているのが、安倍政権に腰が引けたお行儀よい最近の記者の実態に近いかと思います。

 Qジャーナリズムの対義語はアカデミズムだといいます。アカデミズムの世界にも身を置いた上出さんは、その違いをなんだとお考えですか。アカデミズムとジャーナリズムの良き関係は何だと思いますか。

[上出]ジャーナリズムもアカデミズムも人により定義が異なりますが、仮にジャーナリズムを「報道」、アカデミズムを「学問」と言い換えるなら、それぞれ「真実」と「真理」の追求が目的であり、互いに連携すべき関係にあります。

実際に、メディア関連の大学の授業や大学院の講義に現役の新聞記者やテレビ局のスタッフをゲスト講師に招いたり、逆に新聞社やテレビ・ラジオ局で大学生や大学院生がインターンシップ生として職場体験するなど、両者の交流が以前よりは少しずつ広がっているように感じられます。

しかし、その一方、ジャーナリズムを専攻する大学院生は新聞社の採用試験で、「頭でっかち」として敬遠されがちです。大学院でジャーナリズムを学んだ実績を評価して新人記者でも自立したジャーナリストして扱うアメリカの新聞社などとは異なり、日本の大手新聞社では、入社後に仕事を通じて一人前の記者に育てる、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)と呼ばれる昔ながらの記者教育が主流だからです。

記者もあくまで社員として扱い、自社のカラーに染め上げようする日本的な企業体質は、報道機関にも色濃く見られます。

新聞社はインターネットの普及などを背景にした深刻な読者離れで総じて経営が悪化し、優秀な人材の確保が以前より難しくなっていると言われていますが、OJTを中心にした伝統的な記者教育が大きく変わる気配はなさそうです。

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