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オタク魂を持っている人は人間として成長する-茂木健一郎

メディアゴン / 2017年1月28日 7時30分

茂木健一郎[脳科学者]

* * *

<オタク同士が出会った時の疾走圧力>

同化圧力(peer pressure)は、人生のあらゆる場面を通して作用している集団ダイナミックスである。「みんないっしょだと安心する」ということは事実だが、それは精神を弛緩させる。

オタク魂を持っている人は、同化圧力から離脱せざるを得ない。なぜならば、興味を持っていることは、多くの人にとっては関心外のことだからである。情熱を向けることを追求して行こうとすれば、ひとりの道を行くしかない。

世間で流行っていることや、メジャーなことを追っている人は帰属を確認できて安心かもしれないが、魂は鍛えられない。むしろ、マイナーなこと、多くの人が関心を持たないことを追い求める人の方が、人間として成長する。

ロングテールのすそ野の、少数の人しか興味を持たないようなことを追い求めている人は幸いである。その人は、小さな領域の中にいかに無限の奥行きがあるかということを理解しているからである。

世間の誰も興味を持っていないようなことに関心をいだいている人が、同好の人に出会った時のよろこびは大きい。深い絆が結ばれる。そこには秘密結社のような一体感が生まれ、どんなに話しても話したりないような気持ちが深掘りされる。

【参考】<通知表の構造がダメ?>間違いや欠点は学習のための重要な情報

オタク同士が出会うと、世間と同じになれ、という同化圧力よりも、むしろ、どれくらい興味を持っていることで疾走できるかという「もっとやれ」という疾走圧力がかかる。だから遠くに行ける。オタク同士の出会いは、宇宙のもたらす奇跡の福音である。

<ほんものの個性を発揮するために必要なサイレント・ピリオド>

同化圧力は、子どもの頃から思春期に固有の問題だが、それを少しでもやわらげるためには、同年齢の子で学年を構成するという現在の教育システムを緩和することが有効であると考える。

よく、街で中学生や高校生が制服を来て歩いているのを見ると、ふだんのその子たちの振る舞いとは異なる振る舞いをしているのではないかと推測されることがある。その子たちが家族といたり、社会の中で一人でいるのとは違うモードになっているのであろう。

「同じ」年齢の子どもたちをあつめて、制服を着て教室に座っていたら、同化圧力が高まるのは当たり前である。一方、その子たちを年齢もバックグランドも異なる人たちの中に置いたら、同化圧力は決定的に減るだろう。もちろん、広い意味での文化という同化圧力は残るだろうけれども。

社会の課題として、同化圧力で金太郎飴のような人間をつくるのではなく個性のあるとんがった成長を促進したいのならば、同年齢が同学年で教室で学ぶという今のスタイルを、撤廃とまでは行かなくても緩和することが有効であるはずだ。あるいは、教室外でそのような機会を増やせば良い。

【参考】<センター試験>多様な世界の中で、一つの文脈に挑戦すること

バックグランドの異なる人たちと接している時には、個性を発揮するのが一時的に難しくなっておとなしくなる時期がある。これは、外国語修得における「サイレント・ピリオド」と同質の「探っている」期間であろう。そこをくぐり抜けて初めて発揮できる個性がある。

その意味で、同学年の子どもたちと同化圧力の下集団で動いている子も、異なる年齢の大人たちやバックグラウンドの異なる人たちといっしょにすれば、一時期大人しくなるはずで、そのようなサイレント・ピリオドを経て出てくる個性こそがほんものだということになる。

<オタクの青春>

集団の中で、他の人と違った属性を持っている人に対して、同化圧力は突出したパラメータを平均値の側に戻す方向に働くことが多い。だから、一つの道を極めようとする人は、常に同化圧力を警戒しなければならない。

たとえば、ここに将棋が突出してうまい少年がいたとする。学校では相手になる人がいないとなると、対局する時に、少し手加減するとか、棋譜を諳んじて電光石火なのに、そんなことができないふりをしたりしなければならなくなる。

そういう少年が向かうべきは、将棋がうまい少年たちのクラスターで、それは大会かもしれないし、あるいは奨励会のような組織かもしれない。プロ将棋棋士のところに行くのもいいだろう。そのような場にいくと、同化圧力とは別の圧力がかかるようになる。

ある特定の傾向を持っている人が、もっとやれ、まだそんなものじゃないだろう、上には上がいると、さらにその傾向を増強し、「煽る」ような圧力に接した時の伸びしろは目覚ましい。そのようなクラスターへの移動が、成長のために唯一必要なことである。

ある特定の傾向を持つ人の分布は、空間的に離れているから、学校など、周囲の環境を見渡しても仕方がない。むしろ、遠くの人でも「同好の士」を見つけて、その人との間で切磋琢磨するしかない。将棋のようにある程度それが制度化されていればいいが、そうでなければ、自分で探さなければならない。

学校の中でも、よく注意深く探すと、自分と同じような傾向を持つ人は2、3人はいるはずである。そのようなサーチをして、後はお互いに「まだまだ」「そんなものか」「まだ行けるだろう」と煽り合えば、それは素敵なオタクの青春になるだろう。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

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