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<天下りのニーズ>なぜ官僚の天下りはなくならないのか?

メディアゴン / 2017年2月5日 7時30分

保科省吾[コラムニスト]

* * *

文部科学省の天下りが問題になっている。あれほど叩かれた天下りなのにまだやっているのかとあきれるばかりである。

この議論になると訳知り顔の人が必ずこういう意見を述べる。

 「日本はバカな政治家ではなく、官僚で回っている国である。あまり天下りを厳密に取り締まると、いい人材が官僚にならなくなる」

その理由はこうだ。日本の高級官僚の職業生活は天下りを前提にできあがっている。官僚の人事はピラミッド構造であり、トップの事務次官になれる人は同期でたったひとり。そこまでの競争で同期は次々に外へでる。

それが天下りである。この天下りがないとなると、官僚というのは実に不安定な仕事ということになる。結果として、高学歴で就職する職業としては魅力がなくなってしまう。

【参考】イタズラをした生徒への制裁を学級会の多数決で決めることは民主主義か?

「良いか、悪いか」を脇に置くと、この理論は筋が通っているように思ってしまう。だからこそ、「良いか、悪いか」を脇に置いて考えてはいけないコトのである。やはり、天下りは「悪い」のだから。そもそも天下りを前提にした職業があってはならないのだ。

となると、天下りがなくならないのは、まだ、天下りが前提になっている構造が残っているからであろうと推測が出来る。

さらに言えば、本気で「天下りをなくそう」と思っている人がいないのではないか。天下りを根絶できるのは政治家だけである。ようは政治家が天下りをなくそうと思っていないのである。騒ぐ政治家は多いが、結局なくならないということは、みんな一時しのぎでごまかそうと思っているだけなのだ。

つまり、日本の政治家は天下りなどしてもらっていいから、官僚を必要としているのだ。

官僚が天下りをしてはいけないというルールはルサンチマン(そねみ、ねたみ)から発している。ニーチェの言うところの「奴隷道徳(強い者は悪い、弱い者は善いと考える)」である。しかし、奴隷道徳では天下りは、なくならない。

すると、これは 奴隷道徳ではなく、ニーチェ言うところの「君主道徳」にしなければならないということだろう。君主道徳は意志強固な道徳であり、良いものは有用なもの。悪いものは有害なものとする。

官僚はこの理屈が分かる人がなるものなのである。分からない官僚には道徳教育が必要である。それが分かった官僚にならば、筆者は高給を払って差し上げても良いと思う。

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