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日テレ「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクの是非

メディアゴン / 2018年1月21日 7時30分

日テレ「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクの是非

高橋維新[弁護士/コラムニスト]

* * *

2017年12月31日に放映された「笑ってはいけない」(日本テレビ)で、ダウンタウンの浜田雅功が映画『ビバリーヒルズ・コップ』に出演していたエディ・マーフィに扮して顔を黒く塗っていたことが人種差別的な表現だとして問題になっています。欧米でも、BBCやニューヨークタイムズで取り上げられているようです。

BBCとニューヨークタイムズの記事では、いずれも浜田のこの扮装を「ブラックフェイス」(黒人以外が黒人を演じるために施す舞台化粧や表現。ステレオタイプな人種差別を想起させ、タブーとされている)だと報じ、黒人で日本在住のBaye McNeil氏というコラムニストがこのようなブラックフェイスの表現をやめるようツイッターで呼びかけているということを紹介しています。

以下、若干両記事を引用します。

「The New Year’s Eve show featured celebrity comic Hamada appearing in a Beverly Hills Cop skit with his face blacked up.Using makeup to lampoon black people – a practice known as blackface – is seen by many to be deeply offensive.」(その大晦日の番組には、有名な芸人の浜田が顔を黒く塗った状態でビバリーヒルズ・コップの一幕を演じているシーンがあった。黒人を風刺するためにメイクを使う手法―ブラックフェイスという名で知られる―は多くの人から非常に攻撃的だとみなされている)[BBC:2018年1月4日付:筆者訳]

「A Japanese comedian is facing criticism for performing in blackface in a widely viewed television show……」(ある日本の芸人が、広く見られているテレビ番組に「ブラックフェイス」のメイクで出演したことで批判に直面している)[ニューヨークタイムズ:2018年1月4日付:筆者訳]

伝統的なブラックフェイスでは、顔を黒く塗るだけではなく、白人の考える黒人のステレオタイプな部分が強調されます。「blackface」で画像検索すれば分かりますが、唇が分厚く誇張されるのが常であり、演じられるキャラクターも、英語が下手で、ひょうきんで、怠け者で、好色という白人の考える黒人への偏見を強調したものです。

【参考】<薄毛芸人を笑う「アメトーーク」は差別か>病気や障害でさえ本人が許容すれば「笑われること」は許される

もちろん、黒人はこんな人ばかりではありません。むしろ、このステレオタイプにカッチリとあてはまる黒人の方が少数派でしょう。いわゆるブラックフェイスによる黒人表現は明らかな間違いや偏見を誇張して黒人を笑うためのものであり、黒人がこれを快く思うはずがありません。だからこそ、これらの表現は人種差別だとみなされるようになったのです。

1950年代から60年代にかけての「公民権運動」により黒人の差別が解消・撤廃されていくにつれ、これらステレオタイプな黒人像の間違いも盛んに喧伝され、ブラックフェイスという人種差別的な表現も排除されていくようになりました。

これらの歴史的・文化的背景があるため、ブラックフェイスという表現は、少なくともアメリカでは「黒人をバカにするためにやるもの」という独立の記号としての意味を帯びるに至っています。

それは偏見に基づく間違った誇張などの揶揄的表現を伴っていないもの(例えば今回の浜田のように顔を黒く塗っただけ)でも、黒人をバカにするためにやっているとみなされてしまいます。少なくともアメリカの黒人はこれに不快感を覚えてしまうわけです。中指を立てるジェスチャーが挑発・侮蔑の意味を持っている記号であるのと同じように、ブラックフェイスはそういう意味を持っている記号なのです。

ではなぜ、単に「顔を黒く塗っただけ」でもそういう意味を持つようになったのでしょうか。もともとのブラックフェイスはそういった間違った偏見の誇張をしていたからこそ、黒人をバカにする意味合いがこもっており、快く思われていなかったものに過ぎないはずです。他の意味で「顔を黒く塗る」という表現だってあっても良いはずです。

【参考】<風俗嬢は差別的な職業ではない?>自分の娘に「風俗で働く」と言われたらアナタは許せるか?

おそらく、ブラックフェイスで一番視覚的に目立つ部分が「顔を黒く塗っている」ということであるため、この「黒塗り」がブラックフェイスそのものの「象徴的な特徴」と理解されるようになり、その結果「黒塗り=黒人をバカにするブラックフェイスである」という一種のすり替えが起きたのでしょう。

ブラックフェイスが上記のような揶揄・侮蔑の意味を持った記号的な表現だという事実は動かしようがありません。これをアメリカの黒人に対してやることは、要は欧米人に中指を立てるのと同じような意味合いがあります。

よって「浜田はあくまで顔を黒く塗っているだけであって黒人の間違った特徴を誇張してはいないし、浜田本人や番組の作り手に黒人を揶揄する意図がない」と言ってもあまり意味がありません。そういう誇張の有無や主観的意図とは関係なく、黒く塗られた顔という表現自体の客観的・外観的な視覚要素が揶揄や侮蔑の意味合いを持ってしまうのです。

一方で、このような「意味合い」はあくまでアメリカの文化的・歴史的背景に根差したものであり、世界中で通じるものではありません。中指を立てても挑発や侮蔑の意味が生じない国・地域があるのと同じです。

他文化の尊重も大事であることは当然で、今回の「笑ってはいけない」はその点があまりに無防備だったとは思います。それでも「郷に入っては郷に従え」という言葉もある通り、自文化が全面的に譲歩しなければならないわけでもありません。他文化と自文化が折衝する局面においては、場面場面でどちらをどの程度優先させるかを適切に調節していくものでしょう。

例えば、他文化の人間を客としてもてなす時は配慮をした方が良いでしょう。ムスリムを観光客として日本に招き入れたいならイスラム教の行動規範を尊重してやった方が良いでしょうし、東京オリンピックでは世界中の人間が日本に来るわけですから、できるだけ不快な思いをせずに帰ってもらった方が良いと思います。他方で、筆者は日本でやっている日本人向けのバラエティ番組でそこまで他文化に配慮する必要があるとは思えません。

ただし、「笑ってはいけない」は英語圏でも人気のコンテンツで、私的に作成された英語字幕が付いている動画がインターネット上に出回っています。だからこそアメリカの方々にも浜田のブラックフェイスが視聴されて、問題になったのでしょう。しかし、その英語字幕版はあくまで勝手に作られたものです。番組の作り手(日本テレビ)がそこにまで配慮する必要があるとも思えません。

【参考】<ジブリは女性差別?>映画「マネーモンスター」に見る日本のメディアのダメな点

逆に、日本テレビが今後公式に「笑ってはいけない」の海外輸出を目指していくのであれば、もっと配慮した方が良いでしょう。場面場面で他文化と自文化の適切な調節というのは、そういうことです。

筆者がここまでに述べたのは、「ブラックフェイスを見て不快に思う人に配慮する必要がある時はブラックフェイスを控えた方がいい」というある意味で当たり前のことです。しかしながら、筆者はここから更に進んで、「配慮のしすぎもまた良くないのではないか」と考えています。

ブラックフェイスが忌避されているアメリカの今の状態は、差別に対する配慮が行き過ぎていて、笑いの表現が過度に制約されているように思います。日本で障碍者などの社会的弱者を笑う表現がタブー視されていることや、ドイツではたとえ冗談でもナチスを礼賛するような表現が許されないのと同じで、黒人自体が腫れもののような扱いにくい存在になっている気がするのです。

黒人にも色々な人がいます。中には笑われたい人もいるかもしれません。白人が自分の顔を黒く塗って黒人に扮することで大笑いできる黒人もいるかもしれません。今のアメリカでは、黒人を笑うこと自体が絶対的なタブーになっており、むしろ息苦しい状態が生じている感じがします。

だからこそ、せめてそういった文化的背景がない日本ではそれを解禁した方が良いのではないかと思います。そうすれば、そういった表現で笑いたい人々の受け皿になるような気もします。

エディ・マーフィは自分の顔を白く塗って白人に扮したこともあります。それが大丈夫で逆が大丈夫ではない社会の方がむしろ不健全ではないでしょうか。現代に至ってアメリカ社会における黒人のプレゼンスはどんどん増しており、むしろ白人を凌駕するほどにもなっているので、そろそろ今の「文化」を見直してもいいのではないでしょうか。

無論、そうは言っても笑われるのが嫌な黒人は多いでしょう。筆者も白人が「釣り目に出っ歯」のメイクで日本人を演じたら腹が立ちます。笑われるのが嫌な人が、笑われたことに抗議するのは全くもって自由です。

それでも、そのような揶揄の表現を禁止するのは行き過ぎだと思います。そのような表現が禁止された社会よりも、お互いの表現の自由を認めた社会の方が確実に豊かでしょう。白人も黒人を揶揄できるけど、黒人も白人を揶揄できるのです。そうすれば、おあいこではないでしょうか。

筆者は笑いを表現する手法はできるだけ多い方が良いと考えています。笑いに限らず、表現というものは他者に伝えるものである以上、不快に感じる人を一人も出さずにやり過ごすことは不可能なのです。

今回の「笑ってはいけない」の表現に、日本テレビの無思慮・無配慮があったのは明らかです。しかし、逆に言えば無思慮・無配慮だったからこそポンと出せたのです。筆者は、ブラックフェイスが禁止されている息苦しい社会よりは、ブラックフェイスが許容されて白人も黒人もお互いの扮装をして笑いあえる社会の方が良いと感じます。

ブラックフェイスが許容され、白人も黒人も(もちろん黄色人種も)お互いの扮装をして笑いあえる社会では、白人も何も考えずにただただポンと黒人の扮装をすることができるはずですから。

今回の浜田の黒塗り騒動がそんな社会を目指すための先鞭になることを期待します。

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