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911ボーイングが見つからなかった訳 -植草一秀

メディアゴン / 2020年9月14日 1時46分

植草一秀[経済評論家]

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9.11事件から19年の時間が流れた。9.11事件は「同時多発テロ」と表現されるが、事件の犯行グループがウサマ・ビンラディンを首領とするアルカイーダであると認識しない知識人が多い。その理由は、9.11事件に関する疑惑があまりにも大きいことにある。

1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機123便墜落事件と類似する。確認される証拠から推察される、もっとも有力な仮説と、権力が発表する仮説がまったく違う。少なくともどちらかは虚偽である。二つの仮説のいずれかが真実である可能性がある。真実が二つの仮説のいずれでもない可能性も存在する。仮説のいずれが正しいかの判定は合理的尺度によることが必要だ。

権力が示す見解が真実である保証は存在しない。権力が示す見解と異なる見解を「陰謀論」と表現する者がいるが、根拠を示さずに「陰謀論」と表現することが、権力が示す見解の後ろめたさを示している。

「誰かが何かを目的に行動する」ことは当たり前のことで、ある仮説が権力者の提示するものと異なることを理由に「陰謀論」のレッテルを貼ることは、権力者の提示する見解の「弱さ」を示す証左。権力者が提示する仮説を否定する有力な仮説が提示され、人々の間に浸透することは権力者にとっては脅威だ。

このような場合、権力者と癒着するマスメディアが脅威となる仮説を取り上げることがあるが、客観的で合理的な分析を示すことはない。歴史の事実として、米国政府が提示した公式見解がのちに虚偽であったことが判明したケースは数多く存在する。

油井大三郎氏による著書『好戦の共和国アメリカ』(岩波新書)は、米国政府が米国民を戦争に駆り立てるために人心を操作する工作活動を展開した事例を紹介している。以下に列挙する。

1.1836年のテキサスを巡るメキシコとの戦争においては、メキシコ軍の猛攻によってアラモ砦に立てこもった4000の兵力が全滅された。このことから、「アラモを忘れるな」の合い言葉を用いてメキシコを奇襲し、テキサス独立を強行した。

2.1861年から65年に繰り広げられた南北戦争の後、米国では16年間も共和党が政権を握ったが、選挙に際して共和党は南北戦争で亡くなった兵士の「血染めのシャツ」を打ち振って、「かつて銃を発射したように投票しよう」と呼び掛けた。

3.1898年の米西戦争では、キューバ情勢が緊迫していた最中、ハバナ港に停泊中の米軍艦メイン号が突然沈没し、米兵260人が死亡した。原因は不明であったが米海軍がスペイン軍からの攻撃を示唆したためにメディアが扇動的な報道を繰り返し、スペインとの開戦を支持する世論が形成された。用いられたスローガンは「メイン号を忘れるな」だった。しかし、のちの調査で、メイン号沈没の原因がスペイン軍からの攻撃ではなく、軍艦内部の事故によることが判明した。

4.第一次世界大戦において、米国は当初、中立を宣言していたが、ドイツの「無制限潜水艦戦」の開始宣言を受けて参戦を決定した。きっかけになったのがドイツ潜水艦によるイギリス客船ルシタニア号の撃沈だった。ドイツはイギリスの海上封鎖に対抗して潜水艦作戦を開始し、この結果、ルシタニア号が撃沈された。米国人128人が死亡したことで、米国の対独感情が悪化した。

5.1941年12月8日の日本軍によるハワイ・パールハーバー攻撃に端を発する太平洋戦争では、よく知られているように、外務省ワシントン大使館の不手際で日米交渉終結通知が攻撃1時間後に米国国務省に届けられたために、「だまし討ち」とのスローガンが流布された。NBCラジオ番組を担当したサミー・ケイが「リメンバー・パールハーバー」という曲を作り、このフレーズが米国参戦を正当化する大義名分に使用された。

日米開戦は米国が仕向けた戦略上に発生したもの。パールハーバーへの攻撃情報も米国は事前に入手していたことが明らかにされている。さらに、日本軍内部に米国と通じる勢力が存在していたとの疑いも濃厚に存在する。

6.1964年に始まったベトナム戦争本格化の引き金を引いたのは、同年8月2日に北ベトナムから攻撃を受けたとの情報だった。ジョンソン大統領は直ちに北ベトナムへの報復攻撃を命令し、ベトナム戦争が本格化した。

しかし、1971年にニューヨーク・タイムズ紙が、この事件について、米軍側が戦線の行き詰まりを打破するために、意図的にトンキン湾に軍艦を侵入させて、攻撃を誘発したことを暴露した。攻撃激化の「錦の御旗」として活用された事件は米国の謀略だったことが明らかにされた。

7.1990年8月2日の湾岸紛争、91年の湾岸戦争。米国はイラクに対する軍事攻撃に踏み切った。米国世論はクウェートの武力解放に懐疑的であったが世論の流れを変えたのはクウェート人少女の米国下院公聴会での証言だった。

ナイラと名乗るクウェート人少女は、イラク兵がクウェートの病院で保育器の赤ん坊を投げ捨てるのを見たと証言した。メディアはこの証言を大々的に報道した。しかし、のちに、この少女が駐米クウェート大使の娘で、その証言内容も曖昧なことが判明した。9.11事件は何者かによる自作自演の事件であった疑いが強い。

事件を検証する客観データを集積したドキュメンタリーも制作されている。『911ボーイングを探せ』などの資料DVDは強い説得力を持つ。事件の仮説は数多く存在する。権力が提示する仮説の信ぴょう性が低いとき、その仮説が真実でない可能性は高い。説得力の高い仮説を「陰謀論」と表現するのは適切でない。

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