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<コロナ時評・医療のシステム難民を救え>保健所半減のツケがもたらすもの      

メディアゴン / 2021年3月1日 1時1分

<コロナ時評・医療のシステム難民を救え>保健所半減のツケがもたらすもの      

山口道宏[ジャーナリスト、星槎大学教授、日本ペンクラブ会員]

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いきなりだが、メディアに「喝」だ。

我が国公衆衛生行政の実態は「コロナ」で露呈したものの、そんなとき決まって引き合いにされるのが海外比較。むろん医師数、看護師数、ベッド数などの対比は大切だが、肝心の「医療に辿り着けないひと」が存在することにメディアの追跡はどうにも鈍い。即ち、医療を必要とするひとにとって、医療に「繋がらない」という事実は、明らかにシステム難民をつくっていることになるからだ。

「とても気の毒でした。持病もあった方でしたが最後まで入院先が見つからなくて。施設内に留まるしかなくて。体調をくずした3日後にお亡くなりになりました。無念だったでしょう。もの静かな80代の男性でした」(都内・介護施設長)

「ウィズコロナ」など、とんでもないのだ。それは「コロナ」ばかりではない。自宅で、施設で、ホテルで待機くださいと「医療にかかれない」のだから尋常ではない。なかには、入院かなわず「待機のまま、ひとり死んでいた」との報道も。連日、ニュースやワイドショーで地域別感染者数や死者数の紹介が、また医療介護部門の深刻な現場レポートがあるも、そこで「医療にすがるひとびと」への反応は確かに「のろい」といえよう。

我が国では「いのちの司令塔」である身近な保健所が崩壊していた(る)のだ。

ひとの生き死に関するシステム難民を生む下地に、メディアは保健所の「いま」に着眼することが肝要だが、得意なはずのそれの海外比較には言及しないから、ことの真相に迫れないまま。「どうして医療にかかれないのか」には、現行の医療システムをつくつた国策の、構造的な欠陥への検証が急務といっていい。

「コロナ」から早くも1年が経過し、多くのひとはほとほと自粛疲れの渦中にいないか。

とはいえ、入院先の医療や、高齢者介護の現場では、日夜懸命に対応に当たるエッセンシャル・ワーカーの存在が頼りだ。それら救命部門や、支援機関相互の連携の「司令塔」は保健所だが、その「司令塔」自体が「コロナ」が始まる以前から崩壊前夜にあったことは知る由もないか。限られた陣容と体制のもと、保健所では「—ひたすら(公衆衛生を守る)使命感だけでまわしています」は、現在も続いている。

「—役割を終えた」と、身近なはずの保健所は「行政改革」の名の下で縮小の憂き目にあい、「業務の見直し」とは、とどのつまり「統廃合」(1994年保健所法)だった。

その減少は甚だしく、全国の保健所は1996年度までは800ケ所を超えていたが、97年度から母子保健サービスが市町村に「移管」を理由に、2020年度は469ケ所に半減している。常勤保健師は18年度に約8500人、単純計算で1ケ所あたり約18人は、地域住民のガン、脳卒中予防や自殺対策を含む精神保健など、依然として対象と守備範囲は広い。

[参考]東京五輪中止決定権は主権者国民にある

果たして国の意図は何だったのか。思いがけず「コロナ」で、我が国の公衆衛生のドタバタぶりをさらした。国は「コロナ」対策に「さまざまな目詰まりがあって」と釈明したが、元を糾せば公衆衛生そのものを自治体へ縮小前提の丸投げがあったから。そのせいで現場に混乱を拡大させ、市井は唯々あっけにとられた構図だ。

行き場のない患者(疑い)を前に保健所が哭いていた。

保健所の疲弊が続いては感染防止の「司令塔」が危ない。大麻や拳銃の密輸摘発のように「水際作戦」をどうするのか。万が一はいりこんだら、感染したら、感染後には、何をどうするのが良いのか。そのとき既に保健所はパンク状態にあり、地域における公衆衛生必携の「連携」「情報共有」そのものがグラリと揺れた。

人員削減のツケは重かった。騒動を巻き起こしたのは誰か。「司令塔」がマンパワー不足では「SOS」も繋がっていかない。といって受け入れの医療機関も「ベッド不足」「人手不足」「機材不足」に喘いでいた。受け皿がなければ選択も決定もない。8月には「応援派遣」での乗り切り策を政府は発表するも「コロナ」は自治体をまたぎ蔓延している。拡散する危険を避けるシナリオは、もはや遺棄されたかのよう。

いまさらながら「司令塔」にもの、ひと、金がないのだ。国が目論んだ「コストダウン」は、後日、はるかに高いものについたことになる。

もちろん、それは国民の損失に他ならないから因果関係を問うて当然といえる。

ところで、我が国の保健所誕生の起源は「スペイン風邪」(1918年から1920年、世界人口当時18億から19億人、うち5億人が感染、推計2000万人が死亡と伝わる)とよばれた「疫病」にあった。「コロナ」と似た感染症の「第一派」「第二派」(大正7年から9年)で我が国の死者数は推計50万人とされ、自身も罹患した原敬首相(当時)は「衛生行政の転換」へ大きく舵を切り、その後の保健所誕生につながったという。皮肉にも「コロナ」は「スペイン風邪」の再来といわれたが、その苦い教訓の「記録」はいまに生かされたのか、こんな波紋も引き起こしていた。

「乳幼児健診休止相次ぐ コロナ拡大 病気 虐待 見逃す恐れ」(2020.11.28毎日新聞)

見てみぬふりか。歴史の示唆を見過ごしてきた国、行政の責任は、いまさらながら重い。

感染にどんでんかえしはない。国民の生命を守るのに、身近かな保健所の充実に向けた安全安心の再構築は、「コロナ」のいまだって急がれることは言うまでもない。

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