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TBS『週刊さんまとマツコ』の逆張りに期待

メディアゴン / 2021年4月20日 7時30分

TBS『週刊さんまとマツコ』の逆張りに期待

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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2021年春季。テレビ業界が、というと少し大げさか。バラエテイ番組に携わるテレビ屋全員が注目する番組が、4月18日(日)夕方6時半にTBSで始まった。『週刊さんまとマツコ』は、フジテレビの看板アニメ『サザエさん』の真裏である。日テレは高視聴率の『真相報道バンキシャ!』だ。

今回の放送は、さんまさんの楽屋トークと、マツコのそれをカットバックする手法でスタジオはなかった。それぞれの楽屋にはさんま、マツコのお付きのディレクター、プロデユーサーが従って2人のトークを拝聴する。筆者は、このトーク中で白眉は次の一点に尽きると思う、さんまさんの発言である。

さんまさんが、マツコとの番組をTBSでやることが決まったことを、フジテレビのスタッフに告げると、スタッフは「悔しいです」と言った、もちろん「フジテレビでやれないことが悔しい」と言ったのである。

なぜこの発言が白眉だと思ったかというと、この番組がすべて「逆張り」で始まったことを象徴しているからである。番組が面白いかどうかには関わっていないから、見ている方にはあまり関係ない内側の視点である。但し、テレビというもの、テレビの成り立ちを考えるときは重要な視点である。

「逆張り」を説明しておく。筆者の愛好する競艇という賭博では、インコースを取れる1号艇が圧倒的に有利である。3連単で言うと1号艇が90%以上の確率で絡む。それでも、1号艇を消して舟券を買う人がいる。リスクを取って、高配当を狙う。でもリスクはたいてい大損となって跳ね返る。このリスクを取る人たちの舟券の買い方を「逆張り」と言う。かと言って、リスクを取らないで1号艇を買う人が、儲かるとは限らない。こちらも大抵負ける。それがギャンブルだ。

芸能人というのはもともと、「逆張り」の人たちだ。そもそも、人生そのものを芸能界という「逆張り」の世界に投じている。芸能界に身投げしても、ほとんど浮かんでこない。その芸能界では「普通」は罪悪である。日頃から「普通」以外のことをやってのし上がってゆかなければならない。今その「逆張り」の世界で頂点に立っているのが明石家さんまとマツコ・デラックスである。ふたりは、芸能人になって、ほぼやりたいことを叶えてきた。だからこそ、これからやる番組は「逆張り」でなければならないと思っているのではないだろうか。

まず、放送枠はゴールデンや、プライムであってはならない。深夜か、昼間、夕方、もともとあまり、バラエティを見る人が少ない時間帯がいい。これはさんまさんとマツコの本音の希望であったろう。しかし、若手がやりたがる、趣味の強い深夜というのもかっこ悪い。夕方の放送枠をくれる放送局はどこか。一番、視聴率が取りにくい枠のバラエティで成功する。ならば、裏には強力な番組があればなおいい。TBS が提案した枠は腐っても鯛『サザエさん』の裏だった。私は『サザエさん』とでは、視聴率を棲み分けてしまう気もするので日テレの『笑点』のうらでやって欲しかったが。

筆者は放送作家として『オレたちひょうきん族』を作っていた。この番組はドリフターズの『8時だよ!全員集合』の裏で、ようやく対抗できる力が蓄えられた頃に、スタッフはこんな話をしていた。

「同じ笑いの番組の裏表で、視聴者を取り合ってもしょうがない。オレたちは笑いでは同志だ。そうだ、いっそのこと、『ザ・ベストテン』の裏に枠移動してもらうよう直訴しよう」

さて、『週刊さんまとマツコ』は楽屋トークを終えて、2回目はスタジオ収録になるらしい。1回目の最後にさんまさんは波平に、マツコはサザエさんに扮してスタジオに向かったので、2回目も必ず見ようと、筆者の期待は高まる。果たして、波平とサザエさんというキャラクター(企画)を入れたことでふたりにはプラスの反応が生まれるのか。さんまとマツコは混じりけのない純粋トークが最も面白いと私は判断しているが、二人のトークはどう影響を受けるのか。見たい。

[参考]TBS「ラヴィット!」が成功するためのいくつかの提案

昔々から説き起こすと、筆者の思い出にはふたつの純粋トーク番組の思い出が残っている。もちろん笑いの番組だ。

ひとつは、司会が立川談志、前田武彦の『笑待席』。談志は古今亭志ん朝と並び称される落語界からテレビに忽然と現れた稀代の寵児。マエタケさんは放送作家出身、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)とテレビ史に名を残す、名番組の司会者。『笑待席』のセットの設えは寄席の高座で、センターマイクが立っていた。つまり漫才風に2人のトークが行われるのだが、時事ネタを縦横無尽に喋り倒していた。

1968年(昭和43年)の番組だったから、筆者はまだ中学生だったが、食い入るように見ていた。ツッコミとかボケとかの概念を凌駕し縦横無尽にしゃべる様子はすべての漫才師を超えていた。ゲストが来ることもあったと記憶するが、ふたり以外の要素が加わるとつまらなくなるので私は見るのをやめていた。番組自体は半年で打ち切られた。談志、志ん朝は、若くして亡くなったが、生きていれば志ん朝は、人間国宝になり、談志は人間国宝を蹴飛ばしていただろう。マエタケさんは、選挙で共産党候補を応援し「勝ったら当日の夜ヒットでバンザイをします」と約束したため、軽く手をあげたが、それがもとで、すべての番組を干されることになった。フジテレビである。その後何年も経って、私は『びっくり日本新記録』に一芸能人選手として出場したマエタケさんの取材をすることになったが、悔しくて涙が出た。

もうひとつは、『笑っていいとも!』(フジテレビ)の金曜レギュラーコーナー「タモリ・さんまの日本一のサイテー男」と名付けられたふたりの雑談コーナーである。『いいとも!』で、唯一絶対見たいと待ち構えていたコーナーでもある。ずーっと見ていて、印象に残っているのはこのただの雑談に視聴者からの葉書が投入された時のことである。とたんに雑談がつまらなくなった。さんまさんのトークには、情報や企画は基本的にいらない。『曜日対抗いいとも!選手権』のゲームコーナーでさんまさんに『真面目にやってください』と言ったディレクターがいた逸話を思い出す。さんまさんはダウンタウンの松本人志に電話をして「どうやったら『いいとも!』辞められるねん?」と聞いたという逸話も残る。

上記2つのコーナーに共通することは、「最高峰のトークには企画はいらない」ということだ。企画はむしろトークの邪魔をする。

筆者も早くこの事に気づいていれば、さんまさんの番組でたくさんの失敗をせずに済んだかもしれない。さんまさんはプロデューサーより、演出家(ディレクター)と仕事をするタイプだと思う、より現場に近いのが好きなのだ。それに、自分のためではなく、お気に入りのスタッフや演者のために仕事をする。私は、それらのいくつかの番組でホンを書いたが、中居正広と組んだときも、村上ショージと組んだときも、中村玉緒さんと組んだときも、関根勤さんと組んだときも、誕生日を祝ったときも、その他、数多くのディレクターと組んだ番組のときも失敗を重ねた。ほっておけず、企画を入れ込もうとしたからだと今なら思える。あやまってももう遅いか。

マツコのことにも触れておこう。『5時に夢中!』(TOKYO MX)のマツコ・デラックスを教えてくれたのは『朝ズバ!』の女性リポーターだった。実力を知らない筆者は島崎和歌子をお目付け役に置くことを提案して情報番組『ピンポン!』(TBS)を始めた。和歌子はすごく頑張ってくれたけれど、マツコをひとりで野放しにする勇気を持てなかったのは「逆張り」の精神がたりなかったからである。もっと実力のあるディレクターを起用すべきだった。この時、NHKを辞めたばかりでレギュラーメンテーターだった池上彰さんをMCにという提案ができなかったのも「逆張り」の欠如だろう。

長い回り道をして、で、『週刊さんまとマツコ』である。波平に扮したさんまさんと、サザエさんに扮したマツコ・デラックスはスタジオトークでどんな「逆張り」トークを見せてくれるのか。見逃せない。

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