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<炎上ではなく事件>堀江貴文のDaiGo炎上分析は甘い

メディアゴン / 2021年8月15日 7時30分

<炎上ではなく事件>堀江貴文のDaiGo炎上分析は甘い

藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]

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メンタリストDaiGo氏によるホームレスや生活保護者への差別発言に対する炎上が加速している。8月14日には、4つの生活困窮者支援団体が声明を発表するなど、いわゆる「ネット炎上」を超えた批判へと延焼している。

それに対して、ホリエモンこと堀江貴文氏がDaiGo炎上の構造について自身のYoutubeチャンネルで分析、解説をしている。堀江氏によれば、DaiGo炎上の構造は以下であるという。

(1)今回の炎上は、DaiGoを炎上させようとしている人が頑張って炎上させている。

(2)そういうネット民は、常に誰かを吊るし上げようと探しており、今回のターゲットがDaiGoであった。

(3)よって(自然発火ではないので)、どんなに弁明・解説をしても無意味で、むしろ炎上は加速するだけである。

(4)このままだとテレビや雑誌などが「DaiGoをいじめられる!」と思われて粗探しをされ、さらに炎上が加速する。

(5)今後は言い訳や弁明はしない方が良い。

上記の分析はわかりやすくまとめられており、DaiGo氏に向けたアドバイスを意識しているのではないかと思われる。しかし、今回のDaiGo炎上騒動は「炎上させたい人の頑張り」だけで説明できる問題はない、ということが完全に見落とされている。例えば、生活困窮者支援活動をしている複数の団体からの批判声明が出ている点を考えれば、もはや「ネット炎上」ではなく「差別事件」であると言っても良い。この現実に対しての認識の甘さを感じる。

堀江氏の分析の甘さは、今回のDaiGo氏が、あくまでも「炎上のターゲットを探すネット民の画策にハマった」という前提でなされている点である。おそらく、堀江氏自身の炎上の事例がそういうケースが多いのだろう。自身の経験からの分析であろう。

しかし、今回のDaiGo騒動のポイントは、彼が「踏んではイケない虎の尾」を踏んでしまった無知、という点にある。世界中に「踏んではイケない虎の尾」がある。その「虎の尾」を踏んでしまうと、炎上とかマスコミからの批判といった次元ではなく、訴訟や行政指導、社会的抹殺も含めた、もっと大きな問題へと展開してしまう。

例えば、東京五輪開会式での小林賢太郎氏解任のケースであれば「ホロコーストを揶揄する」ということがそれに該当する。この件は日本人からするとあまりピンとこないが、国際常識で考えるとどんな形であれ100%即アウトの事例だ。日本では国際基準を意識することの是非が論じられることも多いが、我々がどう思おうが、放っておけば社会的問題、国際問題として「事件になる」ということだけは揺るぎがない。

[参考]<東京五輪人事は国辱>開会式担当・小林賢太郎解任は当然

情報発信をする人、メディアに出る人は、このような「現実」を何よりも知っておかなければならない。こういった「踏んではイケない虎の尾」は世界や社会の至る所に埋め込まれているのだ。(今回、DaiGo氏が踏んでしまった「踏んではイケない虎の尾」が具体的に何であるのかについては、本稿では明言しませんが、非常に根深いものだと思います)

もちろん「踏んではイケない虎の尾」は日本にもいくつもある。では、なぜ、そのような「踏んではイケない虎の尾」をDaiGo氏は踏んでしまったのか。それはDaiGo氏本人も認めているように、彼自身の無知からである。しかし、「踏んではイケない虎の尾」の存在は、基礎的な知識があれば、わかっていることで、DaiGo氏もある程度はわかっていたはずだ。その上で「辛口」と称して発言している。

よって、彼の無知とは、単にそういった問題(トピック)に関する「無知」や知識の浅さというよりは、辛口を標榜しているとはいえ、「踏んではイケない虎の尾を踏んでしまうと、取り返しのつかないことが起きる」ということへの無知であるのだ。

「自分は影響力もあり、稼ぎまくっている人間だから、多少の炎上は怖くない」といった驕りもあったのだとは思うが、残念ながら彼が踏んでしまった「踏んではイケない虎の尾」が引き起こす騒動は、「炎上」などといった甘いものではなく、「事件」であり「社会問題」だ。騒動の現実を見れば、堀江氏がいくら「炎上」の鎮静化のためのアドバイスをしてもあまり意味がないのだ。これは「差別事件」なのだから。

筆者もDaiGo氏の動画を見たことがあるが、本人が読書によって得たであろう様々な知識を駆使して、逆張りでラディカルに社会分析をしていて面白い。一方で、動画を見ていてその「知識の浅さ」「咀嚼力の弱さ」が非常に気になるのも事実だ。それなりにアカデミックなトレーニングを受けている人間であれば、彼が職業的知識人とは似ても似つかぬ、「インテリ芸人」「似非インテリ」であることを見破るだろう。

「似非インテリ」の特徴は「問題あるトピック」への知識は持っているが、「問題あるトピックに言及した時に起きる問題」についてまでは理解はできていないことである。教科書や入門書の類には書いてないからであろう。この点でつまずく「インテリ芸人」「似非インテリ」は少なくないのではないか。

ネット記事の拾い読みの知識だけで社会や歴史についてYoutubeで解説する芸能人がいたり、芸人が突然、情報番組で文化人並びでコメンテーターになったり・・・。「インテリ芸人」が今日のメディアにおいて、需要とニーズがあることはわかる。ショーンK氏のように、インテリという架空人格を創作してしまった事件すらあった。ただし、そういう付け焼き刃の「インテリ芸人」が本物の専門家から間違いを指摘されることで発生する騒動も多い。

もちろん、芸能人やタレントといった学者や専門家以外の人が、柔らかい感性と敷居をさげた表現で「真面目な話題」をおもしろく解説したり分析するインテリ芸は決して悪いことではない。むしろ、エンターテインメントのあり方としては良いことだと思う。しかし、「インテリ芸人」がいつの間にか「本物のインテリ」のような振る舞いをするようになってしまうと、それは結果的に驕りを生み、知らぬ間に「踏んではイケない虎の尾」を踏んでしまい、取り返しのつかない騒動を起こしてしまう。

今回のDaiGo差別発言事件を通して、知識とは溜め込んだり吐き出すだけではなく、「知識の扱い方の知識」を身につけることも重要である、ということを学ぶ契機としたい。

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