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<実録TGC:第2回>東京ガールズコレクション創業者が語るTGCからNFTへ

メディアゴン / 2022年2月11日 7時30分

<実録TGC:第2回>東京ガールズコレクション創業者が語るTGCからNFTへ

メディアゴン編集部

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新しい投資? 新しいアートビジネス?それとも・・・? 今、何かと話題のNFT。そんなNFTに東京ガールズコレクション創業者である大浜史太郎氏(Jake Ohama)が「NFTデジタルアートムーブメント」プロジェクトを掲げ、オランダ、シンガポール、英国から本格参入する。ファッション業界で成功を納めた大浜史太郎氏だけに興味は尽きない。ファッションからNFTに参入する意図と狙いは何か。本稿では、東京ガールズコレクションからコロナ禍を経て、NFTへと至る経緯を、メディアゴン編集部が、大浜史太郎氏に直接にインタビューした。東京ガールズコレクションの知られざる歴史についても詳細に語ってもらった貴重なインタビューである。
(全て大浜史太郎氏に直接取材。全7回を予定)

* * *

[第一回(https://mediagong.jp/?p=33330)から続く]

<神戸コレクション誕生の裏話>

girlswalker.comの成功の先に東京ガールズコレクション(TGC)の成功がある。大浜氏がTGCを成功させた背景にあるのは、ほかでもないgirlswalker.comを日本最大級の携帯女性ファッションサイトとして育てあげた経験と実績に深く関連している。連載第2回の今回は、携帯サイトからTGCへとつながる経緯である。

girlswalkerが軌道に乗り始め、本格的に「携帯サイトで服を売る」というプロジェクトに取り組み始めた頃、芝本裕子氏(現在、美容家)がgirlswalker編集部にスタッフとして出入りし始める。このことが大浜氏にとって、girlswalkerにとって大きな転機になったという。神戸ブランドに顔が広かった芝本氏は「神戸の洋服ブランドの販売から始めてみないか?」との提案したのだという。大浜氏はそれを許諾し、先ずは神戸の洋服ブランドの店舗の在庫処理から取引に着手する。

個人事業主が多く小規模で展開していた神戸ブランドは親身になって相談に乗ってくれた。しかも、神戸といえば、JJ系と呼ばれる関西エレガンスが人気を誇っていた時代。アパレルブランドは雑誌JJで掲載してもらえば、飛ぶように売れていた時代である。

人気ブランドの店舗で売れ残った在庫をせっせと携帯サイトで地道に売る。これこそ大浜氏が始めたアパレルビジネスのスタートであり、東京ガールズコレクションの原点でもある。既にアメリカなどのインターネットビジネスの状況から、モバイルeコマースの発展を察知していた大浜氏は「携帯で服は売れる」と確信していた。それでもその確信とは裏腹に、当初「モノクロの小さい画面で洋服など誰も買わない」と業界関係者の多くが「絶対に失敗する」と否定的であった。バカにされこそすれ、協力してくれるような業界の人など誰もいなかったという。

しかし、走り出してみれば、このプランは大成功する。

既に数十万人の女性会員数を獲得していたgirlswalkerで、携帯電話の小さな画面を通じて、神戸の服は飛ぶように売れたのだ。その噂はたちまち神戸でも話題となり、次々と神戸ブランドとの取引先が増え、大浜氏は神戸支社も開くまでになる。

モバイルでの洋服の売上は億単位で順調に上がっていったが、一方で別の問題が大浜氏を悩ませたという。それは、どんなに売り上げがあがっても「店舗の売れ残り在庫しか提供してもらえない」ということだ。大浜氏にはそれが歯痒かった。神戸のブランド側に何度もお願いしても、どうしても新商品は店舗にしか置きたくないというのだ。

[参考]<NFTで新展開>東京ガールズコレクション創業者がNFT参入へ

言うまでもなく、ブランド側としてみれば、人気商品を店舗で完売させることが理想であり、売れ残る事は基本的に嫌がる。ネット通販自体がまだまだ十分に普及しているとは言い難い当時だ。ましてや、携帯電話の小さい画面を見て洋服を買うなど、通販でマンションを買うぐらいあり得ないことだった。この当然の常識を覆すのはなかなか難しい。

メーカーからは自分たちが在庫処理装置としてしか見なされないことに、大浜氏は苦悩した。そんな時に転機がおとずれる。

2002年に毎日放送(MBS)のプロデューサー・H氏から、震災後の地元の活性化イベントの一環として「神戸コレクション」を開催したいのでgirlswalkerでも協力してもらえないかという相談が舞い込んだのだ。大浜氏はそれをすぐに快諾する。

そもそも大浜氏はロサンゼルスに留学していた学生時代からサラリーマン時代にかけて、何度も大規模イベントを経験し、既にノウハウがあった。アメリカLAでサラリーマンをしていた時には、15万人規模の観客を動員するメガイベントのプロジェクトマネージャーも経験しており、数千人などを集めるなど容易い、と「神戸コレクション」の開催には、絶対的な自信を持っていた。しかも阪神淡路大震災の時には学生を2000人以上集めて「USC Tokyo Night」を開催し義捐金を神戸市に寄付していた縁もある。

そして、これにはもう一つ打算があった。ファッションショーならば、girlswalkerへも売れ残りの在庫ではなく新商品を提供してくれるはずだ、これは自分達が在庫処理装置から正式なネットブティックへと格上げするチャンスではないか、と。

一方で、当時の毎日放送側は、協賛金を集めることに四苦八苦していた。100万でも200万でも良いから協賛もしてほしいと方々を駆けずり回っていたという。海のものとも山のものともつかないファッションイベントの初回開催に、どこの関西系企業も協賛金を渋っていたのだ。これを聞いた大浜氏は、「神戸への恩返しをしたいので、2000万円を自分が出す。だからgirlswalkerと共同開催しよう」と提案した。

結果、girlswalkerは特別共催という形式になり、大浜氏が事実上のメインの冠スポンサーとなった。もちろん、大浜氏の資金提供には、毎日放送も大喜びをしたという。そして、girlswalkerと既に取引のあったブランドを毎日放送側へ紹介したり、ランウェイやアリーナの形状や作り方にも大浜氏は積極的に口を出した。自分のイベントに関するノウハウを伝えながら、ともに作り上げていったというわけだ。

このスキームとノウハウが、その後の東京ガールズコレクションの雛形となった。(第3回に続く)

*編集部註:girlswalker.comおよび当時の運営会社は売却されており、現在のgirlswalker.comと大浜氏は一切関係ありません。

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