大学にただようウィズコロナ/アフターコロナという暗い影
メディアゴン / 2022年4月21日 7時30分
藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]
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4月の新学期になり、コロナ禍3年目の学校生活が始まった。
3年目のコロナ禍で、学校はどのようにな運営をするのか? この課題に昨年から1年間かけて議論してきた学校は多いはずだ。特に、様々な地域や環境からくる学生の集まる大学では、オンラインによる非対面授業を継続するか、それとも一部対面を組み込んだハイブリッド授業にするか、はたまたオンラインを廃し、従来型の対面授業に戻すのか、それぞれの大学の事情にあわせた試行錯誤が続いている。
同時に、文部科学省からは十分な感染予防対策をした上で、対面授業への復帰を全国の大学へ強く求め、「全15回中、少なくとも半分(8回)以上の対面実施をすることと」といった指示も来ている。半分以上がオンラインなどの非対面で実施される授業は通常の大学ではなく、「通信制大学」であるというわけだ。日本の場合、通信制と通学生では認可の方法や基準も違うのだから、その理屈は理解できる。
筆者が勤務する東洋大学では、この4月から全学的に対面授業に戻ることを決定している。より厳密に言えば「2019年度以前の状態に戻す」という言葉を使っている。一昨年は完全非対面、昨年は対面・非対面併用のハイブリッド、そして2022年度からは対面復帰と、社会状況を観察しつつ、慎重に推し進め、ようやく「2019年以前のキャンパスに戻った」というのが、筆者だけでなく、全ての学生、教職の印象だろう。事実、4月になって、2年ぶりに目にする学生が行き交うキャンパスの様子は「ココにはこんなに学生がいたんだ」と思わず驚いてしまったぐらいだ。
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高校生活の半分以上をコロナ禍自粛モードで過ごした新1年生たちと言えば、いよいよ始まる大学生活と、回復した通常の学校生活に胸を躍らせているだろう。2年生は、新入生だった昨年の大部分の授業で対面と非対面を組み合わせたハイブリッドを経験してきたので、大学生活は不完全燃焼だったはずだ。ども大学もロックダウンとまではゆかないまでも、教室やキャンパスへの入校制限をかけていたので、最大でも半分程度の同級生たちとしか顔を合わせていない。2年目にして、ようやく学生・教員の全員が顔を突き合わせることができるのだ。昨年1年間はなんとも悲惨な状況であるが、それでも「完全オンライン」ではなかっただけ、まだ救いはあったように思う。
一方で、新3年生はといえば、1年次は完全に非対面、2年次で全てオンライン授業か対面を併用したハイブリッドであった。友達に会ったり、キャンパスを訪れたり、教員との接触も、全て半分以下という状態だ。言い換えれば、大学生活という意味では、入学して3年目にして(そして、就活や進路検討が始まるこの時期にあって)初めて、「普通の大学生活」が始まったと言っても過言ではない。いわば、この2年間「誰も経験したことのない異常な大学生活」を経験してしまったコロナ世代ということだ。言い方は悪いが、全員が「引きこもり」を強要されていたようなもので、これで果たして大学生といえたのか? 大学生活だったのか? と問われると教員ながらにして答えに窮する。
さて、そのような状況から始まった2022年度。東洋大学も対面復帰したとは言え、まだまだ細かい部分で規制や制限は残る。なんだかんだで、日々の「ウィズコロナ感」は減っていない。そんな中で開始され2022年度の授業であるが、私は大学教員として、一週目の授業(とはいえほぼほぼガイダンス)を実施してみて、なんとも言えない不気味な「違和感」を感じてしまった。
筆者が感じた「違和感」とは新3年生の授業をやった際に感じた、そこはかとない「じゃない感」である。
まず、新1年生はごく普通であった。受講者全員が集まり、教室を埋めている状態は教員としても実に2年ぶりのことである。「ようやく大学が帰ってきたな」と感じ、むしろいつもよりイキイキとした躍動感すら覚えた。出身の高校によってはかなり不自由な生活を強いられた学生もいるだろうから、通常生活が回復している大学生活への期待も大きいだろう。
新2年生は、1年目の昨年はハイブリッドという中途半端感から解放され、安堵にも似た安心感を持っているように感じた。ギリギリ滑り込みセーフでまともな大学生が送れるぞ・・・と初心にもどっている2年生もいるように思う。
それに対して筆者が違和感を感じた3年生はどうたったのか。
何か特別に悪い感覚や不愉快感を感じたわけではなし、クレームや言いがかりをつけられたり、授業が騒がしいとか、そういった問題が発生したわけではない。しかし、なぜか、他の学年や例年とは違った「じゃない3年生」ともいうべき違和感を感じてしまったのだ。
その違和感とは何なのか。まず、表面的な部分から言えば、学生数は変わらないのに受講者が半減していた。筆者が例年100人弱で実施していた授業では、今年は45人程度と半数以下になっていた。これだけみれば、「単に今年は選択者が少ないだけでは」とか「お前の授業の評判が悪かっただけじゃないか?」「たまたまそういう年もあるだろう」ということも浮かぶが、私自身や授業内容、学部の環境なども大きく変わったわけではないので、理由のない「純粋減」といっても良い。
[参考]「事実上、全部CM」なテレビ番組に規制はないの?
もちろん、単純に私の授業の人気がなかった、というだけであれば問題がないのだが、そうではない理由があるような気がしている。この状態を私なりに以下のように分析してみた。
まず、3年生以上に提供されるその科目は、学生にとってとりやすい時間に設定されているわけではない。何かのついでに要領よく組み合わせて単位の補充で取るような科目でもない。3年生以上が履修する専門選択科目であるのだから、それなりにハイブローな専門性の高い講義である。よって、受講する学生はメディアを専攻する学生に限られるし、「わざわざ履修する」という学生ばかりだろう。だからこそ、教養科目や入門科目のように、開講時間などと履修者数はほとんど関連性がないことが一般的だ。これまでも「3年生がとりづらい時間帯に、わざわざ履修登録する」という授業であったのだ。
しかも、3年生にもなれば、多くの大学生たちは、卒業単位の大部分を取得し終えていることが多い。上級学年専用の高度な専門選択の授業を「わざわざ履修」しなくても、卒業に支障はない学生は多いだろう。むしろ、楽がしたい、怠けようという意識を持っている学生であれば、これまでも間違いなく履修してこなかった科目群だ。コロナ以前からも、上級学年クラスの専門科目は、学ぼうという強い学習意志がない学生は履修しなかった科目である。
つまり、何が要因であるかはさておき、大学講義の非対面化が結果的に学習意欲を失わせているのではないか、と筆者に感じられたのだ。実際、開講前に「この科目は自宅受講はできませんか?」といった連絡をしてきた学生もいたが、対面科目であることを伝えたら、その学生は結局、受講はしていなかった。
自宅でオンラインであれば受講したいが、学校にゆくのであれば受講したくない。・・・もし、そのような理由でれば、大学教員としては、なんとも悲しい話だ。だとすれば、非対面やオンラインの授業は確実に学生の就学意欲、勉学意欲に暗い影を落としているように思う。同業者の各位のご意見を聞きたいところだ。
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