<琉球は「戦利品のリゾート」と「植民地」?>なぜ沖縄の「基地の土地」は返還されず、県外移転もできないのか

メディアゴン / 2014年10月30日 16時35分

保科省吾[コラムニスト]

* * *

2014年10月30日、辺野古移設で対立する4氏による沖縄県知事選が始まった。

沖縄の基地問題は何故解決しないのか?

理由は実に単純で、アメリカ・日本双方ともに「琉球」を手放したくないからだろう。手放したくない理由には、筆者にとっては「理不尽だ」としか思えない次のような理由があると考えられる。

アメリカは、太平洋戦争における沖縄戦で、戦争末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸し。沖縄に駐留していた日本軍との激戦を繰り広げ、本土の盾としていた日本から、沖縄を奪った。戦争においてこうした土地は「戦利品」とみなされることになる。

沖縄戦の日本側死亡者は18万8136人。そのうち、沖縄県出身軍人・軍属(現地召集を受けた正規兵のほか、防衛隊・鉄血勤皇隊など)、2万8228人、一般住民3万8754人(推定)とされる。

「戦利品」の沖縄に、アメリカは続々と基地を作った。そして「海兵隊」をおいた。アメリカの「海兵隊」とは通常、戦闘の最前線に立つ上陸部隊であり、荒くれ者が揃っている。現在1万人いるという「海兵隊」のうち、すぐに出動できる兵隊は、植村秀樹氏(流通経済大学)によれば2000人。他の8000人は休養をとっているとされる。

灼熱や乾燥の戦地と比べても「沖縄」は、過ごしやすい海洋リゾートであることに異論のある人はいないだろう。アメリカはこの「戦利品である海洋リゾート」を決して手放したくないに違いない。

一方、日本の動きを見てみよう。1609年、薩摩藩が首里城に侵攻、琉球王府は制圧された。以後、薩摩藩の服属国となって通商と技術の伝播を義務付けられたが、中国・清にも朝貢を続けていた。この時点では、「琉球」は未だ独立王国として存在し続けていたといえる。

時を経て、明治の薩長政府は、1872年から1879年にかけて琉球諸島の施政を委任してきた中山王府を廃し、県を置く施策を行った。いわゆる「琉球処分」である。

太平洋戦争終結後、アメリカ政府は、沖縄県を独自の国で、日本に同化された異民族としてアメリカ軍政下に置いた。アメリカは琉球を民族的には「日本とは違う国」と認識していたのである。

1970年(昭和45年)、日本の佐藤栄作政権は、予定される安保延長と共に、沖縄県の本土「復帰」を緊急の外交課題とした。復帰賛成派の県民は日本復帰と同時に米軍基地の全面返還を望んだが、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還とされ、琉球政府は再び沖縄県となり、日本へ「復帰」した。

この流れを見ると日本の政権中枢は、琉球を「植民地」とみなしていたのではないかと思えてくる。基地は本土でなく「植民地」に置いておけばいい。

アメリカは「琉球」を「戦利品のリゾート」とみなし、日本の政権中枢は「植民地」とみなしている。そうである以上、「基地の土地」は永久に帰ってこないし、日本政府だって、琉球の外に基地を移そうとしないのは当たり前のことだ。

「琉球」は基地があるゆえの補助金経済から抜け出し、自己決定権を持つ「独自の力」を持てる土地だ。中国と日本をつなぐ中継貿易地として輝いていた時代の存在が、それを証明している。

琉球大学・島袋純氏は次の様に述べる。

 国民が国家を縛るという立憲主義を否定し、戦前に戻すような自民党改憲案が成立するなら、沖縄はその日に独立すべきだ。

なるほど。筆者もこれには同意する。

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