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<ニコニコ動画と巨神兵>テレビでもネットでも「あなどれない素人パワー」

メディアゴン / 2014年11月13日 1時3分

吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]

* * *

 「未経験者にすべてを託したほうが成功率は高いのか?」
 「プロ・経験者に任せた方が成功率は高いのか?」

これは、何を任せるかによって全く違うと思うのだが、筆者の経験から言うと、

 「新しいことを任せる時は未経験者」
 「熟練した技が必要な仕事のときは経験者。」

・・・というごく当たり前の結論になる。

ただ、あえて未経験者を用いて驚くべき成果を上げた例を筆者は見たことがある。まず自慢話になるかもしれないが、筆者自身(=吉川圭三)の例。入社してわずか2年目の時である。割と真面目に仕事をやっていたので、それが認められたのか、ある日、Uプロデューサーに呼ばれ、こう切り出された。

 「吉川。ゴールデンタイムのスペシャルをやってみないか。」

20代前半の私に?と耳を疑ったが、更にUプロデューサーは語った。

 「昨日、私は夢を見た。第二次世界大戦前、ドイツの大気球・ヒンデンブルク号がニューヨークに寄港する。しかしカメラ・ラジオの前で大気球は炎上し墜落してしまうのだ。私にはその光景が忘れられない。題して決定的瞬間。吉川できるか?」

筆者は躊躇なく答えた。

 「できます。」

やっぱり野心的であったのだろう。打ち合わせは3分だけ。企画書もない。マニュアル・手順例もない。放送は1か月半後。AD一人、作家一人。きっと小杉ディレクター(現・日本テレビ専務)が筆者を推薦してくれたのかもしれない。それにしても大抜擢であった。

会議もなし。全部一人で動かなければならなかった。筆者は「決定的瞬間」の映像は一体どこから入手するのか?をひたすら考えた。輸入映像だから映画部だろう。親切な明峰さんという副部長がいて、4社のリストをくれた。大手から中小の映像輸入会社だ。すぐ全社を回った。

 「コマ切れの決定的瞬間の映像を集める。」

・・・これはかなり厄介な仕事だった。みんな首を横に振った。

 「出来るかも。」

と、一人だけ言ってくれた人がいた。映像輸入会社の人だ。その人は翌日には、アメリカ・ヨーロッパに飛んで行った。

次はどこに行くべきか?日本に残った筆者は報道の外報部に行った。当時、外国の報道映像はすべて外報に送られてくる。部長に許可をもらい、朝から晩まで10年分の録画テープを見た。ヒットするのは約100本に一本。でも当たるとデカい。バイクのレース中に有名レーサーが大転倒するモノ、窓から飛び降りて自殺する志願者が警官に助けられるモノ、映画撮影中ヘリが墜落する映像・・・などなど。

「ヒャッ」とするが画面にくぎ付けになる。筆者は元来怖がりで、こういう映像は苦手だが、これらの映像がテレビ史上ほとんど放送されていない事に気づくと、のめり込むようにほとんど徹夜で映像リストを作った。

例の海外へ飛んだ映像輸入会社の人も帰国した。ブラジルの巨大ビル火災で次々に人が人形のように飛び降りるものなど度肝ぬかれた。だが筆者は番組の尺を計算してこんなことをいう。

 「長さが足りません。もう少し要りますね」

その人はまた翌日海外に飛んで行った。こうしてできあがった90分の番組は本邦初(もしかして世界初?)の衝撃映像・映像クリップ番組として放送された。オンエア中に伊藤輝夫(現・テリー伊藤)から興奮の電話が来る。

生意気にもUプロデューサーに「司会・スタジオはいりません」と言ったらプロデューサーはOKをくれた。だから、その番組は映像だけだった。結果として、17%を越えり視聴率を取った。裏番組であった全盛期の「オレたちひょうきん族」(1981〜1989・フジテレビ)、「8時だョ!全員集合」(1969〜1985・TBS)を抜いてしまったのだ。

Uプロデューサーは大喜び、先輩の小杉ディレクターも褒めてくれたが、

 「人の不幸の瞬間を放送して数字をとるなんて。」

という声も秘かに社内外から聞こえたのを覚えている。ある意味「確かに。」とは感じた。しかし、ただ何かの壁を破った感じはしたのを覚えている。

このように昔はテレビ界にも「初心者に任せる」というのが頻繁にあったように思う。そして、筆者が現在所属する「ドワンゴ」でも「素人パワー」は炸裂している。素人は「時間がある」「やる気がある」「方法を一から考える」など利点があるが、機会があれば川上量生会長から素人起用に際しての利点・弱点・留意点を聞いてみたいものだ。

「ニコニコ動画」において成功したコンテンツにも「素人パワー」は少なくない。例えば、なかなか食事をしない虫「ダイオウグソクムシ」をひたすら映し続けるプロジェクト、将棋の電脳戦プロジェクトなどのスタッフはすべて素人だという。

「素人パワー」が炸裂させた伝説的なエピソードといえば、一介のアニメーターであった庵野秀明氏が、「風の谷のナウシカ」(1984)で宮崎駿に、あの巨神兵のキャラクターデザインを任されたという話。恐るべき数の手書きスケッチを見せた庵野のことを、宮崎は、

 「あいつはまるでテロリストのような顔をしていた。」

と後に語っている。それだけ「もの凄いやる気」が漲っていたのであろう。もちろん、そういう「素人パワー」が炸裂できのも、「伯楽(重用した人の見る目)」があってのこと。成功体験だけでないこともことわっておく。

Uプロデューサー、川上さん、宮崎さんなどなど。名伯楽の皆さんさすが慧眼をお持ちです。

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