<長寿番組の条件>日本テレビ「笑ってこらえて」の“ダーツの旅”はいかにして生まれたか?

メディアゴン / 2014年11月21日 3時10分

吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]

* * *

「笑ってコラえて」(水曜・日本テレビ)の「ダーツの旅」は、放送スタート時の1996年から18年も続いてる超長寿の人気コーナーだ。

所ジョージさんが「日本地図に投げたダーツ」が当たった村や町に10日間から2週間滞在して、村人との交流を続けるコーナーだ。信じられないくらい面白い90歳の老人、取材と知ってキャキャ騒ぐ女子中学生集団、ウチの軍鶏が上手いと家に招待してくれるオバサン・・・。このコーナーの大成功の影響は絶大で、その後、他局でもあまたの「村人交流バラエティー」が生まれた。

ビデオカメラの超小型化・軽量化・低価格化で制作スタッフが直接取材・撮影出来、長期間の取材も可能になったことも大きな影響を与えていたであろう。

実は皆様に一つ告白しておきたいことがある。筆者(吉川圭三)はこの「偉大な長寿コーナー」の生みの親として名を残しているが、正確にはそうでないのである。確かにこのコーナーを「実現化」したのは筆者だが、実は色々な経緯があった。

これも「バラエティ史の一断面」だと思いここに記しておく。

ものの資料によると、始まりは関西で今も絶大な人気を誇る「探偵!ナイトスクープ」(1988〜現在・朝日放送)にいおて、越前屋俵太さんが「ダーツを投げ、刺さった地域に行く」というコーナーがあったそうである。

ただ当時、ハンディカメラが重かったとか、長期取材はタレントさんのスケジュール上無理だったのか、すぐ休止になってしまった。「探偵!ナイトスクープ」が関西ローカルの番組ということもあってか、筆者はそのコーナーの存在は知らなかった。

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(1985〜1996・日本テレビ)のIVSテレビ制作の当時の社長だった長尾忠彦さん(現・会長)が筆者を訪ねて来て、一つの企画書を出してきた。表紙には地球儀があって、そこにダーツを投げる人がいた。つまり「世界ダーツ旅」をやろうというのだ。越前屋俵太の企画にインスパイアーされたのか?については今でもわからない。

 「ん~。いい企画だ。でも地球は広すぎるし、ヌカに釘とでも言う感じ?」

これが筆者の感想だった。しかし。この企画書はしばらく筆者の机に眠り続けた。そんなある日変化が起きる。

当時、担当していた「どちら様も!!笑ってヨロシク」(1989〜1996・日本テレビ)が低迷し始めていた。スタジオに「看護婦100人」とか「東大生100人」とか「元警察官100人」とか集めて、アップルのコンピュータで質問を集計する・・・という人気バラエティだった。しかし「呼ぶ100人」にもバリエーションがなくなりはじめ、番組として経年劣化をしていたのだ。

編成部が「そろそろ番組の打ち切り」を告げに来る・・・そう感じた。その前に動かなければ一族郎党食いっぱぐれだ。筆者は部下の小澤龍太郎と企画書をでっち上げた。

題して「笑ってコラえて」。テーマはインタビューバラエティ。日本中の素人さんのインタビューを基にした番組だった。作った企画書には、10個くらいの企画が書いてあったが、正直でっち上げだった。その中に「あのコーナー」があった、というわけだ。そう、「ダーツを当てて村で取材する」というアノの企画が。

ただし、IVS版と違うのは、対象は「地球儀」ではなかった。あくまでも、日本地図。日本の町や村に行くというものだった。IVSの長尾社長に失礼ながらも電話で許可をもらった。筆者も長尾さんも、このコーナーがこんなにヒットするとは、当時思っていなかったのかもしれない。

編成部は首をひねりながらも「この枠で当てつづけたスタッフだから」と企画を通してくれた。でも筆者は、

 「半年ダメだったら、確実に一家お取り潰しだな。」

というのは知っていた。

新番組「笑ってコラえて」の会議は日夜続いた。そして10個の企画中の1個「日本列島ダーツの旅」についても、「どうやるか?」の議論。当時番組に参加してくれていた放送作家の「そーたに」君は次のように語る。

 「吉川さん、あの時は、20対1でしたよ」

当時、全スタッフ・放送作家が筆者の提案に反対していたのだ。

「見えない。」「見えない。」の大合唱。紛糾の末、筆者は、

 「じゃあ、試しに1週間だけロケにディレクターを送ってくれ。」

自分が総合演出だったから、その権限で「しぶしぶ了解を得た」というわけだ。そして、I君という一人のディレクターが選ばれた。皆、「日本一不幸な人間」を見る様な眼つきで彼を見ていた。そして、所さんにスタジオの片隅でダーツを投げて貰い、I君は村に旅立った。

総合演出という責任者の筆者であったが、残酷にも「どういう人」を「どういう風」に撮ってこいとは全く言わなかった。筆者自身にも「どういう人」を「どういう風」に撮れば良いのか解らなかったのだ。旅立ったディレクターのI君は、ロケ地で異常な孤独感と戦って、眠れぬ日々を過ごしただろう。

一週間後、I君が帰ってきた。「どうだった?」と聞くが、彼は誤魔化す様に笑うだけ。それから5日程、編集作業に籠った。そして20人の会議で固唾を飲んでVTRを見る。一週間でわずか5分のVTR。緊張の一瞬。デッキのボタンが押された。

クスクス笑いから、やがて会議室は爆笑の渦に包まれた。

田舎の見知らぬおばあちゃんが信じられない事をしゃべる。彼は村人をあえて絞らず朝から晩までインタビューしまくったのだ。これは、全く見たことのない新鮮さだった。皆、テレビに出たこともない素人さん達だった。もちろん、何十時間も回したテープからの厳選されたカットだった。

名もない村の村人に「金脈」があったのだ。その後、もう一週間、I君にロケに行ってもらった。大げさに言うとこの「ダーツの旅」が芯になって「笑ってコラえて」は18年続いたともいえる。

筆者は「直感」で番組を作るタイプであるが、あえて分析すると「ダーツの旅」は“一次情報”であった事が成功の要因であったと思う。普通、ロケに出る前は、その土地のことを本で調べたり、現地の観光協会の助けを借りたりする。でも、それは使い古された“二次情報”、“三次情報”に過ぎず、新鮮味はない。

ディレクターという仕事は、番組作りを進める中で、どうしても不安になる。だから、事前に「面白そうな人」を仕込もうとしてしまう。しかし、テレビを見ている方は直感で「仕込んだな」と感じてしまうのだ。

それに対して、この「ダーツの旅」は本当にしらみつぶしに誰彼かまわずインタビューして、その厳選したカットを放送するという作り方に徹していた。もちろん、それは大変な手間と労力がかかった。しかし「良いモノを作るには手間ひまがかかる」ということを体現できていたのではないだろうか。

「原点」を与えてくれた「探偵!ナイトスクープ」様、IVS社長・長尾様。本当に感謝・感謝であります。

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