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<TBSでドラマ化する「赤めだか」の次?>立川談春の新作落語と「文章修行」の行方に注視

メディアゴン / 2015年3月8日 1時47分

齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]

* * *

立川談春は能筆の多い立川流の中でもかなり文章の達者な一人である。一作目にして講談社エッセイ賞を受賞した「赤めだか」は、才人・立川談志に、高校中退した若者(談春)が弟子入りしてから二つ目になるまでの修業時代を、「ただこの人のようになりたい」と思い定めた青年の視点から描いて新鮮な面白さがあった。

破天荒な師匠とそれをとりまく個性的な人々の間で、泣き笑いしながら成長していく絵にかいたような成長譚と、落語と格闘し続ける傍ら、寄席という落語界のシステムから袂を分かち、新しい教育システムを作りだし、苦労して弟子を育てていく師匠・談志の生き方を活写していた。

読者を知らぬ間に引き込む文章の切れに、英語のスラング「shanghai=無理やり連れ去る」を久々に思い出したものだ。通勤電車の中で噴き出しかけて、あわてて周りを見回したことも二度三度あったかと思う。

その談春氏がなかなか第2作を書かない中、今までの短いエッセイやインタビューをみずから編纂した(らしい)2冊目の本を出版したので読んでみた(「談春 古往今来」新潮社)。一読して、この本がこれまでのエッセイやインタビューを網羅していないことに気づく。

時系列から考えると、この本がカバーするのは、「赤めだか」出版の少し前、銀座大落語会や新宿末広亭での余一会(31日のある月だけ、通常の寄席ではない企画ものをやる日)でトリをとるなど、落語家として談春氏が頭角を現し始めたころからはじまり、「赤めだか」のヒットを背景に、本業の落語に精進を重ねて同門の立川志の輔に次ぐ人気落語家に成長していく昨今と、病と闘っていた師匠を亡くした際の騒動、そして師亡き後の自分の立ち位置を模索する現在まで、ということだろうか。

この著作は書下ろしでないせいか、さほどの宣伝もされていないようだ。

が、一方では立川談志をビートたけしが演じる「赤めだか」のドラマ化(TBS)が発表されるなど、絶妙なタイミングでイベントを仕掛けるあたりは、談春氏のプロデューサーのような勝負勘の良さが感じられる。

とりわけ、1作目「赤めだか」がかなりのヒットとなった成長譚の本と違い、人気落語家となる前後の話となると、どううまく書いても自慢話にしか聞こえないため、「金もなく名もなく当てのない夢しかないけれど一生懸命な青春記」ほどの共感は集めにくい。

他者のインタビューや節目節目で書いたエッセイや対談をうまく編纂したほうが「赤めだか」以降の時間と、自分が得たものと失ったものを嫌みなく伝えるには最適だと判断したのだろうか。

この本の最後のインタビューは、「これは談春氏自身が書いたのではないか?」と感じるような深さと切れがあり、情の濃い下町気質の両親に愛情を注がれて育った子供時代にすでに、後の落語家として大成する資質がほの見えるような「相撲の取り組みや競馬のレースを実況中継のように父親に語るような子供だった」というエピソードが紹介されている。

最近の談春氏の落語会では、「談春半生記」というネタをかけているようだ。子供時代の話から始まるいわゆるフリートークに近い地噺になるのだろうか。会話文をつなげていくこと=「落語を書く」ことでテンポのいい第1作目のエッセイを書き上げたとこの本のインタビューで語る氏は、そのころの落語会のパンフレットに「会話の少ない地の文章で話を進めていく地噺は苦手だと自分で信じ込んでいる」と書いていた。

となると、この地噺風トークが氏の落語の持ちネタの幅を広げる一方で、それが文章修業に向かえば次には、(重厚なのか洒脱なのかはわからないが)いよいよ小説を書き始める日が近いのかもしれない。

だとすれば、落語ファンでもあるが切れ味のいい氏の文章のファンでもある身としては、二重に楽しみな氏の新しい展開といえる。いずれにせよ、立川談春の新作落語ともども、その文章修業の行方を注視してみたいものだ。

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